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■ 第174話 ■ニューヨーク、誕生前夜

▶スペインから独立を果たして勢いづいたオランダがブラジルにやって来た。そしてポルトガルが支配していたブラジル北東部を奪い、強引にオランダ領とした(後に返還)。一方でオランダ東インド会社は1609年、イギリス人航海士ヘンリー・ハドソンを新航路探索に向かわせた。当時地球上の海はスペインとポルトガルの2国がほぼ支配していた。ハドソンの使命はその隙をついてアジアに抜ける新ルートを発見することにあった。中南米を取り巻く海にはスペインやポルトガルの軍艦がウヨウヨいた。ハドソンは北米のどこかにアジアに通じる抜け道がないかと考えた。北極ルートはハドソンを含め、挑んだ者がことごとく分厚い氷に阻まれて失敗していた。

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▶大き目の川を見つけては奥地に船を進めた。ある日ハドソンらは、いい感じの川を見つけて遡上した。川幅はすぐに狭くなり、通り抜けられないことを知った。がっかりハドソンだったが流域に大量のビーバーやカワウソを見た。オランダ東インド会社は毛皮で一儲けしようと企み1626年、一帯をニュー・ネーデルランド植民地にすると宣言した。さらに四方を川に囲まれた天然の要塞のような細長い島の先っちょに拠点を置き、ニュー・アムステルダムと命名した。なぜ、先っちょだけだったのか。当時この島にはレナぺ族という先住民族が5千人ほど暮らしていた。怖かったので先っちょだけ間借りした。ハドソンらが分け入った川はハドソン川と呼ばれた。オランダが拠点を置いた島は後にマンハッタンと呼ばれるようになる。ハドソンは計4度に渡って探検航海に出るが、1610年の航海で食料や飲料水が欠乏。それでも強引に航海を継続しようとするも帰国を望む乗組員らの反乱に遭い、小舟に移されてわずかな水や食料と共に置き去りにされ、そのまま消息を絶った。川や湾の名になったけど、人望はなかったみたい。

1660年頃のマンハッタン島の先っちょ
1660年頃のマンハッタン島の先っちょですが、何か?

▶最初にオランダ本国から送られた植民は30家族のみ。さぞかし心細かったことだろう。その後本国から少しずつ人が送られて来た。迫害から逃れて来たプロテスタントやユダヤ人の駆け込み寺となっていたオランダは、ニュー・アムステルダム植民地にも本国同様「全ての者は宗教的に自由なままであり、いかなる者も宗教のために迫害されたり審問されたりすることはない」という理念を持ち込んだ。これが後に英国国教会に迫害されて逃れて来る清教徒らにも継承され、現代アメリカの(うわべだけの)理念となっていく。ヨーロッパ中で迫害されていたユダヤ人待望の、民族や宗教の自由が保証された新国家が誕生しようとしていた。

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▶マンハッタン島の先っちょに入植したオランダ人は植民地境界線にうず高い壁を作り、アムステルダム砦を築いた。先住民やイギリスが攻めて来ることを想定してのもので後にウォール街と呼ばれることになる城壁だ。1654年、2人のユダヤ人貿易商がオランダからやって来た。同年、ブラジルにいた改宗ユダヤ人23人がポルトガル人の圧制から逃れて渡来した。ニュー・アムステルダムの総督はユダヤ人を追い返そうとした。しかしオランダ西インド会社の役員に「理念、どこ行った?」と叱られ、渋々彼らを受け入れた。ユダヤ人は遂に北アメリカの地を踏んだ。その日から10年経った1664年、オランダ人たちの懸念が現実となる。英軍艦がニュー・アムステルダムに現れた。英蘭戦争勃発だ。ガタガタブルブル震えながら次号に続く。チャンネルはそのままだ。

週刊ジャーニー No.1296(2023年6月22日)掲載

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