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■ 第36話 ■
コトコトコットン、産業革命はじまった~

▼イングランド東インド会社が活動を開始した頃、積み荷のほとんどはコショウや香料だった。ところが17世紀後半になると主な積み荷は綿織物(コットン)となり、18世紀初めにはそこに茶やコーヒーが加わった。今でこそロールスロイスだフェラーリだ、エルメスだグッチだ、ボルドーだシャンパンだとヨーロッパには有名ブランドが山ほどあるが、この当時は中南米から掠め取って来た金や銀の他、毛織物や象牙などがある程度で、ヨーロッパに世界の人々が欲しがるものはほとんど存在しなかった。つまりブランド好きやグルメにとって実に魅力のない国ばかりだった。

▼一方、同時期のアジアにはありとあらゆるスパイスや香料の他、陶磁器や絹、木綿など、ヨーロッパの人が喉から手がビヨヨンと飛び出すほど欲しい商品に溢れていた。良いものは全て南にある。ヨーロッパ人はアジアに嫉妬した。憧れの地に観光で来てお金だけ落として帰って行ってくれるんだったら大歓迎だったけど、彼らは豊饒なアジアの大地を欲した。そして実行した。お陰で世界はグッチャグチャになっちゃった。大迷惑だっちゅーの。

▼イングランドではインドから買い付けた綿織物をカーテンやベッドリネン、衣料などに加工して国内はもとよりヨーロッパやアフリカ、そしてアメリカで売りまくった。事実売れまくった。やがてイングランドの加工業者は考えた。「イングランドで綿花が育たないのなら綿糸だけインドで仕入れて自分たちで綿織物に加工すれば今よりずっと儲かるんじゃね?」。ところがインド人織布工の技術水準は高い上に賃金はイングランドの4分の1程度。これでは太刀打ちできない。しかし太刀打ちしたい。生産性を一気に上げ、さらにコストを劇的に下げるマジックはないものか。

産業革命の入り口となった ジェニー紡績機(改良型)。

▼考えれば出て来るもんだ。18世紀後半に水力紡績機が発明されるとその後も次々と新しい紡績機が開発され、やがてインドに十分対抗しうる上質な綿糸を、それも大量に生産できる態勢が整った。機械化による大幅なコストダウンも実現した。こうしてまず繊維革命が起こった。そして蒸気機関の動力革命が起こり、蒸気船や鉄道といった交通革命に繋がっていく。これら革命3点セットが出揃うことで産業革命はほぼ完成し、イングランドに爆発的なパワーを与えてしまう。

▼イングランドの工場で綿織物の大量生産が始まるとインドの手工業は大打撃を受け、やがて綿花の供給地の地位に転落。インドの綿織物業界は壊滅した。一方でイングランド北西部ランカシャーやマンチェスター辺りにはにわかに綿織物の生産工場が乱立して大いに発展し潤った。イングランドが紡ぐ木綿製品は世界を席巻した。インドだけでは綿花の供給が追い付かなくなった。その頃、北米南部では綿花の栽培がボチボチ始まっていた。そこに綿花の巨大需要が降って湧いた。綿花プランターたちは18世紀後半以降、農地を拡大し続々と巨大綿花プランテーションを誕生させた。プランターは安価な労働力を大量に欲した。そしてまたアフリカの奴隷商人が忙しくなった。捕らえられた大量の黒人が家畜同然で奴隷船に積まれ、アフリカを後にした。運よく生きてアメリカに着いた者はオークションにかけられ、農場に連行されて行った。再び黒人の大移動が始まった。暗澹たる気持ちになったところで次号につづくぜ。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1156(2020年9月24日)掲載

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