●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

■ 英国の歴代君主が眠るウェストミンスター寺院に対し、その「フランス版」とも言えるフランスの歴代君主が眠る場所が「サン・ドニ大聖堂」だ。今回は番外編で、パリ郊外に建つサン・ドニ大聖堂を紹介したい。

「英国とは異なり、数々の革命によって長く君臨した王家が消失したフランス。英国では現在のチャールズ国王に至るまでの歴代の君主がウェストミンスター寺院で戴冠式を行い、また同所には17世紀までの王族の多くが永眠している。一方、フランスの君主はパリではなく、フランス北部の街ランスの大聖堂で戴冠式を行い、パリ郊外のサン・ドニ大聖堂に埋葬された。「古代フランク王国」の初代国王クローヴィスから始まり、フランス革命で処刑されたルイ16世の弟であるルイ18世まで、42人の国王、32人の王妃、63人の王族子女が眠りについている。

同大聖堂はその名の通り、聖人ドニ(Saint Denis)の墓の上に建てられたものだ。フランスにキリスト教を広めるため、イタリアから渡ってきた司教のドニは「多くの人々を改宗させすぎた」として他教の司祭たちの怒りを買い、パリのモンマルトルの丘で斬首刑に処された。ところが、ドニは切られた頭部を腕に抱えたまま北へ向かって歩き続け、やがて力尽きて倒れた地が、以降「サン・ドニ」と呼ばれるようになった。彼の墓の上に建てられた教会が、サン・ドニ大聖堂の起源である。

同所は一大巡礼地となり、十字軍を何度も派遣した敬虔なルイ9世は、この地を正式に「王家の墓所」に決定。別の地に埋葬されていた君主たちの棺も移送した。

もしフランスで今なお王政が続いていれば、ウェストミンスター寺院のように、すべてが完璧に「保存」されていただろう。しかし、1789年にフランス革命が勃発したことによって、同大聖堂は暴徒たちに荒らされてしまった。立派な墓碑は破壊され、棺は次々と開けられて、遺骨は近くの墓地の穴に放り込まれた。王政復古により即位したルイ18世が、放置された遺骨群を回収し、処刑された兄夫妻(ルイ16世&マリー・アントワネット)の遺骸を捜索し、かろうじて避難させるのに成功したいくつかの墓碑や棺を戻し…と尽力したおかげで、再び「王家の墓所」として復活したのである。だが結局、自身がそこに葬られる最後の王となってしまった。

もし英国でも革命が起きていたら、ウェストミンスター寺院もこうなっていたのだろうか…と考えると、不思議な心持ちになる。

ユーロスターが到着するパリ北駅から、高速鉄道(RER)でわずか10分(そこから徒歩15分)。あるいはメトロ(13番)なら徒歩3分でたどり着けるので、アクセスも抜群。フランスの歴史、そして「ベルばら」が好きな人は訪れてみては?

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マップ

フランソワ1世と王妃クロード・ド・フランスの墓碑(右)
フランソワ1世の心臓壺(左)

イングランドのヘンリー8世と同時代に、広大なフランスを統治したフランソワ1世。偶然にも同じ1547年に死去している。レオナルド・ダ・ヴィンチをイタリアから呼び寄せて支援するなど、「フランス・ルネサンスの父」と呼ばれた。ちなみに中世フランスでは死後、身体と心臓をわけて埋葬していたため、心臓が収められた壺が別にある。

ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの跪拝像

フランス革命で処刑された、「ベルサイユのばら」でも有名なロイヤル夫妻。2人をよく知るルイ18世が慰霊のために造らせた大理石像なので、間違いなく本人たちに酷似していると思われる。

アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの横臥像(上)と墓碑(

フィレンツェの富豪メディチ家から嫁ぎ、イタリアの宮廷文化を持ち込んだカトリーヌ・ド・メディシス。アンリ2世が事故死した後は、幼い息子の摂政として約30年にわたってフランスを統治。新旧派の壮絶な宗教戦争をもたらした。

王家の納骨堂

フランス革命後、暴徒たちによって棺から引きずり出された遺骨は大聖堂の近くの墓地に放置された。2つの大穴に放り込まれた遺骨群は、ルイ18世によって回収され、1824年にここに合葬されている。遺骨の判別は難しかったことから、黒い大理石版に、含まれていると思われる王族名がぎっしりと刻まれている。


考古学的納骨堂

250年に同地で没した聖人ドニのために建てられた、最初の教会の遺構。ドニの石棺を中心にして、古代ローマ人などの古い石棺がずらりと並ぶ。

ブルボン家の納骨堂

ルイ18世は即位後すぐ、パリのマドレーヌ墓地に葬られたルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸を探し、1815年に移送。自身も最後のフランス王として棺を並べている。

ルイ・シャルル王太子(ルイ17世)の心臓壺

ルイ16世とマリー・アントワネットの息子で、幽閉されたまま10歳で病死したルイ・シャルルの墓碑。下部のクリスタル壺には、医師による死亡解剖後に持ち出されてしまった心臓が収められている。2004年にミイラ化した状態で発見され、母親の遺髪とのDNA検査で、本人だと確定された。

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Travel Information (2025年12月1日現在)

1837年の落雷、1847年の台風により左の尖塔が失われたが、今年から再建が開始されている。
© GrandEscogriffe

Basilique Cathédrale Saint-Denis

1, rue de la Légion d’Honneur,
93200 Saint-Denis
www.saint-denis-basilique.fr/en

【開館日】
10月~3月/
月~土曜 10:00~16:45
日曜 12:00~16:45
4月~9月/
月~土曜 10:00~17:45
日曜 12:00~17:45
【入場料】
入場は無料だが、王家墓所エリアに入るためにはチケットが必要。王家墓所のみ11€、大聖堂の左尖塔の再建プロジェクトが学べる新エリアも含める場合は17€。

ついでにパリで訪れよう! 処刑後にマリー・アントワネット夫妻が埋葬された
贖罪礼拝堂/Chapelle Expiatoire

1793年1月21日、パリのコンコルド広場で斬首刑に処されたフランス国王ルイ16世(享年38)。そして、同年10月16日に同じく処刑された王妃マリー・アントワネット(享年37)。両者ともに、集団墓地となっていた「マドレーヌ墓地」に埋葬された。

通常なら適当に葬られるはずであったが、実は王党派だった土地所有者が、こっそりと夫妻の遺体を並べて埋葬し、荒らされないように植木で囲んで隠したので、ルイ18世が捜索を命じるとすぐに発見された。ただ、そのまま土葬されていたために、見つかったのは骨片や衣服の端といった遺骸の一部だけだった。

夫妻の遺骸をサン・ドニ大聖堂へ移した後、ルイ18世はマドレーヌ墓地跡に礼拝堂を建造。まさに2人が眠っていた場所の真上に建立した。礼拝堂の左右には、夫妻が幽閉されていたテュイルリー宮殿で民衆と軍隊による襲撃事件が起きた際(1792年8月10日事件)、彼らを守って殉死したスイス衛兵たちが祀られている。

天使に導かれるルイ16世像と十字架にすがりつくマリー・アントワネット像は秀逸。ぜひついでに訪れてみよう。


Chapelle Expiatoire

29 Rue Pasquier, 75008 Paris
www.chapelle-expiatoire-paris.fr

【開館日】
10月~3月
水~土曜 10:00~12:30、13:30~17:00
4月~9月
火~土曜 10:00~12:30、13:30~18:30
【入場料】 7€


週刊ジャーニー No.1422(2025年12月4日)掲載