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■ 第53話 ■果てしないパクリの連鎖

▼マイセンは景徳鎮や有田の磁器を模倣することで完成した。粘土をこねて焼く陶器と比べて磁器はまず陶石を見つけなければならず、さらにそれを細かく砕き、粘土と混ぜ合わせて高温で焼成する。陶石なくして磁器はなし。「オラもオラも」と簡単に真似することはできなかった。そのため他国の王侯貴族はしばらくの間、景徳鎮や有田、マイセンが焼いたものを買い続けるしかなかった。ザクセン選帝侯アウグスト2世が有田や景徳鎮蒐集に熱中するうちに「うちでも焼こうぜ」と叫んでマイセン完成に漕ぎつけたように、他国も自分で磁器を焼く動きに出た。そこで横行したのが陶工の引き抜きや拉致だ。これを経て、やがてヨーロッパ各国も磁器を焼けるようになり、彼らは景徳鎮や有田、そしてマイセンを徹底的にパクることで品質を向上させていった。今も昔も技術をパクって発展していく様子はあまり変わらない。

▼今でこそ「スープは音を立てずに飲む」だの「フォークとナイフは外側にあるものから使う」だの、何かと面倒くさいマナーを振りかざしてお上品を装うヨーロッパだが、ヘンリー8世もルイ14世も肉は手づかみで食べていた。エリザベス1世もギリギリ手づかみだったはずだ。食べ終わったらボウルに入った水でシャバシャバっと指を洗っておしまい。17世紀にフォークが発明されたことで手づかみ文化は徐々に衰退していった。牧草を突き刺す道具のミニチュア版のようなフォークで肉を突き刺し、人を刺すことも可能なナイフで切り刻んだ後、お肉を口まで運んで食べるって果たして品がいいのか悪いのか? よく分かんないけど、とにかくそのスタイルがヨーロッパの、まずは宮廷で流行した。

▼王様がやれば貴族が真似をする。貴族がやればブルジョワがパクる。ついには上流階級に憧れる可憐な一般庶民たちも真似をする。さらにヨーロッパに憧れ、脱亜入欧を叫んだ明治の偉い人たちが西欧文化を日本に持ち込み、鹿鳴館あたりで夜な夜な舞踏会を繰り広げたのは有名な話。流行を生み、文化を形成するもの。それは「憧れ」なんかね。

地図
緯度をあわせてみた日本とヨーロッパですけど、何か?

▼磁器が登場するまで宮廷や王侯貴族たちが使っていた食器は銀や錫(すず)など、いわゆる金属が主流だった。今のように一人一皿といったスタイルではなく、大きな銀盆の上に肉の塊がドカンと置かれ、それを給仕が切り分けたり、テーブルの真ん中に置かれたお肉を各人が切り取って食べるなどしていた。銀や錫はすぐに冷たくなってしまうという欠点があった。ヨーロッパは緯度的に日本より遥かに北にある。フランス南部のマルセイユと札幌がほぼ同緯度だと言えば分かりやすいでしょ(左下の合成地図参照)。ヨーロッパは冷える。大西洋を走る暖流の恩恵を受けない北部ヨーロッパの内陸部はさらに寒い。だから冬のディナーなんぞはローストした豚や鶏なんかもたちどころに冷たくなった。その冷たさ、まるで雪まつり会場でビール飲んでかき氷を掻き込むようなものだ。ちょっと言い過ぎた。

▼磁器は銀や錫より遥かに保温性に優れていた。そのためあっという間に人気を博した。ここで紙面が尽きたぜ。また来週~。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1173(2021年1月28日)掲載

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