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■ 第119話 ■怪しい小僧が日本にやって来た

▶「日本を極東のイギリスにせよ」。これは一体、誰が誰に宛てたメッセージなのか。普通に考えれば英政府が駐日公使に宛てたものに思える。しかし世界の頂点に君臨していた大英帝国が、わざわざ極東でライバル国を育てようとするだろうか。「日本を植民地にしちまいな~」で十分だ。となるとこの指令が英政府関係者の口から出たものと考えるのは不自然だ。ペリー提督が浦賀に来るわずか9年前、ロスチャイルド家のフロント企業であったバンク・オブ・イングランドが中央銀行に昇格。ロスチャイルド家は念願の通貨発行権を手に入れた。並行してロスチャイルド代理人のジャーディン・マセソン商会が清相手にアヘン戦争を仕掛け、勝利して莫大な利権を得た。ロスチャイルド家のやり口を知ってからもう一度、この「日本を極東のイギリスにせよ」という指令の行間を読むと「イギリスをやったように、日本もやっちまいな~」という文字が透けて来る。今回もこんな感じで話を盛り上げて参りますが、よろしかったでしょうか?

▶日本を第2のイギリスにしようと目論んでいたのがロスチャイルド家だったと仮定した場合、この指令の宛先は一体誰だったのか。イギリスが日本と1858年に修好通商条約を結んだ翌年、公使オールコックらと共にジャーディン・マセソン商会の初代支店長ウィリアム・ケズィックが来日し、横浜に支店を開いた。同商会の新人社員、弱冠21歳のトーマス・グラバーも同年暮れには長崎に到着した。同商会が日本のイギリス化の中心的役割を果たしたことはほぼ間違いない。しかし突然上海から日本に送られて来た若い商社マンたちだけでは移動の制限が厳しい幕末の日本での諜報活動には限界があったはずだ。商社マンより国内を自由に動き回れる存在、つまり英国公使周辺にいる人物の協力が不可欠となる。その役を担うこととなる人物、実はこの時まだ日本にいない。筆者が「その男」と睨んでいる人物が来日するのはこの3年後のことだ。英公使館や商社、銀行等が横浜に進出を果たした頃、その男は名門ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に入学したばかりの、まだ顔にあどけなさが残る16歳の少年だった。

ドリナ
26歳のアーネスト・サトウですが、何か?

▶少年はUCL在学中にローレンス・オリファントという作家が書いた「エルギン卿遣日使節録」に触れた。オリファントは英国公使オールコックと共に来日し、一等書記として勤めた。後に英公使館が攘夷派浪士たちに襲撃され、オリファントは数ヵ所を切られて負傷。治療のため帰国した。少年はこの「エルギン卿遣日使節録」を読んでひどく日本に興味を抱くようになった。18歳になると英外務省領事部に通訳生として入省し、日本勤務を希望。そして1862年9月8日、憧れの日本の土を踏んだ。まだ19歳の小僧だった。

▶小僧の名はアーネスト・メイソン・サトウ(Ernest Mason Satow)。幕末明治を描いた映画やドラマに頻繁に登場する通訳士だ。来英時のサトウは日本語が拙かった。しかし数年で日本人と互角に渡り合えるほどに上達する。筆者はなぜかこの不思議な苗字を持つイギリス人に魅かれ、その身辺を長年クンクン嗅ぎ回って来た。そのサトウが来日してわずか6日後の9月14日、イギリス商人が惨殺される『生麦事件』が発生した。小僧の激動の幕末が幕を開けた。こんな感じで進みますけど、よろしかったでしょうか?とご機嫌伺いしたところで次号に続くぜ。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1239(2022年5月12日)掲載

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