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■ 第31話 ■ 甘いチョコの苦い過去

▼茶と砂糖。いずれもヨーロッパではほぼ栽培が不可能とされる。この2つのステータス・シンボルが17世紀のイギリスで出会ってしまったことで甘い紅茶が爆発的人気となった。一方大陸側では自国産ワインを飲む風習が根強く、紅茶や砂糖の消費はイギリスほど伸びなかった。本稿が始まった頃に述べたが、ヨーロッパはかなり北にある。フランスのマルセイユと札幌がほぼ同緯度だと言えば理解しやすいだろう。ロンドンなどは北海道を遥かに通り越して樺太の、それもかなり北の方だ。だからヨーロッパは農作物に恵まれない。スパイスも、茶もさとうきびもバナナもパパイヤも育たない。ヨーロッパで手に入る美味しいものは大概イスラム商人やヴェネチア商人らの手を経由して遥か南国から運ばれてきたものばかり。結果的にどれも末端価格は気の毒なほど高くなった。ヨーロッパはそれを不公平と感じ、直接産地に買いに行こうと海に漕ぎ出した。世界を不幸のズンドコに叩き落すウルトラ迷惑な大航海時代の始まりだ。

▼諸説あるが、コロンブス、またはアステカ帝国を滅ぼしたコステロ、いずれも大悪党だがどちらかがカカオの実をスペインに持ち帰った。マヤ、そしてアステカの富裕層はカカオの実を乾燥させて粉砕し、これに水や唐辛子などを加えて飲んでいた。ドロリと粘性があり大量の泡が浮く苦いドリンクだった。それでもこれを飲むと全身にエネルギーが満ち、股間マリモッコリってんで一日に50杯も飲む王様がいた。1585年以降、スペイン王室はカカオを輸入し始めた。スペイン人はカカオを乾燥・焙煎して粉砕。これに砂糖やバニラ、蜂蜜などを加え、現在のホットチョコレートに近いものを飲んでいた。レシピは門外不出だった。しかし次第に外に漏れ始め、フランスやイギリスの貴婦人たちの間で大人気となった。1828年にはオランダ人バン・ホーテンがカカオの豆からカカオバターを除去してカカオパウダーを作った。「ココア」の誕生だ。

1910年に出回った フライズ社のポスター

▼18世紀末、砂糖と奴隷貿易で大繁栄したイングランド西部の港町ブリストルでJ・S・フライという男がカカオの精製を始めた。ブリストルにはカリブ海の植民地から届いた砂糖が山ほど集まっていた。彼が興した「J. S. Fry & Sons」(通称フライズ)社は1847年、カカオドリンクの固形化に成功した。チョコレートバーの誕生だ。フライズ社のチョコバーは爆発的に売れた。その後同社は世界初となるチョコレートのイースターエッグを開発し世に送り出した。さらにネッスルが粉ミルクを開発。スイス人がこの粉ミルクを練り込んだミルクチョコレートを完成させた。ミルキーで甘いチョコレートはたちまちヨーロッパのご婦人たちを熱狂させた。

▼砂糖も紅茶もチョコレートもアフリカに暮らす黒人たちにとっては不幸な商品でしかなかった。イギリスを筆頭に今度はカカオのプランテーションが始まった。ブラジルや象牙海岸、ガーナ、ナイジェリア、そしてインドネシアにカカオの苗木が移植された。ヨーロッパの人々を幸せにするために、さらにアフリカの黒人たちが奴隷として売られていった。

▼余談だがカカオ(cacao)はイギリス貿易商が誤ってcocoaと綴ってしまったことからココアとも呼ばれてしまう。面倒くせ~! また、世界初の固形チョコレートを開発したフライズ社は20世紀初頭、カドベリー社に吸収合併され、事実上消滅した。そんなこんなで紙面が尽きたから次号にグダグダと続くぜ。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1151(2020年8月20日)掲載

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