gudaguda_title.jpg

■ 第257話 ■紳士面したヤツが一番やばい説

▶歴史教科書には事実誤認や眉唾ものの解釈が多い。なのにそれを丸暗記し、試験で良い点を取った者が勝ちって何かおかしい。1853年、ペリーが日本にやって来た。来日の理由を筆者は「捕鯨船の水や薪の補給と水難時の乗員救助」の条約締結と習った。誤りではないがそれだけじゃ15年後に徳川幕府が一気に瓦解し、立憲君主制だの衆参二院制議会だの、日本人が見たこともない洋風の新国家がサクッと誕生し、国民も割とすんなり受け入れちゃった日本史の不思議を説明できない。

JFC
TK Trading
Centre People
ロンドン東京プロパティ
Dr Ito Clinic
早稲田アカデミー
サカイ引越センター
JOBAロンドン校
Koyanagi

▶ペリーがやってきた頃、欧米列強がどういう状態にあったかを知っておく必要がある。まずはフランス。かの国では1789年にフランス革命が起こり、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの首を刎ね、共和制が始まった。しかし共和制にも穏健派と急進派がいて争いが絶えない。政情不安の中、人々はカリスマを欲した。そしてナポレオン登場。ナポレオンが失速するとフランスは「王様いた時の方が良かったじゃん」ってんで王政復古。ところがルイ18世、シャルル10世は絶対王政に逆戻り。人々は怒り「七月革命」と「二月革命」を経て第2共和制へ。しかし全階層で不満が百出し大混乱。人々は再びカリスマを欲した。そこでナポレオンの甥っ子がナポレオン3世となり第2帝政へ。でもドイツに普仏戦争仕掛けられてあっさり敗北。「カリスマ、ダメじゃん」となって第3共和制へ。革命でとりあえず王政ぶっ倒したけど、倒した後にどうするかという確固たる国家観がフランスにはなかった。19世紀のフランスは王政→共和制→帝政→王政→帝政→共和制とグ~ルグル~のグッチャグチャ~。ちなみに現在のフランスは第5共和政だ。フランスは特に酷かったけど革命なんてそんなもの。日本でも幕府を倒した後にどうするか、明確なビジョンを持っていた人はほぼいなかった。

ナポレオン3世
伯父さんほど凄くなかったナポレオン3世ですが、何か?

▶ドイツ。日本にペリーが来た頃、ドイツは沢山の諸侯が群れる領邦国家。プロシアがドイツの主導権を巡りオーストリアに戦争を仕掛けるちょい前のこと。プロシアの鉄血宰相ビスマルクはドイツ統一のための戦争を必要とし、多くの血を欲した。ドイツ帝国が誕生するのは明治4年のこと。なので幕末期、ドイツはまだお手本にならない。アメリカは産業革命を経て力を付けた商工業と金融の成長著しい北部と、奴隷を使って大量の綿花を作りイギリスに売る農業主体の南部とが対立し、バチバチになっている頃。まもなく南北戦争が勃発し、日本に構っている暇はなくなっちゃう。帝政ロシアは悲願の「冬でも凍らない港」を求めて南下政策絶賛実施中。幕府がペリーと和親条約結んだ年、ついにオスマン帝国と激突。クリミア戦争が始まった。


▶大トリはイギリス。いち早く産業革命を終えた大英帝国はヴィクトリア女王のもと空前絶後の大繁栄。「世界の工場」と呼ばれ、ハイドパークで万博開催。パクス・ブリタニカの時代を迎えていた。現王室に繋がるドイツのハノーバーから国王ジョージ1世を迎えて以来、イギリスは立憲君主制のもと責任内閣制が進んでいた。だってドイツ生まれのジョージ1世と2世は英語も分からず政治に興味ゼロ。面倒な決め事は政府に丸投げ。おかげで欧米列強の中にあって唯一、イギリスだけが圧倒的な安定期を迎えていた。外界知らずの幕末日本に紳士面した魔の手が迫るってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。

JEMCA
Kyo Service
J Moriyama
ジャパンサービス
らいすワインショップ
Atelier Theory
奈美デンタルクリニック
Toptour

週刊ジャーニー No.1379(2025年2月6日)掲載

他のグダグダ雑記帳を読む
ロンドンおすすめレストラン
面白すぎる英国ジョーク
なるほど英国Q&A
ロンドン近郊トラベルガイド
ロンドン最新トレンド
面白すぎる英国史
面白すぎる英国の偉人
ロンドンでアフタヌーンティー