■ 近年、サドラーズ・ウェルズ劇場での公演が続いている野田秀樹氏(70)。7月2日より同劇場で幕を開ける新作舞台「‒320°F(華氏マイナス320°)」は、第二次世界大戦を筋書きにからめた前作とは異なり、「命」について深く踏み込んだ作品だ。ロンドン公演まで1ヵ月を切った野田氏に、今回の舞台への思いをうかがった。
公演数を倍増
「A Night At The Kabuki」(2022年)、「Love in Action」(2024年)に続き、2年ぶり3回目となるサドラーズ・ウェルズ劇場での新作上演。前々作は3公演、前作は4公演であったのに対し、今回はなんと倍の8公演を行う。
「ちょっと冒険をして、公演数を増やしてみました」と野田氏。タイムズ紙のレビューで星4つを獲得するなど(「A Night At The Kabuki」)、以前上演した2作品とも初日に高い評価を得られたものの、それを見て興味を持った人が「観に行きたい」と思っても、すでにチケットは完売だった。ロンドン公演を行う意味のひとつとして、「私を知らない現地の人に、評判だけでどれだけ観たいと思ってもらえるか。実際に観てもらってどう見るか、見えるのかを知りたい」と語る野田氏にとって、それは非常にもどかしい状況だったという。
ヤング・ヴィックやソーホー劇場といった小劇場で上演していた時は、最初は満席にならなくても、作品の評判が良いと観客動員数は会期後半になるにしたがって伸びていった。
「傲慢に聞こえるといけないんですが、日本だといつも満員なのが当たり前のような状況をずっと続けてきているので、見世物としての原点っていうのかな。『面白いから観客が増える』というのを今回は期待しているんです。サドラーズ・ウェルズのような大きな劇場で、それができるかどうか。まぁ、リスクを背負っている気もするんですけどね」と苦笑する。
「手歌」との出会い
舞台は、現代のとある化石の発掘現場から幕を開ける。発掘チームが捜し求めているのは「天使の骨」。この「天使の骨」の「謎」をめぐって、現代から中世ドイツ、巫女が治める古代日本へと、時空を縦横無尽に行き来しながらストーリーは進んでいく。その壮大な冒険に挑む主人公「タスケテ」を演じるのは阿部サダヲ。さらにメインキャストとして広瀬すず、深津絵里のほか、もちろん野田氏も出演する。
今作の演出では、手話が重要な要素となっている。
「一昨年のクリスマスに、東京でホワイトハンドコーラスのパフォーマンスを観て、その手の動きに大変感動したんです。その時すでに『生命の選択』の話を書こうと思っていたので、ナレーターという形でろう者の役者に出てほしいなと」
ホワイトハンドコーラスとは、視覚が不自由であったり、発声に困難を抱えていたりするなど、様々な「個性」を持った子どもたちで構成された合唱団のこと。目の見えない子は声で歌い(声隊)、発声の難しい子は白い手袋をつけた手で歌の世界を表現し(サイン隊)、ひとつの音楽を紡ぎ上げる。手話をベースに、表情や全身を使って歌詞や情景、感情を表すサイン隊のパフォーマンスは「手歌(しゅか)」と呼ばれ、振り付けや表現に決まりはない。自分たちで考え、話し合いながら形にしていくのが特徴だ。
「手歌をやれないかなと思って、去年1年間、ワークショップを繰り返しました。手話を聞いて、それをどう組み合わせるか、こうやってみるのはどうか、と色々なことを試しながら今回はつくり上げていきましたね」
「優生思想」や「命の価値」は非常にセンシティブな問題であり、正しいか正しくないかの二項対立だけでは割り切れず、容易に扱えるものではない。
「今回は障がいを持つ方の話になっていますが、自分の中でそれがわかっているとか、そういう視点から書いてはいないんです。むしろ『わからない』と言ってもいいくらいで、簡単な問題ではないし、答えはないんです」
舞台上では、10年前に日本で実際に起きた大きな事件を彷彿とさせるエピソードも登場する。だが、その事件を知らないイギリスの観客には、かなり暴力的な場面に見えてしまうのでは…との懸念もある。
「でも、それでも届くかどうかという気持ちはありますね。できるだけ、通り一遍の心地よい物語にしないことが本質かなって」と真剣な表情を浮かべた。
疲れてヘトヘトに…?
さて、圧倒的なスピード感と目まぐるしい場面転換は野田氏の得意とするところだが、「華氏マイナス320°」はそれが特に顕著だ。ぼーっと観ていると、どのシーンが繋がっているのか掴めないままに、気が付いたら雪崩が起きたかのようにドドドドドーッと物語は一気に終盤へ向かい、呆気にとられて終わってしまいかねない。
「昔やっていた劇団(劇団 夢の遊眠社)の頃の作品に近いかもしれませんね。いろんなところに話が飛びながら、それがだんだん『あ、ここに行くのか』と思いもしない場所に連れて行かれてしまう。でも、のんびり観てもらえれば(笑)」
えっ、そんな気楽な感じでいいのでしょうか…⁉
「とはいえ、意外にのんびりできなくて、頭を使わなくちゃいけないから、観終わった後、疲れて疲れて…という声を耳にしますよ。場面がバンバン変わりますからね(笑)」
上演時間は2時間20分(途中休憩なし)だが、「今回はあまり『長い』という言葉を聞かないですね。頭をフル回転させているうちに、あっという間に終わってしまうんだと思います」
現代、中世、古代の時空移動にとどまらず、挟みこまれるモチーフも多岐にわたり、旧約聖書の「バベルの塔」、ゲーテの「ファウスト」、ドイツの民話「ハーメルンの笛吹き男」などが混ざり合う。なかでも一番のポイントが、公演タイトルから繋がりを連想させる米作家レイ・ブラッドベリの「華氏451度」。同作は読書が有害なものとみなされ、本が禁止された近未来が舞台である。発見された本はすべて焼却処分され、人々は思考力や記憶力を次第に失っていく――そうした「考えることをやめた」社会が描かれている。華氏451度とは、紙(本)が燃えはじめる温度のことだが、それでは野田氏が提示する華氏マイナス320°とは、一体何の温度なのか?
「これを読んで興味を持ってくれた日本の方は、イギリスの方を最低1人、1人と言わず2人でも3人でも連れて来ていただけると嬉しいです」と朗らかに笑った野田氏。題材として扱うことが難しい「痛み」に真正面から向き合う真摯さと、それでいてユーモアを失わないしなやかさをあわせ持つ本作を、ぜひ劇場に足を運んで体感していただきたい。
(文/本誌編集部 中小原和美)
撮影:岡本隆史
撮影:岡本隆史
撮影:岡本隆史
撮影:岡本隆史
1955年、長崎県生まれ。 76年東京大学在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成。92年、劇団解散後に文化庁の芸術家在外研修制度(現・新進芸術家海外研修制度)でロンドンに1年間留学。翌93年、「NODA・MAP」を設立。歌舞伎やオペラの脚本・演出、英語劇の創作などを含む幅広い活動を展開。2009年、名誉大英勲章OBEを受勲。09年度朝日賞受賞。11年、紫綬褒章受章。23年1月、その国際的な舞台芸術界における活動を評価され、ISPA2023 で「Distinguished Artist Award」を日本人初受賞。25年3月より、日本芸術院会員。25年、文化功労者。サドラーズ・ウェルズ劇場での舞台上演は「A Night At The Kabuki」(2022年)、「Love in Action」(2024年)に続き、3回目となる。
– 320°F
Minus Three Twenty Fahrenheit
Written & Directed by Hideki Noda
7月2日(木)〜11日(土)- 作・演出
- 野田秀樹
- 出演
- 阿部サダヲ 広瀬すず 深津絵里
大倉孝二 高田聖子 川上友里 橋本さとし
野田秀樹 橋爪功 ほか - 会場
- Sadler's Wells Theatre
Rosebery Avenue, London EC1R 4TN - 開演時間
- 水~金 午後7時30分
土・日 午後2時30分 - チケット
- £15~
https://www.sadlerswells.com/whats-on/noda-map-minus-320-fahrenheit/
https://minus320.co.uk
週刊ジャーニー No.1448(2026年6月11日)掲載












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