スキップ・ダニエルズ 史上最強のキャディ【後編】
プリンシスをプレーするサラゼンとキャディのスキップ・ダニエルズ © Prince's GC

■1928年、ロイヤル・セントジョージスGCで開催された全英オープンに出場したジーン・サラゼン。2日目の14番ホールでキャディのダニエルズがマッシー(5番アイアン)で打つようアドバイスしたにもかかわらず、深いラフから3番ウッドで2打目を打って壊滅。2打差で優勝を逃した。失意の中でダニエルズに謝罪したサラゼン。老キャディ、ダニエルズは目に涙をいっぱいに溜めて言った。「もう一度やり直しましょう。私が死ぬ前に何があってもあなたに全英オープンを勝たせたい」。その日から4年。全英オープンが再びサンドイッチの海岸線に帰ってきた。

●サバイバー●取材・執筆/手島 功

サラゼンを乗せた車が全英オープンの会場となるプリンシスGCのクラブハウス前に到着した。ストーク・ポージス(現ストーク・パーク)で出会った27歳の若いキャディを使うと決めていたサラゼンは車中「ダンに何と言えばいいのだろう」と一人、頭を抱えていた。心が決まらないまま到着すると、そこにダニエルズがポツンと立っていた。4年の歳月は想像以上にダニエルズの肉体を蝕み、すっかり老人のようになっていた。口髭は真っ白になり、引きずる脚も以前より悪化している。言葉も聞き取りづらく、さらにキャディの生命線とも言える視力が想像以上に悪くなっているようだった。
ところが車がサラゼンのものであると分かると、ダニエルズはよれよれの帽子を脱ぎ、顔を皺くちゃにして嬉しそうに駆け寄ってきた。そして「さあて、バッグはどこですかな?」と言いながら車の中を覗き込んだ。サラゼンは困惑しながらも、残酷な一言を伝えなくてはならなかった。
「ダン。このバッグは君には重過ぎるよ。君が病を患っていることも聞いた。このバッグを担いで72ホールを一緒にラウンドするのは無理だ」
するとダニエルズは、予想外にも背筋をピンと伸ばして言った。
「そうですか。それでは仕方がありません」
その一言には他人がそれ以上、立ち入ることを頑なに拒絶する一種の威厳があった。それと同時に言葉の奥に潜む絶望にも似た悲しみをサラゼンは感じ取った。
ダニエルズと別れたサラゼンは「全ては全英オープンに勝つためなのだ」と自らに言い聞かせた。しかし脚を引きずりながらだんだん小さくなっていく老いたダニエルズの後ろ姿が目に入ると「俺は世界一の裏切り者だ」と自らを激しく罵った。

突然の不調

サラゼンから声がかかるのを待ち続けたダニエルズ。

予選まで一週間。この時点で英米のメディアのほとんどがサラゼンを優勝候補の筆頭に挙げていた。当時すでに全長7000ヤードを超えていたプリンシスGCでは、サラゼンのような飛ばし屋でロングアイアンの名手が圧倒的に有利だと言うのだ。ところがその評価はたちまち大暴落することになる。
ダニエルズの代わりに雇ったキャディとの相性が最悪で、サラゼンは日に日に調子を落としていった。ある時、キャディが渡したクラブで打ったボールがグリーンの手前10ヤードに落下した。クラブ選択の誤りを指摘すると「今のはあなたのショットが良くなかったからだ」と非を認めるどころかきつい言葉で反論してくる始末だった。
サラゼンの練習ラウンドには常にメディアやファンが大勢ついて回っていた。ある時、サラゼンはその人々の陰に隠れるように少し距離を置いてついて来るダニエルズの姿を発見した。サラゼンと目が合うと視線をスッとそらし、どこかに消えてしまうことが度々続いた。その後もサラゼンの不調は続き、もはやスランプと呼べるほどまでにゴルフが崩壊していた。メディアもサラゼンの不調を競って報じ始め、賭け屋の予想もサラゼンを優勝候補から外し始めた。
予選が始まる2日前。ホテルで夕食をとり終えたサラゼンのもとをロクスバラ公イニス・カー卿が訪ねて来て言った。
「今日、ダンに会ったよ。気の毒なほど沈んでいた。ダンほどのキャディが未だに誰のバッグも担ごうとしない。理由は、君が一番よく分かっているだろう。今のキャディとうまくいっていないことはもう誰の目にも明らかだ。どうだろう、余計なお節介なのは重々承知しているのだが、今からでもダンに担がせる気はないかね。彼はトーナメントが始まる前に君を立ち直らせることが出来ると言っている」
サラゼンはカー卿の言葉を遮るように答えた。
「私も、壊れた私のゴルフを修復できるのはダンしかいないと思っています」
「分かった。では明朝、ホテルに君を訪ねるよう彼に伝えてもいいかね?」
「こちらからお願いします」。そう言うとサラゼンはカー卿に深い感謝の言葉を伝えた。

覚醒

左:プリンシスGCの現在のクラブハウス。 右:プリンシスGCのコース。リンクス特有の強い海風が吹けば難易度はいっそう高くなる。

翌朝7時ちょうど。ダニエルズはホテルの入り口でサラゼンを待っていた。2人は照れ臭そうに笑いながら固い握手を交わした。それで十分だった。2人は並んでコースへと向かった。1番ホールに到着するとキャディマスターがサラゼンたちを迎えた。
「サラゼンさん、我々は本当にダンのことを心配していたんですよ。彼はここ数日、見ちゃいられないほど沈み込んでいましたから。今朝のダンは十歳くらい若返って見えますな」。そう言って心底嬉しそうに笑った。
この日以来、サラゼンのゴルフは水を得た魚のように驚異的な回復を見せた。ティーショットはことごとくフェアウエーをとらえ、アイアンも冴えわたり、たちまち以前のような輝きを取り戻した。
この年の全英オープンは、ロイヤル・セントジョージスとプリンシスの両コースで各1ラウンド、合計2ラウンドする予選トーナメントがあり、それを通過した者が本選に進むことになっていた。本選は3日間で競われ、2ラウンドの予選を通過した選手が最終日となる3日目に2ラウンド。72ホールの合計ストロークで勝敗を競う形がとられていた。
サラゼンは予選初日、プリンシスでのラウンドを1アンダーで終えた。2日目はロイヤル・セントジョージスでプレーすることになっていた。その日の朝、コース脇に立つホテルの部屋で髭を剃りながら何気なく窓外に広がるロイヤル・セントジョージスのコースに眼をやった。北海から吹き付ける猛烈な海風がバンカーの砂を巻き上げ、旗竿が折れそうなほど曲がっているのが見えた。その強風の中、身体を斜めにし、グリーンからグリーンへと足を引きずりながら歩きまわっている小さな人影が目に飛び込んできた。よれよれの黒いスーツに身を包んで歩くその姿は間違いなくダニエルズだった。ダニエルズは全ホールのカップの位置を丁寧に調べて回っていた。「彼のためにも絶対に負けられない」。サラゼンは洗面器に溜まった湯に両手を突っ込み、勢いよく顔を洗った。

別れの時

ダニエルズと並んで歩くサラゼン。 © Prince's GC

予選ラウンドでは100位タイまでの110人が本選に進むこととなった。サラゼンはトップグループで難なくこれを通過した。ラウンド後、サラゼンはダニエルズに言った。「我々はもしかしたら優勝できるかもしれない」。
「もちろんですとも」。ダニエルズは答えた。ただし、とサラゼンは続けた。
「たった一つのことを守ることが出来たらの話だ。ダン、君は4年前のあのスエズ運河での出来事を覚えているかい?」
ダニエルズは深く皺が刻まれた両手で顔を覆いながら言った。
「どうして忘れられましょう。あれ以来、毎晩のように悪夢にうなされ続けていますよ」
「あの時のように7など叩かなければきっと優勝できる。僕は君のアドバイスに忠実にプレーする。君がクラブを決めてくれ。僕は必ずそのクラブで打つ」
ダニエルズは黙って頷いた。
サラゼンとダニエルズ、2人一体となっての闘いが始まった。ダニエルズのクラブ選択は冴えわたり、時に感情を爆発させそうになるサラゼンの激しい気性を巧みに抑えて何度も崩壊の危機を救った。初日から首位に立ち、ついに4ラウンドを通して一度もトップの座を譲ることなく2位に5打差をつけて完全優勝を果たした。13アンダーは当時の全英オープンの最小スコアレコードを塗り替えた。
クラブハウスでシャワーを浴びてジャケットに着替えると、大会委員が表彰式の準備が整ったと告げに来た。サラゼンは、この勝利は自分一人によるものではなくキャディとのものだ。クラレットジャグ(優勝カップ)を受け取る際に、ダニエルズも横に立たせてはいけないかと懇願した。しかし委員は、お気持ちはお察ししますと言いながらも、前例がないとして許可されることはなかった。
クラブハウスを出ると、そこには既に大勢の人たちが祝福のために集まっていた。サラゼンはその中にダニエルズの姿を探したが見つからなかった。まもなくセレモニーが始まるという時になって遠くに自転車を漕いでやって来るダニエルズの姿を発見した。ハンドル部分に小さな孫2人をちょこんと乗せていた。
セレモニーが無事に終わり、ダニエルズとの別れの時が来た。サラゼンは着ていたポロコートをダニエルズの肩にかけ、「次の全英オープンでまた会おう」と告げた。ダニエルズは一瞬困惑の表情を浮かべた後、笑顔でコクンと頷いた。そして譲り受けたコートの裾をひるがえしながら自転車に乗って去っていった。
一度はサラゼンに見切りをつけられたダニエルズ。他のプロからの誘いを全て断り、ひたすらサラゼンを待ち続けた。そして願いは現実となり、激しかった全英オープンを共に闘い抜いた。自分が死ぬ前に何があっても全英オープンを勝たせるという約束を、まるで自らに課した使命でもあるかのように愚直に守り抜いた。黄金色に染まり始めたサンドイッチの海岸線。絵画のような景色の中で次第に点のように小さくなっていくダニエルズの後ろ姿をいつまでも見つめるサラゼン。その瞳には大粒の涙が揺れていた。
数ヵ月後、サラゼンは英国の友人から一通の手紙を受け取った。ダニエルズの死を知らせるものだった。ダニエルズはサラゼンと別れてしばらくしてから病が悪化し、あっけなく逝った。手紙にはダニエルズが毎日、サラゼンから譲られたコートを着て過ごしていたこと、そして時々パブにふらっと現れてはサラゼンと成し遂げたプリンシスでの優勝劇を、その場にいる人々相手にいつまでも語り続けていたと書かれていた。今日でも史上最強キャディの一人に数えられる名キャディ、スキップ・ダニエルズの幸せな最期の数ヵ月だった。

参考資料 ジーン・サラゼン著「Thirty years of Championship Golf」


1932年の全英オープン、サラゼンが優勝を決めた瞬間の貴重な映像。ダニエルズと握手する瞬間を見ることができる。67th Open - Prince's (1932) | Flashback
©The Open 公式ウェブサイト

週刊ジャーニー No.1196(2021年7月8日)掲載