ノールへの執着が招く不幸

 アンの実家とは異なり、サックヴィル家には「その爵位と資産は父方の正式な男子の子孫にのみ継承が許される」という相続条件の定めがあった。しかし、跡継ぎとなる男児が必ず生まれるとも限らない。相続問題は一族をしばしば悩ませる頭痛の種であり、そのたびに苦肉の策が講じられてきた。
例えば、前述のリチャードとアンの間には3人の息子と2人の娘がいたが、息子はすべて幼少時に他界したため、ノールはリチャードの娘ではなく、末弟のエドワードに引き継がれている。
さらに、1815年にまだ20代前半だった第4代ドーセット公ジョージ・サックヴィルが落馬事故で急死した後、ドーセット公爵の称号はジョージの曽祖父の代で分かれた遠縁に引き継がれてしまい、200年以上に渡ってノールを受け継いできたサックヴィル家の歴史も終わりとなりかねない事態となった。しかし、ジョージの妹のエリザベスは嫁ぎ先であるウェスト家の名にサックヴィルを付け加えてサックヴィル=ウェストに改名。無事にエリザベスの子供たちが法的にノールを相続できる運びとなった。称号については、公爵位は失ったものの、息子のモーティマーからは男爵の称号を得ている。
しかし、どれだけノールを愛していても、どれほどここに住み続けたくとも、この相続条件に阻まれてノールを去らなければならなかった者たちもいる。
中でも最も知られているのは、名園シシングハースト・ガーデンの創設者として知られる女流詩人、ヴィータ・サックヴィル=ウェストだ。1892年に第3代サックヴィル男爵の一人娘として生まれ、エキセントリックだった先祖たちに誇りをもち、ノールにも尋常ではない愛情を抱いていたが、女であるという理由だけで跡を継ぐことができなかった。ノールが父の弟である叔父のチャールズに相続される現実を黙って受け入れるしかなかったヴィータの心に、この事件は生涯癒えない傷を残した。苦々しい思いと、深い悲しみはやがて並外れた情熱と化し、それがシシングハースト・ガーデンの誕生をもたらすことになる。



舞踏会用に、往年の貴婦人風のドレスを身にまとったヴィクトリア(1897年)
© National Trust Images

 

 一方、ヴィータの母、ヴィクトリアもノールに住み続けるために辛い思いをしている。
ヴィクトリアは第2代サックヴィル男爵ライオネル・サックヴィルの娘として1862年に生まれたが、実は母親はライオネルとは正式に結婚していない愛人の立場であった。
外交官だったライオネルは1852年にパリで、既に夫と別居中だったペピータというスペイン人ダンサー(本名はジョセファ・デュラン)と出会い、激しい恋に落ちた。1871年にペピータが亡くなるまで、この関係は19年間も続き、ヴィクトリアを含む娘と息子、合わせて5人の子供を授かっている。
ライオネルは、ペピータと子供たち一家を南西フランスのアーカッションの村に住まわせて、欧州での外交官としての仕事の合間に訪れていた。また、1881年にライオネルが米国に赴任となった際には娘のヴィクトリアを、妻に代わる女主人役として伴っている。1889年にライオネルが外交官職から引退して英国に戻った際にも、ヴィクトリアと、もうひとりの娘、アマリアを伴っており、ヴィクトリアは事実上のノールの女主人としての役割を果たすことになった。
しかし、ライオネルがペピータと正式な婚姻関係になかったために、ペピータとの間の子供たちはすべて、非嫡出子とみなされ、嫡出子となる男子がいないライオネルの跡は、ライオネルの甥で、ヴィクトリアのいとこにあたる若きライオネル・サックヴィル=ウェストが継ぐことになってしまう。 ここでヴィクトリアが下した決断とは、このいとこの妻になることだった。
ノールにずっと、女主人として住み続けたい―結婚が決まり、ヴィクトリアは心から喜んでいたという。
ノールでのヴィクトリアは24人ほどの使用人を従えて同邸を切り盛りする、エネルギッシュな女主人であった。1891年に父親の寝室に電話を初めて備え付けたのも、バスルームに湯を引いたのも、セントラルヒーティングを導入したのも、1902年までに完全に電気を引いたのも、すべて、ヴィクトリアが率先して進めたことであった。愛するノールを快適な家にしていくことにヴィクトリアは生きがいを感じていたことだろう。



天井のしっくい細工も見事な「ボールルームThe Ballroom」。「舞踏場」の名がついているものの、
もともとはダイニング・ルームとして使われていたという。 © National Trust Images/ John Miller

 ところが、別の問題がヴィクトリアの前に立ちはだかる。というのも、ヴィクトリアの弟のヘンリーが、「母ペピータは父ライオネルと婚姻関係にあったと見なされるべきで、自分は嫡出子であり、正統な跡継ぎである」と主張する訴えを起こしたのだ。
実弟との裁判に、ヴィクトリアは胸を痛めた。もしもヘンリーの主張が認められれば、自分も正統な子供(嫡出子)として認めてもらえるが、しかし、ノールは弟のものになる。
逆にヘンリーが裁判で負ければ、ノールは夫のもの、つまり自分が住み続けることが約束されるものの、自分もまた非嫡出子であることを世間に対して認めることになる。私生児(非嫡出子)であることは恥ずべきことであった時代に、その事実を受け入れて夫と共にノールに住むか、自分を正統な子供と認めてもらう代わりにノールを明け渡すか。どちらに転んでも苦しい結果となる。
結局、ヘンリーは、父に協力を求めたものの断られ、跡継ぎの訴えも棄却されてしまう。おかげでヴィクトリアはノールに残れたわけだが、これが幸せにつながりはしなかったようで、晩年にはヴィクトリアは気難しい老女になっていたという。
一族にいさかいを起こし、辛い思いもさせてしまうノールについて、娘のヴィータは「(ノールは)不幸を運ぶ運命にある」と綴っていたことが分かっている。
しかし、この言葉の裏側には別の事実がある。すなわち、「ノールはそれほどまでに、住む者の心をとらえて離さない魅力を持つ」ということだ。
500年もの間、各時代の有力者たちがかかわり、磨きをかけ続けてきた屋敷、細かいところにまで手を加えて整えた人工的な美と野生のダイナミックさをあわせもつ、類まれな庭園。初夏の陽光の中で訪れれば、放たれるその輝きに心を奪われることが幾たびもあるに違いない。ロンドン中心部から車で1時間半弱、電車でなら30分(最寄り駅からタクシーで8分ほど)という近さにある、このノール邸を、「出かけたい場所」のリストに加えてみてはいかがだろうか。