■米ニューヨークを拠点に活動するピアニスト、西川悟平(にしかわ・ごへい)氏(43)。「指が動かない」というピアニストにとって致命的な難病を、強い意志の力と過酷なリハビリで7年かけて乗り越え、現在も精力的にコンサートを行っている。ロンドン・デビューを2週間後に控えた西川氏に、これまでの波乱の半生と、待望のロンドン公演について話をうかがった。
女神の前髪をつかんだ男
西洋の古いことわざに、「幸運の女神には前髪しかない」というものがある。幸運の女神が通り過ぎた後に慌てて手を伸ばしても、後髪がないのでつかめない。だから「幸運(チャンス)を逃がさないよう、常に準備し努力しなさい」という意味だ。西川氏は夢を諦めずに進み続け、女神の前髪を見事につかみとった一人だ。西川氏がピアノを弾きはじめたのは15歳、中学3年生の時だった。
「ブラスバンド部でチューバを吹いていたんですが、その時の先輩がピアノで演奏したショパンの『ノクターン(夜想曲)第2番』に、身体が震えるほど感動したんです。僕も弾けるようになりたいと思い、必死で練習しました」
これがきっかけとなり、ピアニストへの道を歩むことを決意した。プロを目指すには遅いスタートだったが、防音のためにピアノに布団をまきつけて猛練習。1日12時間近く弾き続けたこともあったという。
大阪音大短期大学部ピアノ科に入学した後、4年制大学への編入を試みるも結果は不合格。結局、地元の和菓子屋に就職した。「短大卒業後にイギリスを旅行した時、西洋文化の素晴らしさに感動するのと同時に『和』の美しさを改めて感じました。その美を学びたくて」。和菓子屋で「和」に触れながら、好きな甘い菓子に囲まれる生活に不満はなかったものの、ピアノの練習は絶対に欠かさなかった。
そんなある日、懇意にしていたピアノの調律師から、ある人物のピアノ公演への出演を打診された。「ニューヨーク在住のピアニスト、故デイヴィッド・ブラッドショー先生が日本ツアーを行った際、大阪公演の前座で演奏しないかと声をかけてもらったんです」。公演当日は、緊張のあまり5回くらい手が止まりかけた未熟な演奏だったというが、「デイヴィッド先生が楽屋で『ユニークでドラマチックなショパンだったね。もっと鍵盤を繊細にコントロールする技術を身につければ、良いピアニストになれるはずだ。すぐにニューヨークへ来なさい』と言ってくださって。半信半疑でしたが、思い切って渡米しました」。
そばを通り抜ける女神をしっかりと捕まえた西川氏は、25歳でニューヨークへ飛び立った。
指が動かない! 難病の発症
ニューヨークで待っていたのは、「想像を超えた夢のような世界」だった。ブラッドショー氏の自宅でピアノを練習しながら、子どもの頃から憧れていた世界中の著名なピアニストたちと会ったり、リンカーンセンターやカーネギーホールなどの有名なコンサートホールで演奏したりと、「毎日が本当にキラキラしていましたね」。ところが、そんな夢のような日々に暗い影が忍び寄る。
ニューヨーク生活の2年目、ふと手に違和感を覚えた。日常生活では普通に動かせるのに、ピアノを弾こうとすると指が硬直するのだ。異変を感じながらも、このチャンスを逃したくない一心で、明け方まで練習し続けていた。しかし症状は悪化の一途をたどり、ついに鍵盤に手を置いた途端、両手が勝手にこぶしを握るようになってしまう。その力は、手に挟んだ割り箸が折れてしまうほどの強さだった。難病「ジストニア」の発症である。
ジストニアとは、脳の神経障害により筋肉が収縮・硬直し、自分の意思で身体の一部を動かせなくなる病気。肉体の一部を酷使する人に発症することが多く、治療法は見つかっていない。西川氏は藁にもすがる思いで5人の医者に診察してもらったが、「二度とピアノは弾けないだろう」と宣告された。
「本当にショックで…その時のことは、あまり覚えていません。膨大な時間を費やした練習もレッスンもすべて無駄になり、未来もないと絶望して、鬱になりました」
でも、ニューヨークを離れようとは思わなかったと話す。「このまま日本へ帰ると、敗者の気持ちを抱えながら一生過ごす気がしたことと、やはりどうしてもピアノが諦められず、デイヴィッド先生と細々とリハビリを続けました」。
諦めなければ、夢は叶う
一筋の希望の光は、思わぬところから差し込んできた。「ニューヨークで僕のデビュー当初の演奏を聴かれた日本人の幼稚園経営者が、指の調子が良くないことを知った上で『ぜひ幼稚園でピアノを教えて欲しい』とチャンスを下さったんです」。子どもたちにせがまれ、指があまり動かない状態でなんとか弾いたのは『きらきら星』。喜んで歌う子どもたちを見て、苦しさの中で忘れかけていたピアノを弾ける喜びや楽しさを思い出したという。動く指が1本でもあるなら、その指を鍛えて、また曲を弾けるようになりたい…。自分の心と身体に向き合い、全力で戦う日々がはじまった。
復帰を目指し、練習曲として選んだのは、プーランクの『即興曲 第15番』。美しく甘美なメロディーに惹かれたことも理由のひとつだが、「この曲なら、右手の指3本と左手の指2本、合計5本指で演奏できるんじゃないかと思って」。西洋・東洋医学、心理療法などあらゆる治療を受けながら、来る日も来る日も練習し、この曲が弾けるようになったのは7年後だった。
今でも左手の中指、薬指、小指は動かない。でも残りの7本で10本分の動きができるように工夫すればいい。伝統的な演奏法ではなくても、「自分」だからこそ届けられる音や思いがあるはず――。ジストニアが発症してから16年。西川氏はそう信じてピアノに向かっている。
「15歳からピアノをはじめて以来、色々な状況で『そんなの絶対無理だよ』『ピアニストとしての復帰は無理です』などと言われてきましたが、結果的にはすべて叶いました。今は7本指での演奏ですが、大好きな俳優のマイケル・J・フォックスさんのパーティーにゲスト出演させていただくなど、夢は叶い続けています。だからこそ、悩みを抱えている方やこれから成長する子どもたちに『諦めなければ、夢は叶うよ』と伝えたい」
意思あるところに道は開ける。リンカーンの言葉が思い浮かんだ。
ロンドンで奇跡の共演
ロンドンでの初公演は、一体どのような内容になるのだろうか?「僕の公演では、演奏以外に必ずトークが入ります。というのは、僕が経験している奇跡的な体験を話して欲しい、というリクエストが日本でもアメリカでも非常に多いんです。なので、演奏と体験談を交互に行うスタイルになります」
曲目は、聴きやすいクラシックや映画音楽が中心になるとのこと。
また、今回の公演には特別ゲストとして、英国の名門ロスチャイルド家出身のソプラノ歌手、シャーロット・ド・ロスチャイルドさんも出演する。ロスチャイルド家といえば、メンデルスゾーン、ショパン、リストなど数々のピアニストたちを支えてきた一族。日本の文化や音楽を愛するシャーロットさんは、日本でも度々公演を行っている。「今回共演できればいいなぁ、と漠然と願っていたら、たまたま共通の友人を介して知り合えました。これも奇跡のひとつですね」と西川氏は笑う。
女神を捕まえるだけでなく、呼び寄せるパワーも秘めた西川氏。その「奇跡の物語」と彼が紡ぎだす音楽を、ぜひ体感していただきたい。
(文/本誌編集部 中小原和美)
週刊ジャーニー No.1003(2017年9月28日)掲載