
■ 第273話 ■明治日本とフランケンシュタイン
▶戊辰戦争の砲煙の中から誕生した明治日本。将軍が去り、天皇を中心に据えた立憲君主制国家が誕生した。明治政府は欧米のシステムを大いにパクった。イギリスの議会制に倣い庶民院・貴族院二院制を実現するためイギリスの貴族を真似て華族を急造した。政府は藩の土地と人民を政府に返上させた。「版籍奉還」だ。利権を取り上げるだけだと不満がバクハツするので藩が抱えていた借金を肩代わりし、藩主らに「華族」という耳障りの良いタイトルを与えて持ち上げた。割と上手くいった。
▶華族制度は「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」とイギリスの爵位をそのまま丸パクリ。5つの爵位のうち「公爵」と「侯爵」の2つを同じ音にしたのは大迷惑。飲み会の席で知ったかぶりする時「おおやけの方の公爵ね」「そうろうの方の侯爵ね。そっちのそうろうじゃないよ」と説明しなければならず毎回「セクハラだ」と怒られる。しかしイギリスでは公爵と侯爵ではレベルが天地ほど違うのではっきりさせる必要がある。さらに「男爵」。イギリスの「男爵」には女性もいる。その場合は苦肉の策で「女男爵」と訳す羽目になり意味不明で大迷惑。誰だ最初に訳したの?いずれにしても華族に選ばれたのは旧公家や旧大名、明治維新功労者、富豪など。模倣先のイギリス。貴族制度は1066年にイングランドを破ったノルマンディー公ウィリアム1世がフランス式を持ち込んだとされる。騎士上がりの貴族はほぼ消滅。色々変化したけど貴族制度は今も続いている。なのでイギリスの貴族制度には1000年近い歴史がある。それを即席コピーした日本の華族だったが敗戦後、日本国憲法施行と共に廃止。華族制度は63年間で終わった。

▶筆者は明治日本が採用した立憲君主制のモデルはイギリスだと信じていた。ところが実際はプロシアだった。明治の要人たちもヨーロッパ史をよく研究した。イギリスとフランスは革命という下からの突き上げがあって出来上がった民衆寄りの政体。これから天皇を中心に据えて富国強兵、殖産興業を掲げ、西欧に追いつこうと鼻息荒い明治政府に民主主義は邪魔くさかった。国家と天皇に権力を集中し中央集権制を推進するには皇帝が強大な権力を持つプロシア流の方が望ましい。イギリスの君臨すれども統治しない国王では都合が悪かった。
▶憲法もプロシア流が採用された。イギリスは成文憲法が存在せず具体的なモデルになりづらかった。フランスの共和制は君主制を否定する体制。明治政府には適さなかった。大日本帝国憲法制定にあたり政府はドイツから法学者のアルベルト・モッセを招聘。モッセは後に「明治憲法の父」と呼ばれた。ユダヤ人だった。久しぶりに登場したユダヤ人。実はお雇い外国人の中にはユダヤ人が大勢いた。政体と憲法はプロシア、議会と海軍はイギリス、警察はフランス。陸軍は初めフランスで後にドイツに変更。農業や教育分野では主にアメリカ式が採用された。理想の人間を創ろうとしたフランケンシュタイン。しかしツギハギ男はやがて怪物と化し悲惨な結末を迎える。明治日本も欧米のいいとこ取りしたツギハギ国家。日本が理想としたドイツ帝国はやがて未熟で無能な皇帝が暴走して破滅へと向かう。明治日本は初めからボタンを掛け違えていたのかもねってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1395(2025年5月29日)掲載
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