
■ 第260話 ■インドのロスチャイルド
▶紀元70年、パレスチナを追われて離散したユダヤ人たち。その一部は現在のイラクやイランなどにも避難した。ユダヤ人のサスーン家は18世紀にメソポタミア地方で台頭した。初代ディビッド・サスーンはバグダッドで財を成したが迫害に遭って1832年にインドのボンベイへ移住。アヘン貿易に手を染め、清をアヘン漬けにして莫大な富を手に入れた。1840年、清朝は英国船からアヘン4万箱を押収して焼却。これにサスーン家やジャーディン・マセソンなどのユダヤ系商社が激怒。英政府に軍隊を出させて戦争を仕掛けた。アヘン戦争だ。清は圧倒的な近代火器の前にボッコボコにされた。香港は植民地化され、上海などを開港させられた。イギリスのやり口、ほぼヤクザ。アメリカで南北戦争が勃発し、綿花輸出が止まるとサスーン家はインド産の綿花をせっせとイギリスに送った。ピンチを救った功績が認められ英国籍が与えられた。
▶初代が死ぬと1865年、サスーン家主導で香港上海銀行が設立された。アヘンで稼いだ金をイギリスに移すために作られた銀行と言われる。二代目の長男アブドゥラは造船や海運業に進出し、拠点をロンドンに移した。名前をアルバートと英国風に変え「インドのロスチャイルド」と呼ばれるようになった。ビクトリア女王の長男エドワード皇太子やロスチャイルド家としっかり仲良くなりナイトの称号までもらい、英語はできなかったけど立派な英国紳士となった。さらに3代目のエドワードはロスチャイルドのパリ家の娘と結婚。ちゃっかりロスチャイルドファミリーになっちゃった。次男エライアスは英東インド会社が解散した後、ロスチャイルドグループとして同社の持つ巨大な利権を引き継いでこれまた大儲け。「香港キング」と呼ばれた。

▶上海では不動産業に進出。上海の不動産の5%をサスーン家が所有していたと言われる。1930年代、ドイツやヨーロッパでユダヤ人排斥の動きが活発化すると多くのユダヤ難民が上海に逃れて来た。その数およそ2万人と言われる。リトアニア領事だった杉原千畝がナチスからの圧力に屈せずユダヤ人に21日間の日本通過ビザを発給。約6千人のユダヤ人を救ったとされる。ところが日本に到達した彼らは受け入れ先のオランダ領キュラソーに渡ることが出来なかった。日本通過ビザの期限が切れたユダヤ人の一部は仕方なく上海に渡った。この時、上海にいた日本軍は日露戦争時に日本国債を大量に買って支えてくれた恩もあったためユダヤ人を手厚く保護した。しかしやがてナチスの高官が上海にまでやって来てユダヤ人たちは急ごしらえのゲットーに押し込められたという。知らなかった。行った事ないけど、上海には歴史上のドロドロしたドラマがいっぱい詰まっていそうだ。
▶いずれにしてもトーマス・グラバーが長崎に到着した頃の上海で存在感を放っていたのはイギリス人やアメリカ人よりもユダヤ人だった。そしてその中でも特に力を誇っていたのがサスーン家だ。ちなみに有名な英美容界のヴィダル・サスーンもユダヤ系だけど、2つのサスーン家に繋がりは見つからない。幕末、日本は尊王攘夷から突然倒幕に方向転換。260年も続いた徳川の世はあっけなく終わった。そして幕府崩壊の土ぼこりの中から誕生した新生日本はなぜかイギリスそっくりだった。よ~く考えたら変な話じゃね? ってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1382(2025年2月27日)掲載
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