トゥー・テンプル・プレイスを征く
同邸宅の一番の見どころである、吹き抜けの中央階段とギャラリー。© Gary Ullah

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

■ テムズ河沿いに伸びるヴィクトリア・エンバンクメントの近くにひっそりと佇む「2 Temple Place」。何とも不思議な名前だが、実は住所がそのまま建物の名称となっており、かつては米国出身の大実業家ウィリアム・ウォルドーフ・アスターが建てたオフィス兼邸宅として、「アスターハウス」と呼ばれていた。今回は、このロンドンの「隠れ家」をご紹介したい。

英国で「テンプル」と言えば、「寺」ではなく、12世紀に創設された騎士修道会「テンプル騎士団」を指すことが多い。彼らが拠点としていたテンプル教会が建つ一帯は、地名や駅名として今もその名が残っている。そのテンプル・プレイス2番地にある邸宅が、今回取り上げた場所だ。

米国出身の大富豪、ウィリアム・ウォルドーフ・アスター。

ニューヨークで当時「No.2」の大富豪(1番はロックフェラー)であったウィリアム・ウォルドーフ・アスターが、米国での生活に嫌気が差し、自身の死を偽装してまで一家で英国に移住してきたのは1891年のこと。最初はホランドパークにある屋敷を借りていたが、まもなく大豪邸「クリヴデン」をウェストミンスター公爵から購入して大改装(現在は5つ星のマナーハウス・ホテルとして営業)。ただ、クリヴデンはロンドン中心部から少し距離があるため、「仕事場として使えるロンドンの家が欲しい」と新たに建造したのが、この邸宅だった。1階(地上階)はオフィス、2階は居住スペースとして使われていた。

外観はヴィクトリアン・ゴシック様式でありながら、邸内はテューダー朝様式がベースとなっており、中世の面影が漂う。これはヨーロッパの古い歴史を好んだアスターの好みが、大きく反映されているからだ。

グレートホールの東西に設置された休憩スペースのステンドグラスが秀逸。
中央階段では「三銃士」の登場人物たちが迎えてくれる。

階段の手すりには愛読書であったアレクサンドル・デュマ作「三銃士」の登場人物の彫像が並び、グレートホールの壁はマキャベリ、シェイクスピア、アン・ブリン、エリザベス1世、スコットランド女王のメアリー、マリー・アントワネットなど総勢54人の歴史・文学上の人物でひしめき合い、扉には「アーサー王伝説」に登場する9人のヒロインたちの金属パネルがはめ込まれている。過度な煌びやかさや華やかさはないものの、アスターにとっては「夢が詰まった家」であったに違いない。

邸宅の屋根に設えられた風見鶏は、コロンブスが米国大陸を航海したときの帆船サンタ・マリア号をイメージしている。
グレートホールの大扉に飾られた「アーサー王伝説」に登場する9人のヒロインたち。

また、この屋敷はロンドンで初めて電話が設置された邸宅であることでも知られている。エントランス前に建つ淡いグリーンの外灯をよく見れば、電話の受話器を口に当てた天使と耳に当てた天使が、背中合わせに会話をしている像を見つけることができるだろう。見逃してしまいがちなので、訪れた際には確かめていただきたい。

1919年にアスターが亡くなった後はすぐに売却され、保険会社や会計士協会のオフィスとして使用されてきたことから、家具などもほとんど置かれていない。2011年からは一般公開されているが、イベントスペースや結婚式場、映画やドラマの撮影地として使われることが多く、見学できるのは毎年1~4月に開催される特別エキシビションの期間中と、秋のオープンハウスの日のみとなっている。

入場料は無料なのが嬉しい。邸宅内にはカフェもあるので、中心部へ出かけて、ふと時間が空いてしまった時には、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

JFC
TK Trading
Centre People
ロンドン東京プロパティ
Dr Ito Clinic
早稲田アカデミー
サカイ引越センター
JOBAロンドン校
Koyanagi
KaitekiTV

ニューヨークの地主と呼ばれた一族アスター家とは?

ドイツ系移民であったウィリアム・ウォルドーフ・アスターの曾祖父は、米原住民から買いつけた毛皮を巨大船でヨーロッパや極東地域へ輸出、そのかわりに紅茶や加工品を輸入するという交易で、米国で大成功を収めた。その子どもたちも代々、ニューヨークの不動産への多額投資でさらに莫大な利益を生み出し続け、アスター家はいつしか「ニューヨークの地主(The landlords of New York)」と呼ばれるようになった。

1890年に父が死去し、多大な遺産を相続したウィリアム・ウォルドーフ・アスターは、かつての邸宅跡地に豪華な高層の「ウォルドーフ・ホテル」を建設した。ところが、隣接する叔母の邸宅が日陰になってしまったことで、もともと折り合いが悪かった叔母が激怒。ウォルドーフ・ホテルの隣に「アストリア・ホテル」を建造して対抗するなど、泥沼の親族間抗争となってしまった。

こうした争いや好奇の目に嫌気が差したアスターは、米国大使としてイタリアに滞在した際にヨーロッパの魅力に取りつかれたこともあり、祖国を捨てて、英国へ移住することを決断。英国でも豊潤な財力をもとに、不動産業やメディア、ホテル業など多くの事業を手がけて成功させ、クリヴデンのほか、アン・ブリンが過ごしたヒーバー城(写真)を購入して修復・増築も行っている。

第一次世界大戦時には英国へ巨額の寄付を行い、子爵位を受爵。本家となるアスター家は今も子爵家と男爵家に別れて、英国で暮らしている。ちなみに、ニューヨークの最高級ホテル「ウォルドーフ・アストリア」は、この2つのホテルが起源である。

余談だが、対抗して「アストリア・ホテル」を建造した叔母の息子(アスターの従兄弟)は豪華客船タイタニック号(写真)に乗船し、海で命を落としている。


Travel Information ※2025年2月10日現在

Two Temple Place
2 Temple Place, London WC2R 3BD
https://twotempleplace.org

オープン時間
エキシビション開催期間のみオープン
2025年は4月20日まで
火・木~土曜 11:00~18:00
水曜 11:00~21:00
日曜 11:00~16:30
料金:入場無料 最寄り駅:テンプル駅から徒歩2分

週刊ジャーニー No.1380(2025年2月13日)掲載