
■ 第282話 ■対馬を盗もうとしたヤツら
▶前号をもって幕末明治を離れるはずだった。しかし一つ書き残しがあり後ろ髪クイクイでウジウジ。なので書いちゃう。舞台は対馬。南下政策を進めるロシアは18世紀末から日本近海に出没し始めた。1792年にはラクスマンが日本との通商を求めて根室に。1804年にはレザノフら外交使節が長崎に来航。その後も樺太や択捉などに上陸し乱暴狼藉を働いた。1853年にはプチャーチンが浦賀に来航、1855年に正式に日露和親条約が締結され、下田、函館、長崎が開港された。日露間でざっくり国境が画定したが樺太に関してはうやむや。しかし事件は和親条約を結んだ後、それも国境ムニャムニャの樺太ではなく、明確に日本領だった対馬で起きた。
▶1861年3月14日、ロシアの軍艦ポサドニックが対馬に現れた。艦長は海軍中尉ビリリョフ。目的は対馬の一部を永久租借した上での軍港建設。図々しい。ロシアはつい7年前、クリミア戦争で英仏が支援するオスマン帝国に敗北。その後イランやアフガニスタンを狙うもイギリスに邪魔され、視線を東アジアに向けたところだった。どれもこれもチェスに例えられる英露「グレートゲーム」の一局面。ロシアはイギリスが次に対馬を取りに行くと読んで先に駒を動かした。日本の都合はまるで無視。このコラム、書いているとどんどん白人が嫌いになってくる。しかしヘイトだ、差別だと批判されるから今日のところはこの辺で勘弁しといてやらぁ。

▶対馬藩はビリリョフに「速やかに退去せよ」と抗議。しかしビリリョフは壊れた艦の修理を理由に工場の設営資材や食料を要求。それどころか遊女まで寄越せと言ってきた。どういう神経? 殺意芽生える図々しさ。遂に無断で対馬に上陸。許可なく兵舎や工場、練兵場の建設を始め、動物を捕獲し、島の婦女子に手を出すなどの暴挙に出た。対馬藩内では「許せん。武力で排除じゃ」と叫ぶ強硬派と「まあまあまあ」の穏健派が紛糾。その間、日本の警備兵1名が射殺され、2人が捕虜となり、うち1人は舌を噛んで死んだ。反撃なしとみたロシアの暴走は加速。住民が拉致され牛7頭が強奪され、村落で略奪行為も行った。もはや海賊。海軍のすることではない。対馬藩は近隣の藩に相談するも有効な手は打てず、遂に幕府に報告。驚いた幕府はアメリカ帰りで外国奉行だった小栗忠順(ただまさ)を対馬に派遣したが交渉は不調に終わった。
▶ある日、対馬沖に軍艦2隻が現れた。英東洋艦隊所属の艦だ。英軍艦はポサドニック号を威嚇した。それまで黙って経過を見ていたロシア総領事は「イギリスの奴らめ、俺たちが駒を動かすと必ず妨害に現れる。対馬は無理だ」と判断しビリリョフを説得。来航から約半年後の8月15日、ポサドニック号は対馬から撤退した。 これが「ポサドニック号事件」、別名「ロシア軍艦対馬占領事件」だ。「イギリスの旦那、助かりやした」と礼を言うのは早過ぎる。この時、イギリスも対馬を「東洋のジブラルタル」と位置づけ、調査を進めていた。イギリスは救世主でも正義の味方でも何でもない。要は「俺の女に手を出すな」ってことだ。事実、この翌年に生麦事件が起こり、薩英戦争が勃発する。帝国主義の時代は弱肉強食。備えのない国は極悪列強国の前ではデリシャスなカモ。「危なかった」と溜息つきながら次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1404(2025年7月31日)掲載
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