© Mball93

■ このままではこの重要な大聖堂が倒壊してしまう…!
イングランド最大級で、
古都ウィンチェスターが誇る大聖堂を救うべく
白羽の矢が立てられたのは…。

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

ロンドンから電車で南西へ小1時間というウィンチェスターは、全体を歩いて周ることのできるこぢんまりとした町。今ではのどかな郊外の町のひとつにすぎないが、かつてはここに、イングランド7王国時代に優勢を極めたウェセックス王国の首都があった。中世らしい閑静な街並みや歴史的建造物などからは、古都ウィンチェスターとしての誇りが感じられる。
ノルマン征服後に首都がロンドンに移された後も、国王戴冠式はウェストミンスター寺院だけでなく、ウィンチェスター大聖堂でも行う必要があったというから、この町がイングランドの歴史上いかに重要な役割を果たしていたかがおわかりいただけるだろう。
かつて7王国時代には、現在の大聖堂の北側に約3分の1の大きさの旧聖堂「オールドミンスター」が存在した。1079〜93年、ノルマン人により新たに大聖堂が建てられると、オールドミンスターは解体された。その後、大聖堂は13、14世紀にかけて拡張され、16世紀に現在のゴシック建築として完成。イングランド最大級の聖堂として知られる。
今から115年前、この由緒正しい大聖堂が倒壊の危機にさらされていた。今、我々が目にする壮麗な姿は、ある男の一騎当千の働きなしには存在しえなかったのである――。

木と泥の上に

1905年1月、ウィンチェスター大聖堂の定期調査を行っていた建築家のJ・B・コルソンは教会の奥内陣(祭壇や聖歌隊席の裏手となる部分)を構成する南側の壁が外側に大きく傾斜していることを懸念し、早急に措置をとる必要があるとの報告書をまとめた。なぜそれほどまで傾斜するに至ったかは定かではなかったが、聖堂が拡張されたという13世紀の工法に理由が隠されているのではないかとコルソンは推測した。
「おそらく基礎が不安定なのだろう。しかし果たしてどうやって基礎を強化すべきか…」、コルソンは頭を痛めた。というのも、大聖堂界隈は海抜が低く、冬には聖堂の地下室が水浸しになることも少なくないからだ。水浸しの状態では基礎に手を加えることもできない、今できることは、傾斜している壁に木の支柱をつっかえ棒として何本も添え立て、これ以上壁が倒れないように支えることぐらいだろう――コルソンはそう提案し、この傾斜を軽視すべきではないと警鐘を鳴らした。
聖堂参事会から助言を求められたウィンチェスター教区の建築顧問、トーマス・ジャクソンは、壁の外側を掘り進み、地盤調査を実施。すると、床下から数メートル下方に、13世紀の職人たちが基礎として敷いた流木が露になった。しかも、その流木の数十センチ下方には分厚い泥炭の層が広がる。コルソンの推測どおり、「木と泥」では600年以上にわたる石造建築の重みに耐えかね、基礎が揺らぎ、壁が傾くのも無理はなかった。
不幸中の幸いは、泥炭のさらに下層は硬質の砂利層になっていることだ。この砂利層ならどんな重みにも耐えられる。問題は、基礎から砂利層までの3メートル弱の隙間をどうやって埋めるかだ。そこで次の5つの措置が提案される。
①コルソンの案の通り、壁を木の支柱で支えること、②奥内陣のアーチ天井を木の梁で固定すること、③南北の壁を鋼棒でつなぎ、壁の傾斜を防ぐこと、④壁内の小さな隙間や穴に液状セメントを流し込み塗り固めて強化すること、⑤壁は砂利層を基礎とするべく、新しい建材で基礎固めをすること。
最も困難を極めたのは⑤の基礎の補強であった。まず流木を切り外し、泥炭を掘り起こす。そして現在の床面から砂利層までの隙間を硬質の建材で埋めていくというのが計画であるが、泥炭を掘り起こすと同時に地下水が満ちてきて、水位は作業が可能なレベルのまま下がっていてはくれない。強力ポンプで水を吸い上げる方法は、泥炭だけでなく硬質な地盤をも削り取り、壁の倒壊をむしろ促す危険性をはらんでいた。
ポンプを使わずに作業するにはどうすればいいか。そこであるアイディアが浮上する。「ダイバー(潜水士)ならできるかもしれない!」。
こうして2人の潜水士が候補者としてウィンチェスターに召喚された。

熟練ダイバー参上

当時のダイバーの仕事といえば、漁業はもちろん、港湾建設などの水中土木作業のほか、海難救助、沈没船引き上げなど軍事上、保全上にまつわるものが主であった。
当時の一般的な潜水方法は、水上からホースで空気を供給する「ヘルメット式潜水」(1820年頃発明、右頁参照)。しかし空気供給ホースが水中の障害物に絡まる危険性や、手動による空気供給を誤った場合に高気圧障害や窒息死を引き起こす可能性もあり、ダイバーには熟練したノウハウと強靭な肉体が要求される。さらに、水中で安定した姿勢を取ることができるよう装備重量がとりわけ大きいのが特徴で、そのため水上では1人で移動することが難しく、水中での機動性もきわめて低かった。
ウィリアム・ウォーカー(1869〜1918年)がウィンチェスターに召喚された時、彼はロンドンのヴィクトリア埠頭で働いていた。英国王室海軍にて上等水兵であったウォーカーは潜水の訓練を受け、21歳にして英国のトップクラスのダイバーになった。数年後に除隊してからは、民間のダイビング会社に所属、チーフ・ダイバーに昇格し、ジブラルタル軍港での4年の赴任を終え、英国に戻ったばかりであった。37歳、経験に裏打ちされた自信にあふれ、男性として最も脂の乗った時期でもある。候補者のうち、ウォーカーが抜きん出ていることは誰の目にも明らかであった。

左:修復中の大聖堂 ©Dr John Crook/Chapter of Winchester/The works in progress on the north side of the east end of the cathedral.
右:大聖堂を救ったウォーカーの胸像が聖堂内に飾られている。

ヘルメット式潜水とは?

ダイバーが自動呼吸装置を伴うスキューバ(Scuba = self-contained underwater breathing apparatus)が1950年代に普及するまでは、このヘルメット式潜水が唯一の潜水方だったとされる。ダイバーは、ゴム引き帆布などの防水素材による潜水服とガラス窓のついた真鍮製のヘルメットを着用。このヘルメットには空気供給ホースの接続口や排気バルブ、水上と交信するための通信装置などが取り付けられており、ダイバーは潜水服内の空気量を手動で調節しなくてはならない仕組みになっていた。この方式は、空気ポンプさえ正常に作動していれば、時間の制限なしに潜水可能な上、潜水服やヘルメットがかなり大きめに作られているため、万が一、空気ポンプの誤作動で空気提供が断たれても、ダイバーは潜水服内の空気で5分程度は生存できるという利点がある。

暗闇の5年半

聖堂参事会から大きな期待が寄せられたウォーカーには、以下の任務が課せられた。
まず、土木作業員が壁の外側に1メートル強幅の細い溝を掘り進め、古い基礎として使われていた流木を切り出す。そこにウォーカーが潜り込み、泥炭を掻き出す。と同時に、地下水はどんどん満ちてくるので、ウォーカーはその真っ黒な泥水の中をさらに潜水し、泥炭をかきわけながら壁の真下へと潜り込む。土木作業員はその泥炭を取り除き、地下水が澄んできたら、コンクリートバッグ、コンクリートブロック、レンガなどを壁下のウォーカーに送る。ウォーカーはそれらをひとつひとつ積み上げ、砂利層から床下までを埋めていく。この間、ウォーカーの視界は真っ暗で手の感覚だけを頼りに作業するしかない。ウォーカーの積み上げ作業が終わり、コンクリートが2、3時間して固まると、初めてポンプによる水の汲み上げが可能になり、その後は完全に水を排除した状態での補強作業ができるようになる。
と、書きまとめると、きわめて秩序だっておりその困難さが伝わらないかも知れないが、1日6時間潜り続けても5年半の月日を要したといえば、この一連の作業がどれほど気の遠くなる道のりであったか察しがつくだろう。
古い基礎を新しく差し替えるこの作業は、壁が倒れる危険性を常に伴うため、一度に大きな面積に着手するわけにはいかず、狭い範囲を地道にやり進める必要があった。当時、優秀な潜水士が限られていた背景もあるが、一度に何人もの潜水士が作業することは物理的に不可能だったのである。
ウォーカーの潜り口として掘られた溝の数はなんと235ヵ所。作業が5年5ヵ月に及んだことを考えると、1年に約43ヵ所、つまり、1ヵ所の溝の作業を終えるのに約1週間かかった計算になる。ちなみに彼の積み上げたコンクリートバッグは2万5800個、コンクリートブロックは11万4900個、レンガは90万個にのぼったと伝えられている。

聖堂地下室は大聖堂の中でも最古の部分。中央に立つのは、1986年に設置された現代彫刻家アントニー・ゴームリーによる作品「サウンドII」。今でもこの彫刻の腰の部分まで浸水することがあるという。© David Spender

蘇った大聖堂

6年におよぶプロジェクトに費やされた総工費は現在の金額で5000万ポンド以上におよんだ。自治体からの援助はなく、聖堂参事会にとっては資金調達が何より悩みの種であった。人件費が賄えず、土木作業員を解雇せざるを得ないこともしばしばであったという。それでも国王を含め、寛大なスポンサーたちが名乗りを挙げ、1911年8月上旬、ウォーカーの使命は果たされた。ウィンチェスター大聖堂はついに倒壊の危機から救われたのである。
それから7年後の1918年10月31日、ウォーカーはヨーロッパ中に蔓延したスペイン風邪に罹患し、この世を去ってしまう。トップダイバーとして強靭な肉体を持っていたウォーカーだが、伝染病の猛威には打ち勝つことはできなかったのである。享年49。あまりにあっけない英雄の最期であった。
暗闇の中、その手の感触だけを頼りに働き続けた5年半―。イングランドの歴史を背負ったウィンチェスター大聖堂が倒壊していたかもしれない事実を考えるとき、彼の偉業は聖人の域に達していると思わざるをないのである。

1912年7月15日に執り行われた、修復完了を祝う感謝祭。ジョージ5世と王妃メアリーをのせた馬車がアルフレッド大王像のそばを過ぎゆくのを群集が見守る。セレモニーで国王は「あなたの力で聖堂を救うことができたのですね」とウォーカーに賛辞を伝えた。© Dr John Crook/Chapter of Winchester
大聖堂を救った ダイバーの物語を 動画で見よう!

中世の香り漂う古都ウィンチェスターに行こう! 2020年7月24日現在
ロンドンからのアクセス

電車: ウォータールー駅から約1時間

車:南西に70マイル程度(M3をジャンクション9で下車)。

観光スポット

■ウィンチェスター大聖堂(Winchester Cathedral)…リチャード1世の戴冠式やメアリー1世とフェリペ2世の結婚式が行われた。また、作家ジェーン・オースティンの墓碑もある。

■ウィンチェスター城(Winchester Castle)…1067年に建てられたウィンチェスター城が14世紀に大火で焼け、グレート・ホールだけが残る。アーサー王物語に登場する「円卓の騎士」たちの名が記されている「アーサー王の円卓」が掲げられている。

町を見据えるウェセックス王・アルフレッド大王の像

■ ウィンチェスター・カレッジ(Winchester College)…イートン校、ハロー校と並ぶ3大名門校のひとつ。ガイドツアーは現在休止中。

■ウルヴァジー城(Wolvesey Castle)…メアリー1世とフェリペ2世の披露祝賀会が行われた城跡(廃墟)。

■ジェーン・オースティン記念館(Jane Austen's House Museum)…ジェーン・オースティンが晩年を過ごした家。現在は博物館(新型コロナの影響で閉鎖中)。中心部から約25キロ。

週刊ジャーニー No.1048(2020年7月30日)掲載