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■ 第62話 ■衝撃的な日本のコピー力

▼景徳鎮や有田の磁器がヨーロッパの有力諸侯や貴族の間で大流行。磁器好きのザクセン選帝侯が呟いた一言、「パクれ」からマイセンが誕生したことは先に述べた。その後は他国にマイセンの技術が流出。数百年を経て西洋食器は景徳鎮や有田を凌駕するまでの人気アイテムになっちまった。「真似しやがって」と文句の一つも言いたいところだが、日本は日本でヨーロッパからもたらされたあるものを瞬殺でパクり、さらに改良を繰り返し、本家に劣らぬ立派なものを量産できるまでに至っていた。そりゃ何だ? 火縄銃だ。

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▼教科書には1543年、種子島に漂着したポルトガル人が火縄銃を日本にもたらした、みたいなことが書いてあった。どうやら事実は違う。船は明の倭寇のもので頭目は王直(おうちょく)という著名な海賊。王直は交易を目論むポルトガル商人と鉄砲のサンプルを乗せ、ピンポイントに日本目指してやって来た。種子島上陸後、ポルトガル人は領主の種子島時尭(ときたか)の前で火縄銃のプレゼンを行った。時尭、1528年生まれとあるからこの時わずかに16歳。ドッカーンとけたたましい音を立てて弾を発する鉄砲の破壊力にすっかりコーフン。時はまさに戦国時代。「こりゃ使える」と踏んだ時尭はすぐに火縄銃2挺の購入を決めた。購入価格に驚く。記録には2挺で2千両とある。今の価値にすると1挺1千万円以上になるらしい。ネットでライフル銃の値段を調べてみたら今どきは安いものなら1000米ドル(11万円弱)程度で手に入る。全て職人の手作りだったことを考慮しても1挺1千万円がいかに素人相手のぼったくりプライスだったかが分かる。ポルトガル人は「世間知らずで金払いの良い上客見っけ。オ~ブリガ~ド」と大喜び。再来を期して帰って行った。

火縄銃撃ってますが、何か? ©サフィル

▼数年後、ポルトガル人が大量の火縄銃を船に積んでデリシャス市場ジパングにスキップで戻って来た。ところがわずか1年のうちに種子島は鉄砲のコピーに成功していた。必要としていたのは当時どうしても分からない「ネジ」の切り方に関する知識程度だった。ポルトガル人、スキップ止めてガックリ。と同時にわずか1年で火縄銃を完コピしていた日本の技術力に驚嘆した。日本は彼らがそれまで世界中で蹴散らして来たインドやアジアの国々とは工業力が明らかに違った。わずか1年のうちに種子島で何が起こっていたのか。

▼種子島時尭は購入した2挺の火縄銃のうち1挺を薩摩の島津義久に献上。もう一挺は八板金兵衛(やついたきんべえ)という島の刀鍛冶師に渡しコピーを作れと命じた。金兵衛はこれを分解して研究し、すぐに火縄銃のコピーを作り上げた。すごくない? 一方、島津義久は火縄銃を室町12代将軍足利義晴に献上。義晴が近江国友の刀鍛冶師にこれを渡して複製を命じたことであっという間に火縄銃の国産化に成功し、量産も始まった。本当にすごくない? 1挺1000両で買ったと知った時は、世間知らずのボンボンが親のカードで道楽ショッピングかと見下した。しかしコピーして大量生産するためのサンプルだったと考えれば実に有益で安上がりな投資だった。やるな16歳。世間知らずだのボンボンだのディスってゴメンね。この後、火縄銃が拡散することで日本の戦争の在り方は大きく変化していく。そしてこの火縄銃が日本の若い女性たちに大変な悲劇をもたらすことになる。そんなこんなで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1182(2021年4月1日)掲載

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