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■ 第267話 ■通信料高過ぎて日本蚊帳の外?

▶海底ケーブルが敷設され、長崎とウラジオストク、そして上海が繋がったと書いた。明治5年(1872年)のことだ。ウラジオストクから先は既に電線がモスクワへと伸びていた。さらにそこからヨーロッパ各地へも繋がっていたからこの時点で長崎はヨーロッパ各国と繋がったと言っていい。繋がったと言ってもトンツーという微弱なモールス信号が届く程度。それでテープに凹凸をつけたり、針を動かして記録。それを人が解読して書き起こすという息も絶え絶え、心もとない通信だった。

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▶届いたメッセージも最後は人が運んだ。電報だ。誰もが携帯電話を持ち歩くようになった現代は一人一人が通信基地局を持ち歩くようになったということだ。ヨーロッパから送った情報が数日内に極東に届くというのは150年前の世界では画期的なことだった。世界初の実用的海底ケーブルは1850年にドーバー海峡に敷設された。これを機に海底ケーブルはブームとなり、イギリスからアイルランドやベルギー、オランダへ。さらに黒海や地中海など25本もの海底ケーブルが敷設された。しかしアメリカは遠い。すんごい遠い。最短ルートとしてアイルランド西部とニューファンドランド島を結ぶ3000キロの直線ルートが選ばれた。さらにケーブルを水深3000メートルの海底に沈めなければならない。相当な難工事が予想された。英物理学者ウィリアム・トムソンは同物理学者マイケル・ファラデーが発見した電気方程式から「通信速度はケーブルの断面積に比例し、長さの二乗に反比例する」と主張した。何言ってんだ? 要は細いケーブルでは長くなればなるほど伝送速度が遅くなるということらしい。ところがケーブルを太くすれば製造コストが嵩む。敷設作業に携わる船の数も増やさざるを得ない。既に細いケーブルの一部は出来上がっていた。今更、太いケーブルに変更する予算も時間もなし。結局トムソンの警告は例のごとく「学者の言葉遊び」として黙殺された。

ウィリアム・トムソン
ウィリアム・トムソンですが、何か?

▶作業は困難を極めた。ケーブル敷設船は度々嵐に巻き込まれた。さらにケーブルが途中で切れ、作業を一からやり直しとなることもあった。何度も失敗を繰り返した末、1858年に大西洋横断ケーブルが開通。ヴィクトリア女王はブキャナン米大統領に祝電を送った。98語のメッセージはアメリカに伝わるまで16時間を要した。しかし開通から2ヵ月でこのケーブルは信号の減衰を起こし使えなくなった。トムソンは正しかった。英政府は慌ててトムソンを呼び戻し、主任に据えて大西洋横断ケーブル敷設に再チャレンジ。そして1866年、正式に開通した。トムソンは後に男爵位を与えられケルヴィン卿となった。


▶ようやく完成した大西洋横断ケーブルだが、使用料が鼻血ブー級。開通時のお代は最初の20語以内が基本料で20ポンド。一般的労働者の年俸が60から80ポンドの時代。現代の年俸が6万ポンドとすると最初の20語2万ポンド。高額過ぎるので文章の暗号化が進んだ。日本でも同様のことが起きた。1872年、長崎からロンドンまでの通信料は20語まで26.5円。当時の1円は今の3~4万円と言うから約80~106万円。誰が使えるの? 海底ケーブルとは主に外国の政府や銀行、商社、そして投資家のためにあったってことだ。せっかく長崎が北京やヨーロッパと繋がっても日本人はほぼ蚊帳の外。メソメソしたところで次号に続く。チャンネルはそのままだ。

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週刊ジャーニー No.1389(2025年4月17日)掲載

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