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■ 第87話 ■貝に秘めた思い

▼ロスチャイルドのことを色々勉強していたら脇道に逸れちゃった。でも脇道もまた興味深かったので語っちゃう。1871年、横浜港桟橋に1人の外国人少年が降り立った。少年は迫害を逃れて東欧からロンドン東部、ホワイトチャペルに流れ着いたユダヤ人一家の子だった。11人兄弟姉妹の10番目で名前をマーカス・サミュエルと言った。父親は雑貨を売り歩く行商人だったが、18歳になった息子に極東行きの船の三等客室切符と5ポンド(今の5万円ほど)を渡し「大家族を養える商売を見つけて来ておくれ」と彼を単身、送り出した。過酷な一人旅だ。マーカスを乗せた船は途中、インドやタイ、中国などにも寄港したが彼が目指したのは開国間もない日本だった。

▼横浜に着いたはいいが、知り合いもいなけりゃ日本語も話せない。少年は横浜周辺をさまよう中で三浦半島の海岸に辿り着いた。そこで朽ちかけた無人の小屋を見つけて数日を過ごした。海岸では大勢の猟師が貝を漁っていた。彼らが去った後に海岸を歩くと、そこには大量の貝殻が捨てられていた。手に取って見るとその貝殻は虹色に輝いた。「これは商売になるかもしれない」。そう思った少年は貝殻を拾い集め、ボタンなどに加工した。さらに町で漆器などに貝殻をはめ込んだ螺鈿(らでん)細工の小箱などを見て模倣して作ってみた。数が揃ったところでロンドンの父親に送った。これが当たった。父親はもっと送れと催促した。マーカスはその期待に応えた。やがて父親はロンドンのウエストエンドに店を構えた。マーカスは米や絹などの貿易で徐々に財を成していき1876年、23歳の時に横浜にサミュエル商会を設立。弟の協力を得てイギリスに日本製雑貨を輸出し、石炭や米をアジア諸国に輸出、一方で外国製品を日本に輸入した。さらに当時ロシア領だったバクー(現アゼルバイジャン)から灯油を輸入した。マーカスは近い将来、石油の時代が来ると踏んだ。そして調査を重ねる中、ボルネオで石油を発見した。

シェル石油
日本の海岸が起源のロゴですが、何か?

▼ライジング・サン石油を立ち上げ、日本に石油を輸出した。当時は石油をガロン缶に入れて船に積むしかなかったが、油漏れを起こすと危険であり、船も汚れるという理由で船会社は嫌がった。そのため輸送費は膨大なものとなった。そこでマーカスは独自に石油輸送に特化した輸送船の建造に踏み切った。世界初のタンカーが誕生した。タンカー第1号はミュレックスと名付けられた。日本近海で採れるアッキ貝のことだ。その後も同社の船にはことごとくかつて海岸で拾った貝の名前がつけられていく。日清戦争が始まると軍事物資や石油などを提供して日本を支え、勲一等旭日大綬章も得た。その後、シェル運輸交易会社を設立し本社を横浜の元町に置いた。ところがイギリス国内でユダヤ人が石油業界の頂点に君臨していることへの反感が高まった。1907年、ロスチャイルド家の仲介でシェルはロイヤル・ダッチ石油と合併。巨大企業ロイヤル・ダッチ・シェルが誕生した。マーカスはイギリスに戻ってロンドン市長となった。

▼シェルのロゴはホタテ貝だ。初めムール貝だったが後にホタテ貝に変更された。マーカスは貝へのこだわりに関して「今私が億万長者でいられるのも貧しいユダヤの子として日本の海岸で1人、貝殻を拾い集めていた日々があってのこと。あの日々のことを忘れないためだ」と書き残した。生涯、大の親日家だった。なんか深イイ話だ。これからガソリンを入れる時はホタテマークを探そうと誓ったところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1207(2021年9月23日)掲載

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