gudaguda_title.jpg

■ 第50話 ■日本初の磁器、焼いたのは〇〇人

▼1616年、日本で初となる磁器が焼かれた。佐賀の有田だ。それまで日本にあったのは粘土をこねて焼く陶器が主流だった。磁器は陶石を砕いた粉をこねて焼く。磁器は陶器よりも強靭で釉(うわぐすり)がなくとも勝手にガラス質となる。日本ではその陶石が発見されていなかった。陶石が有田の山中で見つかったことで遂に日本に磁器が誕生する。陶石を発見し、日本で最初の磁器を焼いたのは李参平という陶工だった。ん?
「李」さんって誰?

▼李参平は秀吉がやった朝鮮出兵時に捕らえられ、有田に連れてこられた朝鮮人陶工の一人だ。朝鮮出兵は失敗に終わった。特に2度目の慶長の役では軍規も乱れ、略奪や民間人の虐殺、拉致等が横行した。秀吉も捕らえた朝鮮人の中に優れた陶工や裁縫が得意な女性がいれば差し出してちょ、と御触れを出しているくらいだから奴隷狩りもある程度黙認されていたとみていい。諸説あるけど半島から日本に連れて来られた朝鮮人は20万人とも30万人とも言われている。島津領内だけで3万7千人いたという。数年前、有田市内にある陶磁器問屋の社長さんに話を聞いた際「肥前にも2~3万人はいたはず」と語っていたから30万人ってのもあながち大袈裟な数字ではないかもしれない。ひでぇことをしたもんだが一方的に反省する必要もない。13世紀に蒙古が九州を襲った際、中継点だった対馬や壱岐、その他の島々の住民はほぼ全滅させられた。男は虐殺され、女は手の平に穴を開けられそこに縄を通し、数珠繋ぎにして連行された上で船の外壁に鎖で括りつけられた。追って来るサムライが弓を撃てないようにするための人の盾だ。赤子は生きたまま股を裂かれて殺された。ひでぇ話だ。それを実行したのは元の兵士と、元の手先となって九州に押し寄せた高麗の兵士たちだった。どっちも鬼畜のごとき酷いことをやっている。ただ、そういう時代だったのだと思って納得するしかない。

李参平
李参平ですけど、何か?

▼江戸になってから李氏朝鮮との国交が回復し、使節団がやって来て「我が国の領民をいっぱい拉致してったでしょ。返して」と訴えた。幕府は朝鮮人を帰すよう計らい相当数が帰国したが、中には返還を渋る藩もあった。一方で朝鮮に帰りたがらない朝鮮人もいた。というのも当時の朝鮮では職人は奴婢として最下層級の扱いを受けていた。日本では職人は比較的大切に扱われていた。帰国して奴婢に戻るか、異国に留まって差別を受けながらも職人として生きるか、究極の選択を迫られた末に日本残留を決めた人も多かった。李参平が日本に残ったのが強制か自発的なものかは分からない。出身地である忠清道金江からとって苗字を金ケ江とし、金ケ江三兵衛と名乗り日本社会に溶け込んだ。李参平は今も有田で「陶祖」として崇められている。直系の子孫が有田で作陶活動を続けており、現在活躍されている金ケ江三兵衛氏は李参平から数えて14代目にあたる。

▼李参平が陶石を発見したことで、磁器は瞬く間に日本中に拡散していくと思ったら大間違いだ。こんな金のなる木、他人に教える訳がない。一帯を治めていた鍋島藩はこれを囲い込み、独占した。長崎にいた中国人陶工らも呼び寄せて様々な彩色が施され、有田焼は進化を続けた。これに目をつけた連中がいた。オランダだ。さらに明が滅んで清が誕生した。有田にとんでもないチャンスが舞い込むことになる。続きは次号で。チャンネルはそのままだぜ!

週刊ジャーニー No.1170(2021年1月7日)掲載

他のグダグダ雑記帳を読む