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■ 第83話 ■吉田茂が何か、スゴイ

▼吉田健三が突然この世を去った時、養子の茂はまだ11歳のガキンチョだった。健三は数々のビジネスで成功をおさめ、横浜指折りの富豪のまま40歳という若さで死んだ。茂の元に50万円という遺産が転がり込んだ。へーっ、うらやましい。今の価値にすると30億円という。え~っ。サラリーマンが一生働いても拝めない額だ。茂は立派な一軒家を買い、大学や勤め先に馬で通い、贅の限りを尽くし、30億円を成人するまでにほとんど使い切ったとされる。茂の豪胆さを表す武勇伝としては面白いが、実際のところはよく分からない。

▼吉田茂は実業家を目指して色々な学校に通ったが商人の気質が合わなかったようで最終的に東京帝大の法学校に進み、外交官を目指した。20年ほど中国で外交官として過ごした。中国にいた頃の吉田は満州における日本の権益に関して軍部もビビるほどの強硬派だったとされる。ドイツを毛嫌いし、英米との関係を重視。1936年からは駐英大使となった。日独伊の同盟に反対し戦時中は和平工作に奔走した。そのことで軍部に睨まれ、終戦間近にブタ箱にも入れられた。なんか、考え方や行動が英米軸だ。反戦活動がGHQに好意的に見られ、戦後は首相に就任し、サンフランシスコで平和条約と日米安全保障条約にサインして帰国した。こう書くと平和主義者だったように思えるが、果たしてそうなのか。11歳で30億円の遺産を受け取ったと聞いた瞬間からどうもまともな人間に思えなくなっている。たぶんジェラシー、きっとジェラシー、絶対ジェラシー。親英米派だったと言われる吉田だが、実際は親英派だった。ロンドンで乗っていたロールスロイスを日本に持ち帰り、何度も修理しながら死ぬまで所有し続けた。大の葉巻好きで「和製チャーチル」と揶揄されたりもした。

吉田茂
吉田茂ですが、何か?

▼不思議なほどイギリス寄りな人物に見える吉田だが、ここで再びジャーディン・マセソン商会を登場させると妙に辻褄が合い始める。英ロスチャイルド家の代理店だった同社で茂の養父、吉田健三は3年間、横浜支店長を務めた。独立後、実業界で成功を収めた健三がジャーディン・マセソン商会とプッツリ切れたとは考えにくい。英語もできて商売にも明るく豪胆で交渉力もある便利な逸材を同社が簡単に手放すとは考えづらい。吉田家とジャーディン・マセソン商会、そしてその裏にいるロスチャイルド家との間には並々ならぬ絆があったと考えるべきだろう。健三は死んじゃったけど、その後もジャーディン・マセソン商会と吉田家は交流を続けていた可能性が高い。

▼ジャーディン・マセソン横浜支店初代支店長ウィリアム・ケズィックは伊藤博文や井上馨ら、イギリスに密航した長州ファイブの面倒を見た。伊藤は維新後、日本最初の首相となった。それから約160年を経た今もジャーディン・マセソン社のトップは代々ケズィック家の人間だ。昨年週刊新潮に掲載されたジャーナリスト、徳本栄一郎氏の記事が興味深い。一昨年会長職に退いたジャーディン・マセソン社4代目社長ヘンリー・ケズィック氏(82)。そのヘンリーが親友と呼ぶ日本人がいる。吉田茂の孫、麻生太郎財務大臣だ。ヘンリーの祖父は駐日大使だった。その娘、つまりヘンリーの母は麻生氏の母と仲良しでよく一緒に遊んでいたという。伊藤博文、吉田茂、そしてその孫の麻生太郎氏。ロスチャイルドやジャーディン・マセソン社と縁ある人々がなぜか次々と日本の首相となった。偶然か? まさかね。日本もなかなか闇が深いんだなと、溜息つきつつ次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1203(2021年8月26日)掲載

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