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■ 第59話 ■東日本大震災10年直前

▼3月5日金曜日、ジャイルズ・ミルトン著の「さむらいウィリアム」という本をパラパラとめくっていた。ウィリアムとは関ケ原の戦いの半年前に日本に漂着し、外交顧問として徳川家康に仕えたイギリス人、ウィリアム・アダムス(三浦按針)のことだ。中に気になる描写があり、引き込まれて読んだ。

▼1609年、スペインのフィリピン総督がニュー・スペイン(メキシコ)に帰る途中、船が難破して日本で救助された。家康は帰国費用を用立て、アダムスが建造したガレオン船を与えて帰国させた。その2年後、答礼と費用返済のためセバスチャン・ビスカイノというニュー・スペイン総督が日本にやってきた。スペインの真の狙いはキリスト教布教再開を家康に認めさせることにあった。しかし家康はこれを許さなかった。そこでビスカイノは「今後も海難の恐れがあるから」と理由をつけ、日本沿岸の測量を願い出た。なぜか家康はこれを許可し、朱印状を与えてしまった。のちに家康がアダムスに相談するとアダムスは「スペインはまず宣教師を派遣して人々をカトリックに改宗させる。その後、軍隊を送り込んで制圧し、植民地を増やしている極道国家です」と言い、さらに「測量はその日に備えてのことに違いありませんぞ」と警告した。マジか? と驚いた家康は測量を許したことを後悔した。プロテスタントのイングランドはカトリック守護国スペインの無敵艦隊と激突したばかり。アダムス自身も物資運搬船船長としてこの海戦に参加していた。当然アダムスはスペインを嫌悪していたから大袈裟にチクった。

▼ビスカイノ測量隊は浦賀から出発し、徐々に北上した。1611年12月11日(慶長16年10月28日)昼頃、越喜来(おきらい)という漁村の沖合で3度の巨大な高波に襲われた。越喜来とは今の岩手県大船渡市三陸町越喜来にあたる。洋上にあったため幸い難を免れた。巨大な波の正体が分からないまま越喜来の湾に近づくと村の人々が大慌てで山の上に向かって逃げている様子が見えた。初めは突然現れた異国船に驚いたのかと思ったが、逃げる人々を追うかのようにうず高く盛り上がっていく海岸線に息を呑んだ。この時、一帯は巨大津波に襲われていた。午後2時頃と言われている。のちに言われる「慶長三陸地震津波」だ。

ウイリアム・アダムス
ウイリアム・アダムスですが、何か?

▼三陸を襲った巨大地震と津波は869年の貞観(じょうがん)地震が有名だが、この慶長三陸地震津波も大船渡や田老で最高20メートルの高さに達する巨大なものだった。被害は北海道や北方領土など広域にわたった。日高アイヌも大勢犠牲になった。この津波で5000人近くが命を落としたとされる。

▼三陸地方では過去、幾度となく巨大地震が発生している。1896年の明治三陸地震では2万人以上が亡くなり、1933年の昭和三陸地震では3千人超が死亡、あるいは行方不明となった。宮沢賢治は明治三陸地震の2ヵ月後に生まれ、昭和三陸地震の半年後に亡くなった。37歳だった。日本は複数のプレートが複雑にぶつかり合って出来た列島だ。プレートの動きを止められない以上、悲しいが地震や津波は今後も必ずやって来る。避けられないなら、いかに犠牲者を最小限に抑えるか、知恵を絞り続けるしかない。

▼東日本大震災から10年となる3月11日を目前に控えた3月5日、「さむらいウィリアム」をパラリとめくったことに何か意味はあるのだろうか。考えても答えは出ない。今はただ、ひたすらに追悼あるのみだ。厳かに次号に続く。チャンネルはそのままだ。

週刊ジャーニー No.1179(2021年3月11日)掲載

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