
■ 第266話 ■イギリス躍進、海の底の立役者
▶19世紀後半に大英帝国が飛び抜けた大国となった理由は一つではない。他国に先駆けて達成した産業革命と交通革命、世界最強海軍、高度な金融システム、強引で狡猾な外交など色々ある。一方、目に見えない所に置かれているのであまり光が当たらないけど、海底ケーブルも大英帝国の躍進に大いに寄与していた。海底ケーブルの絶縁物質としてガッタパーチャという木の樹液が使われたと以前書いた。高い絶縁性を持つ点はゴムと同じだが、ガッタパーチャは水に溶けず低温で硬くなるなど海底ケーブルに最適だった。ガッタパーチャは今、目にする機会はほぼないが1933年にポリエチレンに取って代わられるまで長い間、国際通信を海の深い所から支え続けた。
▶ガッタパーチャの原産地はスマトラ島、ボルネオ島、そしてマレー半島辺り。要するにイギリスがオランダから分捕って新たな縄張りとした一帯だ。1845年にはロンドンでガッタパーチャ社が創業。ガッタパーチャをほぼ独占した。イギリスは複数あった電信会社全てを国有化。次々と海底ケーブルを敷設して海外と繋いだ。中でも大英帝国が精力を傾けて繋いだのが植民地インド。インドとは既に陸上のケーブルで繋がっていたが元々性能が悪い上に老朽化が進んでいた。そこでイギリスからイベリア半島、地中海、スエズを経由してインドのムンバイが繋げられた。1870年のことだ。更に2年後にはムンバイからオーストラリアへの海底ケーブルも敷設された。

▶イギリスは自国領以外を通る電信回線は安全保障上のリスクが多いと考えた。ひとたび戦争が始まれば敵に回線を切断されるなど通信が妨害される恐れがあるためだ。事実、第一次世界大戦が勃発するとイギリスはドイツが敷設した海底ケーブルをぶった切って妨害しまくった。そこでイギリスは当時植民地だった国と国を結んで巨大なケーブルのネットワークを作り上げた。赤く塗られた植民地が赤いケーブルで繋がったこのネットワークは「オール・レッド・ライン」と呼ばれた。
▶フランスやドイツ、アメリカがイギリスのケーブル網を「いいなあ~」と指をくわえて眺めていた訳ではない。彼らも独自にケーブルを敷設したがなんせガッタパーチャがイギリスにほぼ独占されている。19世紀の終わり頃、世界には海底ケーブル敷設船が30隻存在したが、24隻はイギリスの企業所有だった。1892年には世界に敷設された海底ケーブルの3分の2をイギリスが運用していた。各国は時に情報ダダ洩れ覚悟でイギリスの高額な回線を使わざるを得なかった。イギリスは他国の電報を盗聴し、わざと電信を遅らせるなどジェントルマンぶりを発揮。1899年に始まったボーア戦争では敵対するフランスと南アフリカの電報を全て検閲。暗号化された電報は無視して送らないなど英国紳士的特大いじわるを実行した。イギリスはこの時、世界の情勢をいち早く知る優位な立場にいた。やっぱこれくらいやらないと天下は取れないのね。
▶「オール・レッド・ライン」。日本が全く絡んでいない。日本とイギリスが直で繋がるのは日英同盟が締結された1902年のこと。同盟以前、イギリスは日本をさほど重要視していなかったってこと?そうじゃない。ウラジオストクと海底ケーブルで繋がった長崎には、ちゃっかりロイターの通信員がへばりついていたって前々号で言ったじゃんってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1388(2025年4月10日)掲載
他のグダグダ雑記帳を読む