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■ 第52話 ■
マイセンは有田のコピーやで~

▼17世紀、景徳鎮や有田(伊万里)の磁器がヨーロッパ王侯貴族たちの間で大ブームとなった。メディチ家は地中海交易で早くから景徳鎮の磁器を手に入れていたが、自分たちで磁器を焼くことは出来なかった。一方、オランダではスズの釉薬を施すことで磁器のような仕上がりに近いデルフト焼きが盛んになったが、陶器であることに変わりはなかった。

▼18世紀になるとハプスブルク家やブルボン家、プロイセンなど各国が競って磁器の蒐集を始めた。ドイツのザクセン選帝侯アウグスト2世も磁器自慢に熱中した。やがて「うちでもこれ、作れないの?」と思うに至った。王は投獄されていたベドガーという錬金術師をアルブレヒト城に幽閉し、何が何でも磁器を作れと命じた。ベドガーは「金(きん)を作ることが出来る」とホラを吹くだけあって科学的知識があったとみられる。磁器にはカオリンと呼ばれる鉱物の成分が必要であることを突き止めた。さらにそれを陶器よりも高温で焼成することで1709年、ついに磁器を焼くことに成功した。凄いぞ、錬金術師! アウグスト2世はアルブレヒト城に窯と工房を作らせ、本格的な磁器製造に乗り出した。初期のころは白く仕上がらず褐色がかっていたが次第に品質も向上し、4年後には白磁の完成を見た。

▼磁器を作るにあたり、アウグスト2世は景徳鎮や有田の磁器をお手本にさせ、徹底的にコピーさせて職人たちの技術向上に利用した。こうして出来上がったのがドイツのマイセンだ。マイセンの磁器は一時ヨーロッパで人気となり、ザクセンに莫大な利益をもたらした。そうなると他国も黙っちゃいない。強引な引き抜きや陶工の拉致が横行し、あっという間に秘密のデータが流出。パリやウィーン、フィレンツェ、そしてコペンハーゲンなどで今度はマイセン製磁器のコピー製品が盛んに作られるようになり、その後は各国で独自に発展を遂げていった。それがセーブルであり、ロイヤル・コペンハーゲンであり、ウエッジウッドだ。ちなみにマイセンの工場入り口には17世紀の陶工たちが練習用に使った有田の大きな壺と、陶工たちが焼いた有田そっくりの壺が並んで飾られているという。「おらが独自に発明して焼いたんだゾ」と言わないところ、いさぎよいぞ。

アウグスト2世ですが、何か?

▼今号のタイトルにある「マイセンは有田のコピーやで~」。事実だが、実際は景徳鎮製のものも多く、決して有田だけの手柄ではない。さらに言うなら有田で日本初の磁器を焼いたのは朝鮮半島から連れて来られた陶工、李参平であったことも忘れてはならない。タイトルは読者の気を引くためにちょっと盛ったのよ。テヘペロね。ただ、日本人が大好きなヨーロッパ磁器の原点は景徳鎮であり、有田や伊万里であることに変わりはない。マイセンやウエッジウッドの皿やカップに触れる時、そのオリジンが17世紀の東洋にあったという歴史的事実に思いを馳せ、お茶の席でウンチクを垂れるのも悪くない。大概、ビミョーに迷惑そうな顔されるけどね。うふー。

▼有田が最初に磁器を焼いたのは1616年のこと。その後、明が滅んで清となる狭間で一時、景徳鎮の窯の火が消えた。その間ヨーロッパ向けの磁器は有田が独占する。しかし17世紀終わりには景徳鎮が活動を再開し、その後はヨーロッパでも磁器の独自生産が始まる中、有田も伊万里もそのシェアを落としていくことになる。それどころか…ってとこで次号につづくぜ。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1172(2021年1月21日)掲載

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