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■ 第54話 ■
マイセン、有田を卒業す

▼17世紀初めにヨーロッパに伝わり、王侯貴族や富裕層の間に大ブームを巻き起こした景徳鎮や有田の磁器。ヨーロッパではまさに権力の象徴だった。しかし今はどうよ。日本の家にあって客に自慢するのはウエッジウッドやジノリ、マイセンやロイヤル・コペンハーゲンなど、ヨーロッパの食器類ばかりじゃない? なんでこうなった?

▼日本では1616年に有田(佐賀)で日本初の磁器が焼かれ、オランダ東インド会社がヨーロッパにせっせと運んだけど、日本国内はどうだったのか。歴代将軍が磁器を好んでそれが各藩に広がり、やがて庶民もみな磁器を買い求め…ってな話は聞かない。日本では茶の湯が人気で戦国武将らは競って中国や国産の名器を求めた。信長も秀吉も茶の湯ブームにドップリはまった。茶は一種のステータスシンボルにもなって一時は茶室の装飾なんかも随分豪華になっていたらしい。そこで現れたのが禅の考えを取り入れて質素さに美を求めた「わび茶」「さび茶」だ。そのため滋味深~い器の方が高く評価された。極めて日本的だ。

▼ヨーロッパでも器は王侯貴族たちの間でステータスシンボルになったけど、わびさびの日本とは真逆の道を突き進んだ。ヨーロッパの王様や貴族たちには人心掌握のためには気前の良さが求められ、部下たちの昇進や冠婚葬祭の祝い事には高級な磁器なども贈られた。また、豪華な晩餐会を開くことも権威を示すチャンスで、会場には高価な壺や装飾磁器がゾロリと並んだ。腕の良いシェフが雇われ、流行りの料理が振る舞われた。「わびさび」と対極の世界。品がないね。

▼景徳鎮や有田では色付けといえばまずは青。後にこれに赤が加わった。青と赤はヨーロッパ人の趣味にも合致した。ヨーロッパでは陶器が主流だった頃から華美な色付けが盛んに行われていた。彼らはこの色付けを磁器にも採用した。初めは中国の真似をして花や風景、人物画や竜などが描かれた。有田の菊や梅の図柄も人気となった。次第に磁器を焼く職人とは別に、絵付をする画家が参加するようになり、食器は一種のアートになっていく。

14世紀、フランス、ベリー公爵家での晩餐会の様子ですが、何か?

▼磁器を焼成する技術に加えて、絵付けの腕をも上げていったマイセンがついに中国や日本の磁器の模倣をやめ、独自路線を歩み出す。華美なロココ調のデザインが器にも取り入れられた。やばい。地味な「わびさび」より一般受けしちゃう。見栄っ張りな王侯貴族たちの間ではより多くの食器を揃えていることもステータスシンボルとなった。そのため大皿、小皿、スープ皿、ビールやワイングラス、コーヒー、紅茶カップ、砂糖入れなど、用途別に様々な器が作られて行く。一方、地味な「わびさびジャパン」ではみんなで鍋囲んで突っつくとか、一つの器に何でもぶっこんで食べるとかいった食べ方が主流だった。陶磁器も漆器も名器は作られていたが、ヨーロッパのゴージャス路線とは全く異なる美意識に基づいていた。質素倹約を旨とし、精神性を重んじる日本ではヨーロッパのように見た目に派手な食器が進化することはほぼなかった。ちくしょ~。

▼ヨーロッパではゴシックやロココ、アール・ヌーボーやアール・デコなどアートの変遷があり、その都度器に影響を与えていく。そしてさらにヨーロッパの磁器が華やかになる理由があった。その主役となるのはやっぱり女性だった。その女性って誰? 次週に続くぜ。チャンネルはそのままだぜ~い。

週刊ジャーニー No.1174(2021年2月4日)掲載

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