
■ 第271話 ■江戸幕府、倒すほど酷かった?
▶ペリー来航から約15年後、徳川幕府が終わった。筆者、明治維新とは攘夷を叫んだ薩摩や長州が列強と戦争する中、「西洋すげえ」に変わり、攘夷捨てて倒幕に向かったと教わった。筆者はこのコラムを通じて欧米で起きた革命について学んだ。イギリスの清教徒革命。お隣のフランス革命、そしてアメリカの独立革命だ。イギリスとフランスの革命はいずれも倒す相手は絶対王政だった。王権は神からの授かりものなどと寝言いう王様が議会無視。国民に重税課し、好き勝手やったから両国の王様、どちらも最後は首刎ねられた。アメリカは過酷な関税を課すイギリスのイジメに耐え兼ねて戦いを挑み、独立を勝ち取った。いずれも絶対君主や宗主国など、生活を脅かす支配者に対して被支配者たちが立ち上がったものだ。
▶一方の明治維新。徳川幕府とは倒されて当然の存在だったのか。江戸の大半が丸焼けになった1657年の明暦の大火。この時、江戸城の天守も焼けた。再建を叫ぶ声もあったが、幕府は庶民の生活復興を優先した。そのため天守はついに再建されなかった。1807年、富士山が大噴火し関東一円が灰に埋まり農作物が壊滅状態となった。幕府は各藩から義援金を募って復興にあたった。自力での復興は無理と判断した小田原藩は領地の半分を幕府に返上して救済を求めた。幕府はこれを引き受け、長い年月をかけて火山灰まみれの土地を改良した。その後、領地を小田原藩に返した。なんか徳川幕府、素敵じゃん。

▶もちろん江戸期を通じて誰もがずっとハッピーだった訳じゃない。厳しい年貢米の取り立てに一揆も起これば打ちこわしもあった。でも、欧米のように体制を転覆させるようなエネルギーの蓄積は起こらなかった。識字率は当時のどの国よりも高かった。江戸後期、男子では50~70%、女子で20~50%が読み書きできたと言われ、特に江戸や大坂、京都など大都市では高かった。日本には主に武家の子らが通う藩校から庶民向けの寺子屋があった。同時期のイギリス。貴族や新興資産家の子息らは家庭教師や寄宿制の学校で教育を受けた。しかし庶民は幼少期より労働力として炭坑や農作業、工場勤務などに駆り出されたため識字率は日本より遥かに低かった。
▶江戸後期には北斎や広重に代表される浮世絵や美術、歌舞伎や人形浄瑠璃などの演劇や娯楽の他、庶民向け小説が大流行。東海道中膝栗毛や南総里見八犬伝など出版ブームが起きた。地方では祭が隆盛で、田楽など農村芸能も盛んになった。伊勢参りや善光寺参りなど巡礼ブームも起きた。もちろん格差もあったし、天災も多かった。役人の不正も横行して国民皆がハッピッピだった訳じゃない。でもそれって今もさほど変わらない。むしろ政治腐敗は今の方が酷いのかも。江戸幕府は少なくとも英米仏と比べて革命が起きる必然性があったとは到底思えないほど良く機能していたように見える。なのにペリーが来てからわずか15年で徳川幕府は大政を奉還した。そして島原の乱(1638年)以来、200年以上も戦争をしてこなかった平和の国、日本が明治維新後、何かに取り憑かれたかのように日清、日露、そして2つの世界大戦へと突き進んで行く。何か変だと思わない? あら思わない! なんとなく独りぼっちになったところで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1393(2025年5月15日)掲載
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