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■ 第37話 ■ グダグダ言ってたらペリーが来ちゃった

▼イングランドがインドで綿花と出会い、生産性を上げるために紡績機が次々と発明され、やがて産業革命に繋がっていったことは前号で述べた。綿織物工場が乱立したマンチェスターはやがて大都市に成長した。綿織物製品はイングランドに爆発的な利益と雇用をもたらし農民は職を求めて都市に向かった。もはやインドだけでは綿花の供給が追いつかない。そこでアメリカ南部、綿花プランテーションの農地拡大が加速。そしてそこにアフリカから1千万人を超える奴隷が運ばれていった。

▼カリブ海やブラジルでの砂糖やタバコのプランテーションと異なりアメリカ南部の綿花プランテーションでは黒人奴隷は家族を持つことが許された。おお、さすが自由と平等の国、アメリカ。奴隷といえどもちゃんと人権が認められていたのか? そんな事、あるはずがなかった。奴隷は家畜同様に酷使されたため命を落としたり脱走する者も多かった。奴隷を補充すればまた莫大な金がかかる。そこで奴隷男女に安定した生活基盤を持たせ、子を作らせた。そしてその子たちがまた奴隷となる。そのまた子たちも。いわば奴隷の「再生産」、もっと悪い言葉で言えば奴隷の「養殖」が目的だった。ひでー。

▼北米やカリブ海の国々は優れた黒人アスリートを多数輩出している。西アフリカで捕らえられた黒人男性で奴隷として出荷できるのは体重が60キロを超えた若く頑丈な者だけだった。そのため、体重が足りない者は毎日強制的に大量の食事を摂らされ、体重が60キロを超えると出荷された。女性は処女が高値で取引された。奴隷はまずここで最初のふるいにかけられた。そして奴隷船に積まれてアメリカ大陸へと送られるが、長旅と劣悪な船内環境に耐えきれずアメリカに着く前に命を落とす者が続出した。これが第2のふるいだった。

ペリーですけど、何か?

▼何度ふるいにかけられても生き抜いた、ストレスと病気に強い者だけがオークションにかけられ、男はプランテーションや鉱山へ、女は主に家政婦として売られていった。南部のプランターたちは奴隷として優良な男女を夫婦にさせ、子を作らせた。「品種改良」だ。かつて奴隷制度を採用していた欧米諸国に身体能力が高い黒人が多く見られるのはその時の負の遺産ともいえる。本来はお笑い路線のこの「グダグダ雑記帳」だが、内容が凄まじ過ぎて冗談は封印せざるを得ない。とほほ。

▼19世になるとアメリカにも産業革命の波が到達した。北部では工業と商業が盛んになっていった。一方、イングランドはさらに綿糸を欲した。綿花プランテーションも綿糸製造の機械化に成功し、供給量を増やし続けた。ところがイングランドは綿糸の仕入れ先としてインドとアメリカを両てんびんにかけた。プランターたちは低価格を実現するために昼夜問わずの生産体制に踏みきった。そのため夜でも工場内を明るくする必要が生じ、大量の油を欲した。一方の北部では機械化が進んだことで照明用の油の他に大量の潤滑油を欲するようになった。北部と南部、どちらのニーズも同時に満たす魔法の油があった。鯨油だ。大量の捕鯨船が太平洋で鯨を追い、日本近海までやってきた。捕らえた鯨は船上の窯で炊き、油だけを抽出して樽に詰めた。捕鯨船は薪や水を欲した。恰好の補給地があった。日本だ。そしてペリー提督が浦賀にやって来た。ああ、全部繋がっちゃった。そんなこんなで次号につづくぜ。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1157(2020年10月1日)掲載

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