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■ 第48話 ■秀吉を激怒させたあの事件

▼秀吉が「バテレン追放令」を発布した翌年の1588年、スペインのフェリペ2世が派遣したお仕置き無敵艦隊がエリザベス1世率いるイングランドに返り討ちにあっちゃった。その瞬間からスペインが没落していく訳じゃないけど、少なくともそれを予感させる大事件だった。アジアでカトリックの勢力拡大を急がねばならない。スペインは日本に接近した。

▼日本には聖アウグスチノ修道会のスペイン人宣教師が最初に来日していたがその後、ドミニコ会(1592年)、フランシスコ会(1593年)らが続々とやって来た。天下統一を果たした秀吉はちょうどこの頃、第一回目の朝鮮征伐で大忙し。「バテレン追放令」が出てから様子見に入っていたイエズス会の宣教師たちは後からやって来たスペイン人宣教師たちに接触。これまでのいきさつを説明し、日本では過激な布教を控えるよう説得した。ところが。

▼1596年秋、土佐の海岸に1隻の大型船が漂着した。大量の積み荷と黒人奴隷を満載したスペインのガレオン船「サン・フェリペ号」だった。フィリピンからメキシコに向かう途中、東シナ海で台風に遭い、ボロボロになって土佐に漂着したものでフランシスコ会の司祭らも乗船していた。警戒した日本側と、積み荷や漂着民の扱いを巡って不和が生じた。そんな中、扱いに不満を募らせたパイロット(水先案内人)が世界地図を広げて奉行に言い放った。「よ~く見るがいい。ここも、ここも、そしてここも、偉大なるスペイン領であ~る。そんでここに浮かんでるちっちゃ~い島、見える? これ、このちっちゃ~いシミみたいなやつ。これが日本であ~る」。奉行はパイロットに問うた。「あの~、一体どんな手を使ってそんなに多くの領土を獲得したの?」。パイロットは胸を張って答えた。「うちらの場合、布教と武力のセットでやらしてもらってます~。まず最初に宣教師を派遣して国内事情をスパイさせるでしょ、でね、そこにいる先住民をキリスト教化させるでしょ。で、そいつらに反乱起こさせて国内グッチャグチャにさせたところで本格的な軍隊派遣して植民地にしちゃうの」。

秀吉
秀吉ですけど、何か?

▼奉行はパイロットの言葉をそのまま秀吉に報告した。驚いた秀吉、「ヤベェ奴らだがね。実際、九州には既にキリシタン大名と信者がウジャウジャおるがね」と叫んだかどうかは知らないがすぐに2度目の、ただし今度は本格的な禁教令を発布。同時に京都でフランシスコ会の司祭らを捕縛した。キリシタンの多い長崎まで連行した上で4名のスペイン人、メキシコ人とポルトガル人各1名、20人の日本人、合計26人の司祭や信者らを十字架にはりつけて処刑した。見せしめだった。

▼このニュースはたちまちヨーロッパにも伝えられた。ローマは後にこの26人を聖人に加え、殉教した「日本26聖人」として記憶されることになる。カトリックから見れば秀吉の行為は蛮行としか映らないだろう。しかし禁教自体は個人的には正しい判断だったと思っている。スペインやポルトガルが日本人に「愛と平和」を唱えながら笑顔で接近してはキリスト教化させ、キリシタン大名らを支援して反乱を起こさせた上で日本を植民地化しようとしていたことは中南米やインド、マカオ、そしてフィリピンの悲惨な歴史を見ても明らかだ。そしてキリシタンを処刑したその年、秀吉は2度目の朝鮮征伐に突入する。なんで? チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1168(2020年12月17日)掲載

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