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■ 第30話 ■ 紅茶と砂糖が出会った悲劇

▼砂糖はコロンブス以降、突然登場した訳ではない。砂糖の原料となるさとうきびはインド周辺が原産。古くからアラブの商人によってヨーロッパにもたらされていた。ただし、気が遠くなるような距離を、目がくらむほど多くの人の手を経由して運ばれて来るためヨーロッパに到達する頃には目玉がビ ヨ~ンと飛び出るほどお高くなっていた。砂糖は初め薬として認識され、白く高貴な輝きを放つ結晶の神秘性と希少性ゆえ、王侯貴族や富裕層の間で珍重された。やがて調味料として使われ始めるようになると貴族たちは豊かさを誇示するため競って砂糖を求め、これみよがしに使った。宴会では砂糖がたっぷり使われたケーキが飾られた。ウエディングケーキの走りと言われる。高価な砂糖はイングランドでステータス・シンボルとなった。

▼茶も砂糖同様、初めは薬として認識されていた。ところが17世紀中ごろ、チャールズ2世に嫁いだポルトガルの王女がイングランド王室に飲み物として緑茶を持ち込んだ。この時イギリスはまだヨーロッパの中流国だった。イギリス人は可憐なほど大陸の文化に憧れた。すぐに茶がブームとなった。遠路中国から運ばれて来るエキゾチックな飲み物にイギリスの富裕層は熱狂した。高額だったにもかかわらず茶を競い合うようにして飲んだ。やがてイギリス人は緑茶を酸化発酵させたストロングタイプのブラックティー(紅茶)の方を好むようになった。1720年頃には紅茶が緑茶の輸入量を超えた。イギリスの東インド会社は茶の苗木を中国から持ち出し、セイロン(現スリランカ)やインドに移植。いつしか紅茶もイングランドでステータス・シンボルとなった。

砂糖プランテーションで働く黒人奴隷 © Théodore-Bray

▼砂糖と紅茶。2つのステータス・シンボルがほぼ同時期にイギリスに出現した。この頃のイギリス人は微笑ましいほどに幼稚で俗っぽかった。人々はお互いの豊かさを競って優位に立とうとした。そんな中、遂に2つのステータス・シンボルを合体させるダブル見栄っ張りが現れた。砂糖をたっぷり入れて甘くした紅茶の誕生だ。王侯貴族の間でこの甘い紅茶が大ブームとなった。幼稚で俗っぽいのは王侯貴族だけではなかった。庶民や農民たちは上流階級の真似をしたがった。カリブ海の黒人奴隷たちの汗と涙の結晶とも言える砂糖がイギリス人の見栄と欲望を満たすため続々と運ばれた。東インド会社もせっせと茶を本国に送った。茶も砂糖も生産量が増えるに従い値段が下がり始めた。一般庶民の手にも届くようになり甘い紅茶を飲む習慣が全国に広まっていった。西と東、遠い南国の植民地で作られた砂糖と紅茶が北国イギリスで出会ってしまった。カリブ海の黒人奴隷もセイロンやインドの使役人も、さらに過酷な労働を強いられていくこととなる。

▼この頃、甘い紅茶を飲む風習はイギリス特有のものだった。大陸では外来飲料よりも自国で作られるワインが好まれていたためだ。需要が少ないためカリブ海のフランス領植民地で作られる砂糖の価格は低かった。この当時のフランスの砂糖消費量はイギリスの10分の1だったと言われる。しかしあることがきっかけでヨーロッパ全土はさらに爆発的に砂糖を欲することとなる。その結果、砂糖プランテーションはより一層の労働力を必要とするようになっていく。紙面が尽きたぜ。もったいつけてグダグダと次号に続いちゃうぜ。チャンネルはそのままだぜぃ。参考資料:川北稔著『砂糖の世界史』

週刊ジャーニー No.1150(2020年8月13日)掲載

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