■ 第163話 ■ヒトラーが敬愛したアメリカ人
▶ドイツとユダヤ人の関りを第二次世界大戦中のホロコーストで初めて知る人が多い。日本の教育ではそれが限界だ。しかし両者の間には長くて深い、複雑な歴史がある。16世紀初めのドイツではルターが激しく憎悪するほど既にユダヤ人が大いに権勢を誇っていた。死から370年ほど経った20世紀初め、ルターの遺作「ユダヤ人と彼らの嘘について」を「なるほど。おっしゃる通り」と食い入るように読んでいる男がいた。ヒトラーだ。彼は第二次世界大戦中、ルターが著作中で檄を飛ばした反ユダヤ的な扇動をほぼ実行に移すどころか、書にない大量虐殺まで行った。しかしヒトラーがより感銘と影響を受けた書籍が別にある。「国際ユダヤ人」という本で、書いたのはハインリヒ・フォード。英語読みだとヘンリー・フォード。T型フォードを世に送り出したフォード自動車の創立者。アメリカを嫌悪したヒトラーが唯一、心底尊敬したアメリカ人だ。
▶元々は農家の出身で機械いじりが大好き。修理工などをしていたがエジソン照明会社に入社して技術者となった。チーフエンジニアとして働きながら内燃機関の開発に励み「いつか俺の自動車を作ったる」と夢見た。独立後、1891年に第一号を完成させ、その後も改良を重ねて販売を試みたが車はさほど売れなかった。しかし1908年にベルトコンベアによるライン生産方式で大量生産に成功。他社と比べて圧倒的低価格でT型フォードを世に送り出した。これがバカスカ売れた。どれくらいのバカスカかと言うと1918年にアメリカで所有されていた車の半数がT型フォードだったというからその売れ方は人気のトヨタ・プリウスどころじゃないほどのバカスカぶりだ。
▶フォードはアメリカを代表する大実業家となった。社員の面倒見も良く、戦争を憎む平和主義者だった。いい人じゃん。ところが彼もまたルター同様、別の顔を持っていた。反ユダヤ主義だ。1920年頃、アメリカでは反ユダヤ主義が隆盛を誇っていた。しかしアメリカの大手メディアはほぼユダヤ人の息が掛かっていて反ユダヤ的意見を自由に述べられる媒体は限られていた。そこでフォードは「ディアボーン・インディペンデント」と言う反ユダヤ、反共産主義的だった週刊新聞を買収。そこで「共産主義者の75%はユダヤ人だ」「ロシア革命やドイツ革命はユダヤ人が起こした」「アメリカが第一次世界大戦に巻き込まれたのはユダヤ人の仕業だ」などと書き、全米のフォード車販売店に購読を義務付けた。1920年、フォードはこの週刊新聞に寄稿した記事を1冊の本にまとめ「国際ユダヤ人」を刊行。ドイツ語や日本語など、16ヵ国語に翻訳されて拡散した。
▶ユダヤ人も黙ってはいない。全米でフォード車の激烈な不買運動が起こりフォード車は売れなくなった。「ディアボーン・インディペンデント」は廃刊に追い込まれ、経営の危機に瀕したフォードはやむなく敗北を認め謝罪。「国際ユダヤ人」は1942年、アメリカで発禁となった。一方「国際ユダヤ人」のドイツ語版はナチス党員の間で愛読された。フォードは「ユダヤ人には善玉も悪玉もいる」と書き、ユダヤ人に対する暴力を戒めたがドイツ語版はその部分に「作者の妄想」と注釈をつけた。ヒトラーは執務室にフォードの等身大パネルを飾るほどフォードを敬愛した。そしてホロコーストは起こった。発禁となった「国際ユダヤ人」。なぜかその日本語版が筆者の手元にある。震えながら次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1285(2023年4月6日)掲載
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