© National Trust, Waddesdon Manor
■ 19~20世紀初頭、大英帝国が世界にその支配力を誇示していた時代、ヨーロッパ屈指の金融一族「ロスチャイルド家」も栄華の頂点を極めていた。「ロスチャイルド様式(le gout Rothschild)」と呼ばれる、贅を尽くした豪華絢爛な一族の屋敷がヨーロッパ中に建造され、毎夜のように賑やかなパーティーが開かれた。今号ではその屋敷のひとつ、当時の隆盛がそのままに保存された「ワデズドン・マナー」を紹介したい。
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部
富と夢を集めた「丘の上の宝石箱」
1874年、アート収集が大の趣味であったフェルディナンド・ロスチャイルドは、数々のコレクションを展示し、それらの披露をかねて友人らとパーティーを催すため、郊外に「週末用の屋敷(weekend residence)」を構えたいと考えていた。その理想を叶えようと、バッキンガムシャーにある小さな村、ワデズドン(Waddesdon)の丘一帯を当時所有していたマールバラ公爵より買い上げたことから、ワデズドン・マナーの歴史が始まる。総敷地面積は2500エーカー(東京ドーム約215個分)。フェルディナンドはその広大なキャンバスに、贅の限りを尽くした豪奢な屋敷と優美な庭園を描き上げるべく、およそ10年の歳月を費やしていく。
愛妻のエヴェリーナ(右)を亡くし、アート収集に熱中したフェルディナンド(左)。2人ともロスチャイルド家の出身だった。
英国の伝統的な屋敷とは一線を隔した、華やかで装飾的なデザインの外観からは、フェルディナンドの嗜好が溢れ出ている。フランス・ロワール峡谷に建つシャンボール城(世界遺産)に魅了された彼が、「自身の屋敷でそれを再現したい」と考え、当時英国でも活躍していたフランス人建築家、ガブリエル・ヒポリート・デスタイヤーに設計を依頼。シャンボール城を模した、16世紀フランス・ルネサンス様式のシャトーとして完成させたのだった。内装はロココ調と呼ばれる壮麗な18世紀のフランス様式で一分の隙間もなく覆い尽くされており、壁のほとんどは1860年代に取り壊されたパリの格式ある屋敷からの移築である。屋敷内に飾られたコレクションの数々は、ロスチャイルド家に生まれたフェルディナンドの財力が、いかに並外れたものであったかを雄弁に物語っている。フランスのルイ14世が発注したというカーペットから始まり、ルイ15世が愛したセーブル磁器、ヴェルサイユ宮殿にある離宮「プチ・トリアノン宮殿」でマリー・アントワネットが使用していた書斎テーブル、ロココ時代のフランス王室御用達による装飾家具や置時計など、フランスを中心とした豪華なコレクションに溜息をもらさずにはいられない。
加えて、18世紀の英国を代表する画家、ゲインズボローやレイノルズ、それにフランドルの画家、ルーベンスなどの絵画、さらには各所にオリエンタルの香りのする磁器などが並んでおり、趣味の幅広さがうかがい知れる。丘の上にたたずむワデズドン・マナーは、膨大な量のコレクションの展示と社交のためにのみ建造された、まさにフェルディナンドの富と夢を集大成した「宝石箱」と言える場所だった。
花壇や噴水のあるフランス風のパルテール庭園から眺めるワデズドン・マナー。Photo Stuart Bebb © The National Trust, Waddesdon Manor
愛と悲しみのコレクション
この宝石箱を築き上げたフェルディナンドは、ロスチャイルド五分家(下コラム参照)のひとつ「ウィーン分家」出身で、パリ生まれ。フランクフルト、ウィーンで幼少期から青年期を過ごした。その後、英国に渡るきっかけとなったのは「ロンドン分家」出身の母親の実家を訪れたとき、彼女の姪であり、自身のハトコにあたるエヴェリーナと恋に落ちたことだった。フェルディナンドは母が死去すると、英国に移住する決意を固め、1865年、26歳で同い歳のエヴェリーナと結婚。やがて彼女は妊娠し、フェルディナンドはロンドンで幸福な日々を過ごしていた。しかし、その愛に溢れた時間はわずか18ヵ月後、難産の果てに母子ともに逝去、という悲劇的な結末を迎えてしまう。1年半のみの結婚生活とはいえ、妻への深い愛情は忘れ難かったのだろう。彼はロンドンに残ることを選び、名家の嫡男としては珍しく再婚はしなかった。
胸に大きな喪失感を抱えたフェルディナンドは、アート収集に没頭していった。1870~80年という時代は、収集家にとってまさに宝が天から降ってくるような時期だったいう。というのはこの時期、農業恐慌が英国を襲い、多くの貴族がその被害から財産を放出せざるを得なくなったからだ。これによりフェルディナンドはハミルトン公爵家、のちにダイアナ元妃が誕生するスペンサー伯爵家などの名だたる貴族たちの財宝を買いつけることに成功したのである。
ロスチャイルド家とは?
マイヤー・アムシェルは20歳で「ロスチャイルド商会」を立ち上げ、貸金・両替・古銭業を営んだ。そしてフランクフルト地方を拠点とする封建領主、ヘッセン家のヴィルヘルム9世の宮廷御用商人となったことで経済のしくみを学び、財力を蓄えていった。やがてロスチャイルド・ビジネスの原型と言える「高利貸し」を柱とした金融業に転じ、18世紀末の欧州の戦乱に乗じて、王宮や国家相手に軍資金を貸し付けるまでに強大化。「利益を得ることができるなら、どの国が勝ってもよい」という商魂に基づく姿勢のもと、戦う両国に「秘密裏」に軍資金を融資し、戦勝国の方から権益を受けるという手法を徹底した。彼の5人の息子たちもそれを踏襲、5兄弟はフランクフルト(長男)、ウィーン(次男)、ロンドン(三男)、ナポリ(四男)、パリ(五男)と欧州主要都市で、それぞれの国名を冠した支店を立ち上げた。
華麗なる交遊録
下準備におよそ3年間を要したワデズドン・マナーの着工は1877年。80年には屋敷東側の男性専用棟「バチェラーズ・ウイング」、そして83年には全棟が完成した。華麗なる交遊録に名を連ねたのは、当時の皇太子であったエドワード7世、その愛人のアリス・ケッペル(彼女の曾孫には現・チャールズ皇太子の妻カミラ夫人がいる)、政界ではウィンストン・チャーチル元首相、それに文芸界からはフランス人作家のモーパッサンなど、数多くの英国内外の貴賓たちだった。なかでも「パーティー好き」として知られたエドワード7世はアートには興味がなかったものの、頻繁にワデズドン・マナーを訪れた。
錚々たる顔ぶれの中でも特筆すべきゲストは、やはりヴィクトリア女王だろう。夫のアルバート公を亡くした後、常に自身の居城で過ごし、外界とは遮断状態にあった晩年の女王が城を離れてまで訪ねてみたいと思わせた場所が、このワデズドン・マナーだった。噂を耳にし、好奇心に駆られたヴィクトリア女王は、ついに1890年5月にワデズドン・マナーで開かれた昼食会に赴く。女王は「シャトーの屋根が洒落ている」とひと目で屋敷を気に入り、雌鶏のアルジェリア風料理を食した際には、その美味しさに「自分が城で抱えているシェフたちを見習いに来させたい」と話したというエピソードが残っている。この前年の1889年には屋敷内に電気が引かれており、英国では最先端となる設備に女王は感動。ろうそくの灯ではなく電気で煌々と輝くシャンデリアに興味を引かれ、何度も電気をつけたり消したりさせて楽しんだ。
妻のエヴェリーナ亡き後も独身を貫いたフェルディナンドは1898年、自身の59歳の誕生日に屋敷内の一室でひっそりと息を引き取った。元来病弱であった彼は、ヴィクトリア女王からも賞賛されるほどの上質な食事にゲストたちが舌鼓を打っている間でも、薬のビンに囲まれ、水と冷えたトースト以外は食さず、驚くことに「ワインは『毒』である」として一滴も口にしなかった。
死に際して、友人のローズベリー伯爵に宛てた手紙には「孤独である。たとえ金、銀、大理石に囲まれた生活をしていても苦しい。惨めだ」と、大富豪ゆえの苦悩がつづられていた。財、富、名誉、誉れ高い友人たち ―― 最上級の人生を手にしたように見えたかもしれないが、実際には若いときに亡くした愛妻や子の存在に代わるもの、そして自身の健康は金で手に入れることはできなかった。豪華絢爛で過剰とも言える装飾は、そんなフェルディナンドの心の深部を必死に覆い隠すものだったのかもしれない。
相次ぐ相続人の不在
ワデズドン・マナーはフェルディナンドの死後、妹のアリスが引き継いだ。未婚で子どものいなかったアリスが亡くなると、英国に移住した「パリ分家」のジェームズが相続した。ワデズドン・マナーはこれまでかろうじて一族内で引き継ぐことができているものの、ヨーロッパ中に建てられたロスチャイルド家の屋敷の多くは、相続人不在などで取り壊されてしまっている。生前のフェルディナンドは、ワデズドン・マナーがそのような運命を辿ることを非常に恐れていた。既婚者ではあったが、ジェームズにも子どもがいなかったため、先々代のフェルディナンドの懸念を回避すべく、ジェームズは自身の死後には、一族での管理権は保持しつつも「ナショナル・トラスト」に屋敷を遺贈し、確実に維持・保存していくという方法を選択した。その遺言どおり、ジェームズが世を去った2年後の1959年、ワデズドン・マナーは一般公開されることとなった。現在は「ロンドン分家」6代目で、フェルディナンドの甥孫にあたるジェイコブが管理に当たっている。ちなみに、公開の際には壮麗なアート・コレクションの一部(約300点)が大英博物館に寄贈されており、「Waddesdon Bequest」として同館で見ることができる。
フェルディナンドが集めた珍しい鳥の子孫がいる鳥舎「エイヴィアリー」。
© National Trust, Waddesdon Manor(写真下の3点も)
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ロスチャイルドの世界へ
屋敷内で公開されている部屋は45室。ただ、外気に触れる時間を限定し、貴重なコレクションを状態良く維持していくというナショナル・トラストの管理方針の都合上、屋敷自体の開館時間は4~5時間と短い。さらに、駐車場から屋敷までかなり距離があり(シャトルバスが運行)、広大な庭園にも見どころが複数箇所あるので、有意義に見学するには効率よく周るプランを立てることが大切だ。取材班のおすすめは、午前10時に一足先にオープンする庭園から見学していくコースだ。① まずは屋敷裏手に位置する「パルテール庭園」へ行こう。5万本の花や植物が、噴水を中心にカラフルな絵画のように植えられている。② 正面側に戻り「エイヴィアリー」と呼ばれる、世界中から集められた珍しい鳥が見られる鳥小屋のあるエリアへ。鳥を愛したフェルディナンドのお気に入りの場所だった。エイヴィアリーの先には「バラ園」もある。③ 庭園を楽しんだら、さっそく屋敷内を見学するもよし、マナー・レストランやステーブル・カフェでランチ・タイムとするもよし。マナー・レストランではロスチャイルド家に代々伝わるレシピでつくられたメニューのほか、アフタヌーンティーも楽しめる。そして最後には、別入口となっているロスチャイルド家自慢の「ワインセラー」を見学するのもお忘れなく。
19世紀、ロスチャイルド家がその全盛期にヨーロッパ中に保有していた40以上もの屋敷のうちの多くは、すでに原型を留めていない。そんな中、ワデズドン・マナーは当時の栄華をありのままに伝え、我々を華麗なるロスチャイルドの世界へと誘ってくれる貴重な場所となっている。ロンドンから車でわずか1時間半。つかの間の非日常体験の場所に、ワデズドン・マナーを選んでみるのはいかがだろうか。
食後にゲストたちが集い、カードゲームや音楽を楽しんだりした「グレイ・ドローイング・ルーム」。
19世紀の上流階級の世界を象徴する「ダイニング・ルーム」。
最上級貴賓らが利用した「ステイト・ベッドルーム」。
男性専用棟「バチェラーズ・ウィング」内にある「スモーキング・ルーム」。
ロスチャイルド家の横顔は「ワイン財閥」
実は、これもロスチャイルド家の政治的手腕の賜物だった。
1855年に行われた格付けの時点では、ロンドン分家所有のムートンは2級とされていたのだ。その後、お隣のパリ分家が1級と格付けされていたラフィットのブドウ園を購入したことにライバル心を燃やしたロンドン分家が、ムートンの格付けを上げてもらうべく品質改良、ラベル変更などに着手。さらに当然のごとく、ワイン業界への政治的働きかけも大々的に行った。これによって1973年、異例の格付け改定によりムートンが1級に昇格、現在の5大銘柄となった。この出来事は、フランスの伝統美食の世界にも知略で食い込むロスチャイルド家の底力を如実に物語っている。
ワデズドン・マナーの地下にはワインセラーがあるほか(写真左下)、ワインショップでロスチャイルド・ワイン各種を購入することもできる(同右下)。
Travel Information
※2014年11月18日現在
Photo Chris Lacey © National Trust, Waddesdon Manor
Waddesdon Manor
Near Aylesbury, Buckinghamsihre HP18 0JHTel: 01296-820414
https://waddesdon.org.uk
自動車:M25のジャンクション20で下り、Aylesbury方面に走り、A41に突き当たったら左折、Waddesdon Villageへ。左手にナショナル・トラストのマークが描かれたWaddesdon Manorの標識が見えてくる。ロンドン市内より約90分。
電車:ロンドン・マリルボン駅から乗車、約1時間でAylesbury駅に到着。駅前からローカル・バスでさらに1時間ほど。
オープン時間
2018年10月28日まで
水~金曜 12:00~16:00
土・日曜・バンクホリデー 11:00~16:00
■ツリーやイルミネーションで飾られた、クリスマス・シーズンの特別開館もおすすめ!
2018年11月10日~
水~日曜 11:00~16:00
※庭園・ショップは10:00~17:00
入場料
大人:£22、子ども:£11
5分でわかる、ワデズドン・マナー。本誌編集部が制作した動画もぜひご覧ください。
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週刊ジャーニー No.1031(2018年4月19日)掲載