ナポレオン没後200年 ナポレオンの宿敵、ウェリントン公の栄誉の館 アプスリーハウスを征く

■ ワーテルローの戦い(英名ではウォータールーの戦い)でフランス軍を破り、皇帝ナポレオンを欧州から遠いセント・ヘレナ島への流刑に追い込んだ英国軍人、ウェリントン公爵。彼のロンドンの邸宅「アプスリーハウス」には、ナポレオンの死後、同公が収集したナポレオンやその一家の彫像、肖像画が方々に飾られている。それは宿敵を倒したことを誇る勝利のトロフィーなのか、それとも別の意味があるのか――。今号ではナポレオンの没後200年を記念し、奇しくも同い年だった2人の「英雄」に迫ってみたい。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

1815年、ロンドンにいたウェリントン公のもとに、衝撃のニュースが飛び込んできた。フランス皇帝の座を追われ、イタリアのエルバ島へ追放処分となっていたナポレオンが島を脱出し、パリへ舞い戻ったというのだ。王政復古に不満をもつフランス国民の支持を受けたナポレオンは、なんと皇帝に返り咲いた。英国をはじめとする欧州連合軍とプロイセン軍は、ナポレオンを再打倒すべく共同宣言を発令。ウェリントン公は連合軍の司令官として、戦場となるベルギーへ向かう。天下分け目の最終決戦「ワーテルローの戦い」の火蓋が切られた。
防衛戦に長け、常に現状を確実に把握し、細かい点まであらゆる可能性を予期して綿密な作戦を遂行するウェリントン公。それに対し、意表を突くような大胆な戦術を考え出す天才肌で、カリスマ的な魅力で軍の能力を引き出すナポレオン。両者はその戦法と同様に、出自も対照的だった。

遅咲きの堅実家と早咲きの天才肌

英国のウェリントン公爵(左)とフランス皇帝のナポレオン(右)。2人は同年生まれ。

ウェリントン公ことアーサー・ウェズリー(後にウェルズリーと改名)は1769年5月1日、アイルランド貴族モーニントン伯爵家の第6子として、ダブリンで生まれた。バイオリン演奏の好きなマイペースで控えめな性格の少年で、英国の名門イートン校に進学するも、優秀な兄たちとは異なる凡庸な成績しかとれなかったことから、母親の勧めによりイートン校を中退、フランスの陸軍士官学校へ入学した。士官学校を卒業した後は、帰国して英陸軍に入隊。アイルランド議員の座も獲得し、政界にも足を踏み入れる。やがて英国の支配下にあったインドへ赴任し、現地での指揮官としての活躍によりナイトの爵位を得るなど、軍人としてしっかり力をつけ着実にキャリアを積んでいった。

一方、ウェリントン公より遅れること3ヵ月半、ナポレオンは1769年8月15日、法律家を輩出していたボナパルト家の第4子として、フランスのコルシカ島で誕生。子どもによい教育を受けさせようと、父親は息子たちをパリの陸軍士官学校に入学させる。だが、貴族子弟に囲まれた学校生活はナポレオンにとってかなりつらいものだった。卒業後は仏陸軍に砲兵士官として入隊するが、まもなくフランス革命が勃発したことで軍才が一気に開花。大砲を用いた斬新な戦術を上官に高く評価され、連勝を重ねてはトントン拍子に出世していった結果、1804年には皇帝の座にまでのぼりつめた。

ナポレオンは英国征服を目指すものの、翌年の「トラファルガーの海戦」で英国のネルソン提督に完敗。しかし、提督は船上で命を落としてしまう。そこで「次の宿敵」として彼の前に立ちはだかったのが、ウェリントン公だ。英軍を率いて欧州各国でフランスとの連合軍やフランス軍を破り、ナポレオンを退位に追い込む。そしてエルバ島へ追放し、欧州に穏やかな時間が戻ったはずだった――。

宿命の対決「英雄」たちの行先

アプスリーハウス内で最も豪華な「ワーテルローの間」。戦勝晩餐会が開かれた場所。
ワーテルローの戦いの様子。白馬に乗り、戦況を静かに見つめるナポレオンが右端に描かれている。画面奥に見える赤い軍勢が英連合軍。
吹き抜け螺旋階段に立っているナポレオンの巨大な大理石彫像。ギリシャ神話の軍神マルスに見立てられている。

ナポレオンの復活劇から始まったワーテルローの戦いは、数日で決着がついた。ウェリントン公は寝食の時間も惜しんで戦場を駆け回り、状況を把握しながら微細にわたって指示を出し続けた。片やナポレオンは戦いの最前線には立たず、また栄光を極めた頃のような冴えもすでになく、がむしゃらな戦略で兵力を消耗した。当然ながら、勝利を手にしたのはウェリントン公。「フランスの英雄」は倒され、「英国の英雄」が誕生したのだった。

ワーテルローの戦いの後、「自分の役目は終わった」とばかりにウェリントン公は退役。46歳で軍人生活に幕を下ろし、残りの40年近い人生を政治家として過ごしている。他方でナポレオンは英国領のひとつ、南大西洋に浮かぶ孤島セント・ヘレナ島へ送られ、1821年に51歳で死去した。

英雄扱いを嫌い、謙虚さを美徳としたウェリントン公。彼の口癖は「私は普通の人間でしかない、ということを忘れないようにしなければ」であった。一番大切なのは、自分に与えられた任務を着実にこなすこと。自身の功績を後世に残そうと躍起になったり、派手なパフォーマンスを披露したりすることを好まなかった。また実は戦争嫌いでもあり、徹底した防衛をベースに隙を見て攻撃する戦術を得意としたのも、できるだけ死傷者を出したくないという思いからだったとされている。

ナポレオンの口癖は「余の辞書に不可能という文字はない」。煌びやかな戴冠式を行い、欧州統一を目論んで各国を侵略した元皇帝に、ウェリントン公は一体何を話しかけていたのだろうか? この絵に描かれたナポレオンの胸像は、螺旋階段の一角に置かれている。

アプスリーハウスには、ナポレオンの彫像や肖像画、軍刀のほか、彼の兄や妻、姪の肖像画まで飾られており、その数の多さに驚くだろう。これらはナポレオンの死後、ウェリントン公自身が収集したものである。彼の性格から考えて、勝利のトロフィーとして集めたとは考えにくい。「大いなる野心を抱き驕った者」の反面教師にでもしていたのだろうか。それとも「軍事の天才」であったライバルへの称賛の念、あるいは自分とは異なる生き方への憧憬といった思いもあったのだろうか。正反対であるからこそ、どこか惹かれるものがあったのかもしれない。晩年はナポレオンの像の前に佇み、しばしば沈思する姿が見られたという。

ナポレオンの没後200年を迎えた5月5日、彼が眠るパリの廃兵院「アンヴァリッド」で記念式典が開かれた。それに合わせ、アプスリーハウスでもナポレオンのデスマスクが洗浄され、現在特別公開している。ウェリントン公とナポレオン、2人の男たちの生き様に思いを馳せながら、同館を訪れてみてはいかがだろうか。

ウェリントン・アーチに登ってみよう!

ロンドンにある「凱旋門」といえば、マーブル・アーチとアプスリーハウスの向かいに建つウェリントン・アーチ。2つともワーテルローの戦いでナポレオン軍を破った英軍と、軍を勝利に導いたウェリントン公を讃えるために、1830年に建設されたものだ。
実は、このウェリントン・アーチは登ることができる。内部は3階建て(日本でいう4階)で、1992年までは「ロンドンで2番目に小さな派出所」として、15人の警官が常駐していた。しかし、1999年からイングリッシュ・ヘリテージの管理下で博物館となり一般公開がスタート。アーチの歴史関連資料やワーテルローの戦いに関する資料などが展示されている。

Travel Information ※2021年6月1日現在

アプスリーハウス
Apsley House
149 Piccadilly, Hyde Park Corner, London W1J 7NT
Tel: 0370 333 1181
www.english-heritage.org.uk/visit/places/apsley-house
開館時間:水〜日曜11:00~17:00
入場料:£11.30
※要事前予約
※ウェリントン・アーチとの共通券£16もあり

週刊ジャーニー No.1191(2020年6月3日)掲載