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■ 第120話 ■1863年、サトウ君は忙しかった

▶サトウ君と言ったって栄作君や健(たける)君のことではない。英国人通訳生アーネスト・サトウだ。サトウが来日したわずか6日後、英公使館の目と鼻の先(横浜市鶴見区)で生麦事件が起こった。イギリスと幕府、薩摩藩の間に緊張が走った。翌1863年1月31日、現JR品川駅近くの御殿山で完成寸前だった英国公使館が何者かに襲撃されて全焼した。英公使オールコックは「江戸、ヤベェじゃ~ん」と震え上がり移転を諦め、公使館は横浜にとどまった。襲ったのは高杉晋作をリーダーとする長州藩士たち。下手人のうち井上馨、伊藤博文、山尾庸三の3人に遠藤謹助、野村弥吉を加えた5人は事件から半年後の6月27日、イギリスに密航する。のちに長州ファイブと呼ばれドラマ化もされる5人だ。わずか数行で書いた「英国公使館焼き討ち事件」。おかしいよね? おかしいでしょ? 公使館を焼き払うほどイギリスを敵視していた攘夷派の志士たちが、事件からわずか半年後にイギリスを目指すって。テロ活動のためならまだしも留学ってどゆこと? 一方、生麦事件以来、日本と緊張関係にあった英政府がイギリスへの密航者を許可するってのも不可解。何があった?

▶この謎を解くカギはロスチャイルド家の手先だったジャーディン・マセソン商会にある。ジャーディン・マセソン商会は1860年に横浜山下公園近くに洋館を建てて社屋とした。地元の人からは「英一番館」と呼ばれた。この当時、外国人が居留できる場所は厳しく限定されていたから英公使館もすぐ近く。ある程度の交流があったと考えるのが普通だ。ジャーディン・マセソン商会としては日英政府の動向を窺うためにも英公使館は横浜にいて欲しかったはずだ。品川はめまいがするほど遠い。支店長ウィリアム・ケズィックが密かに「御殿山の新公使館なんか、燃えちゃえばいいのに」と願っても不思議はない。そしたら本当に燃えちゃった。あるんだね、こういう偶然。

長州ファイブが聴講したUCLですが、何か?
長州ファイブが聴講したUCLですが、何か?

▶放火犯3人を含む長州藩士5人が、まるで何かのご褒美のように同社手配の船でイギリスへと向かう。到着したロンドンで彼らを待っていたのはマセソン商会社長ヒュー・マセソンだった。マセソンの斡旋によって下宿先を見つけた5人はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の聴講生となった。この当時、オックスブリッジなどの古い大学は閉鎖的で、学生は英国国教会教徒、貴族階級の男子に限定されていたため長州ファイブの聴講は許されなかった。幕府が危険視する長州藩士の密航を英政府が手引きするとは考えづらい。バレたらイギリスは外交の場で不利となり、利は宿敵フランスへと向かう。従って長州ファイブの密航はロスチャイルド家の指示を受けたジャーディン・マセソン商会が英政府に内緒で単独でやったと考えるべきだろう。英政府は密航5人衆の中に公使館を丸焦げにした犯人が3人も含まれていることすら知らなかったと思われる。例え悪事であっても、国益に繋がれば英政府は後に必ず追認する。もはやイギリス伝統のお家芸と言って良い。

▶7月には京都で池田屋事件があり、8月には薩英戦争が勃発。サトウも軍艦甲板上から炎上する鹿児島を見た。金の匂いを嗅ぎつけた英系銀行が続々と横浜に進出して来た。1863年。目の前で世界史が怒涛の回転を始めた。二十歳のサトウ君にとって真に多忙な1年であった、と何とかタイトルの内容に戻れたところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1240(2022年5月19日)掲載

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