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■ 第263話 ■海底ケーブルとゴルフボール

▶ついこの間まで「攘夷、じょ~い」と叫んで異人をぶった斬っていたのに維新成ってわずか5年後には海底ケーブルで世界と繋がった日本。鎖国が長かった日本に大急ぎで繋がらなきゃいけない外国があるはずもない。長崎経由で上海と繋がりたい連中が海外にいただけだ。海底ケーブルが世界で初めて敷設されたのは1850年のこと。英ドーバーと仏カレー間だった。その7年前の1843年、テムズ川に沈めたケーブルのテストは失敗に終わった。電線を覆う絶縁物質としてゴムが使われたが、ゴムは水に長時間浸けておくとすぐに劣化した。川でダメなら海なんか到底ムリ。

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▶一旦とん挫した海底ケーブルだったけど、すぐに道が開けた。マレー原住民が日常で使っていたゴムに似た樹脂「ガッタパーチャ」との出会いだ。ガッタパーチャは高い絶縁性を持つだけでなく、水に溶けず低温で硬くなった。全ての特徴が「海底ケーブルに最適!」と主張していた。初期のゴルフボールは革の中に羽毛をぎっしりと詰めて縫い合わせたものでフェザーボールと呼ばれた。職人が一個一個、丹精込めて作るものでとても高価だった。羽毛から出る粉塵を吸い込むボール職人の多くが早死にした。そこに登場したのがガッタパーチャボールだ。樹脂を型でプレスしたものでボールが傷ついたり変形しても温めてプレスすれば何度も使えた。値段も手頃だったため皆飛びついた。慌てたのはボール職人たち。「フェザーボールが売れなくなっちまう」ってんでガッタパーチャボールを買い集めては燃やした。しかし需要の大波は止められない。職人たちはフェザーボールを諦めてガッタパーチャボールを売ったとさ。えっと、海底ケーブルどこ行った?

パリのルーブル宮殿に設置された腕木通信施設
パリのルーブル宮殿に設置された腕木通信施設ですが、何か?

▶海底ケーブルの登場で古くからの通信が次々と姿を消していった。かつてヨーロッパの通信は日本同様、馬や飛脚が主流だった。その後「腕木(うでぎ)通信」が盛んになった。これは各ポイントに配置された職員が屋根の上のアームの形を変えることで隣のポイントにメッセージを伝える仕組み。要はバケツリレーだが手旗信号より遥かに多くの暗号情報を伝達できた。他に伝書鳩もよく使われた。その後、電気通信が発達しさらに海底ケーブルが誕生したことでこういう古(いにしえ)の通信手段が一斉に過去のものとなった。


▶19世紀に入るとヨーロッパ各国は人や動物に頼らない近代的通信システムの開発に躍起になった。理由はもちろんナポレオン戦争にある。戦争は情報が命。情報をないがしろにしていくさに勝利した武将の話を聞いたことがない。逆に情報を軽んじて負けちゃったダメ武将やクズ上司の話はよく聞く。情報を欲しがったのは軍や兵器メーカーだけじゃない。勝った負けたで国債や株価が激震するため投資家たちは誰よりも早く正確な情報を入手したがった。そうすると重宝がられるのが戦況を伝える通信社だ。1835年、フランスでアヴァスという通信社が誕生した。AFP通信の母体だ。このアヴァスに2人のドイツ語翻訳スタッフがいた。彼らはやがてアヴァスを退社し、それぞれ通信社を設立した。一つはヴォルク電報局、もう一つはロイターだ。この3つの通信社が時に手を組み、時に激しく対立しながら世界の通信を独占していく。そして長らく世界の情報を牛耳ることになるこの3社には例によってある共通点があったってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。

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ジャパンサービス
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週刊ジャーニー No.1385(2025年3月20日)掲載

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