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■ 第85話 ■オリ・パラ、祭りの後で

▼5日(日)、東京パラリンピックが閉幕した。閉会式をテレビでリアルタイムに観た。テーマは「違いが輝く世界」。音楽はアップテンポで明るいものが多く、〆の曲はルイ・アームストロング氏の「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」。日本一色になることを抑え、障害という人類普遍のテーマに前向きな視線を送る構成となっていて個人的に好感が持てた。ただ、ピアノの発表会で娘の演奏を客席から見守る親のように「コケませんように」とドキドキしながら観ていたので客観的な評価は難しい。閉会式の大詰め、大会を陰で支えたボランティアの映像が流れ、会場からも賛辞と謝意の拍手が沸き上がった。五輪開催を快く思わない人も多数いる日本。感染リスクを完全排除できない中、それでもやって来るアスリートたちを温かく迎え、全力で支え続けた名もなき人たちが大勢いた。聖火が消える瞬間、色んな人がほっと胸を撫で下ろしながら小さくなっていく火を見詰めているんだろなと思うと勝手にジ~ン。

▼振り返ればロゴの盗作疑惑から国立競技場のデザイン変更、森喜朗大会組織委員会長による女性蔑視的発言&辞任などなど、東京オリ・パラは開催決定以降なかなかの凸凹路を歩んできた。そして極めつけのパンデミック。1年延期となってもやるんだかやらないんだか、出来るんだか出来ないんだかギリギリまで分からないまま時だけが悪戯に過ぎた。1年待っても状況があまり好転しない中、色んなことがウヤムヤのうちに開催する方向に進んでいった。結局は無観客となり、見込んでいた莫大な入場料収入は泡と消えた。なんで100年に1度と言われるパンデミックが日本の五輪と重なるかね。神様のイジワル。

聖火
聖火、消えちゃいましたが、何か?

▼しかし結果的に日本がそのイジワルに屈することはなかった。神様、日本人をなめたらアカン。多くのメディアが「日本だから開催出来た」と持ち上げている。「パンデミックの中で五輪を開催できたのは日本だけ」なんて自惚れるつもりはないが、例えば5年前の開催国ブラジルや次期開催国フランスの感染状況をみれば、開催は厳しかったかもしれない。ワクチン接種の開始が比較的早かったイギリスだが、15万人以上が亡くなっている状況での開催は国民の理解が得られなかった可能性も高い。アメリカも同様だ。大会自体は大過なくやり切ったものの先述のように入場料収入は消え、海外からの訪日客はゼロに等しく、日本は五輪特需どころか経済的に大ダメージを負った。これからどれだけ損失を被ったかと言った報道が出て来るだろう。お金のことだけを考えれば確かにやらない方が良かったのかもしれない。でも、今回のオリ・パラは今後4年ごとに必ず引用される。多くの人は4回以上前のオリンピック開催地を忘れちゃったかもしれないが、東京五輪はパンデミックという単語と対になり、何とかやり遂げた五輪として久しく人々の記憶に残ることになるかもしれない。だとしたらそれは大いなる財産だ。

▼東京が2020年の五輪開催地に決まったのは2013年9月7日のこと。IOC前会長ジャック・ロゲ氏が「トーキョー」と発表。日本中が沸いたあの光景はもう8年も前のことだ。そのロゲ氏、パラリンピック開催中の8月29日に79歳で亡くなった。最後まで見届けることが出来ずに旅立たれたのは残念だ。でも、ロゲさん、あなたが選んだ東京、無事に五輪をやり切りましたよ。あなたの選択眼に狂いはなかった。安らかに。さて自画自賛が終わったところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1205(2021年9月9日)掲載

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