
●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部
■ 17世紀初頭に企てられた、国会議事堂爆破によるジェームズ1世暗殺計画。計画の実行目前に犯人らは取り押さえられ、国会議事堂と国王は難を逃れた。これを祝う行事が、首謀者の1人の名前を掲げた「ガイ・フォークス・ナイト」だ。今号では、冬時間に入り、朝晩は震えるほどの寒さを感じはじめる時期に行われる花火大会の起源について検証する。
英国では「ガンパウダー・プロット(Gunpowder Plot)」という言葉で知られる、今からちょうど420年前の1605年に起きた国王暗殺未遂事件。他国と同様に、英国でも王位継承争い、政治闘争、宗教問題などにより幾度にもわたって君主暗殺計画が企てられてきたが、その多くは王侯貴族間のもので、市民にとっては「天井の上の出来事」であった。
そうした中でこの火薬陰謀事件は、首謀者が一般市民(ジェントリ階級)であったこと、国会議事堂諸共の爆殺という派手な計画、直前の密告がなければ爆破は成功していたというドラマ性、そして各地でのかがり火や花火大会の開催によって、今でも忘れ去られずに語り継がれ、現代では首謀者の1人であるガイ・フォークスの名前は「権力への反逆者」の象徴にもなっている。
そもそもガイ・フォークスたちが国王暗殺を目論んだのは、宗教闘争に端を発している。ヘンリー8世の離婚問題でイングランドはカトリックから英国国教会(プロテスタント)へ変わったものの、次のメアリー1世はカトリックに戻し、さらに次のエリザベス1世は再びプロテスタントへ戻し…と宗教がコロコロ変更。国を統一するため、それぞれの君主は処刑や弾圧もためらわない強硬政策をとった。そうして追い詰められた急進派カトリック教徒のグループによる謀反であり、国王と議会を一気に吹っ飛ばして失くしてしまえばカトリックの時代が再来する――と信じての行動だった。
議会の開会日には、全議員と議会開始を宣言する国王が一堂に集まる。その日を狙って順調に準備を進めたが、決行日の10日前に議員のもとに密告があり、事態は国王の知るところになる。結局、火薬が詰まった樽の点火係として現場に潜んでいたガイ・フォークスが現行犯逮捕され、事件は未遂で幕を閉じた。これがきっかけで、英国ではカトリック教徒が君主になることは認められていない。
1:ジェームズ1世は「魔女狩り王」
暗殺のターゲットとなったジェームズ1世は、信仰心の篤いカトリック教徒として知られたスコットランド女王メアリー・ステュアートの息子。プロテスタントではあったが、スコットランドでは当初カトリックに対して寛容な姿勢を保っていたため、彼ならカトリックを擁護してくれるのでは…と期待されていた。
ところが、ヨーロッパ大陸で魔女狩りが爆発的に横行すると、その影響を受けたジェームズ1世は「異端者」に容赦ない処罰を与えるようになり、エリザベス1世以上にカトリックを弾圧。カトリック教徒は身を潜ませねばならず、国王を排除しないと安心して暮らせない…と追い詰められていった。
2:首謀者たちは不運な「13人」!
ヨーロッパでは「13」は不吉な数。処刑前夜に行われたイエス・キリストの最後の晩餐に集まったのが「13人」で、さらに「13番目」の席に着いた弟子が裏切ったことが、不吉な数字と言われる由来とされている。
火薬陰謀事件のグループリーダーは、オックスフォード大を出たジェントリ階級のロバート・ケイツビーで、彼に賛同して集まった主犯格が4人、ガイ・フォークスはその中の1人だった。徐々に人数は増え、偶然事情を知ってしまったケイツビーの使用人が不本意にも参加。13人に達したその時点で、結果は決まっていたのかもしれない。
3:チャンスを招いた国会議事堂の改築
11世紀建造の旧王宮であった国会議事堂内には、会議室のほか、王族の住居や議員用のパブもあり、常にどこかで改築工事が行われていた。
スペインでの従軍経験により火薬の扱いに長けていたガイ・フォークスは、「ジョン・ジョンソン」と名乗って国会議事堂の隣に家を借り、火薬の詰まった36の樽を調達。貴族院本会議室までトンネルを掘り、樽を運び込む予定だった。しかし、会議室の真下にある貯蔵庫が運良く空き、改築工事にまぎれて樽の搬入に成功。「神の導き」だと、彼らは神に感謝した。
4:逮捕現場の貯蔵庫はまだ存在する?

1605年11月4日深夜、ガイ・フォークスは貯蔵庫に身を潜ませて翌日の議会開会を待っていたが、午前零時を過ぎた瞬間に衛兵らが突入。現行犯で捕らえられ、薪束と炭で覆い隠されていた樽は水をかけられた。
逮捕現場となった地下の貯蔵庫は1834年に発生した火災で崩壊、現存しないが、ガイ・フォークスが当時携えていたランタンは、オックスフォードにあるアシュモリアン博物館に所蔵されている。
5:拷問と投獄先の身分差

ロンドン塔に投獄されたガイ・フォークスは、どれほど尋問を受けても口を割らなかったため、地下にある一辺1.20メートルほどの真っ暗な監禁用独房に押し込められ、うずくまって身動きできずに過ごした。日中は引きずり出され、ロンドン塔で最も過酷とされる拷問法「引き伸ばしの刑」を繰り返された結果、ついにすべてを自白した。
残る謀反者12人のうち、4人は逮捕時に反抗したために射殺、7人はロンドン塔に投獄。身分が低かったケイツビーの使用人は、さらに環境の悪い庶民用監獄へ移送された。
6:ガイ・フォークス、最後は自害だった!?

翌年1月30日にセント・ポール大聖堂の中庭で4人が絞首刑、31日にガイ・フォークスを含む4人が国会議事堂前で絞首刑になった。処刑前には馬による「引き回しの刑」も行われ、数々の拷問を受けたフォークスは、絞首台への梯子を1人でのぼることさえできなかった。
手助けされながら梯子をのぼる途中、すでに縄を首にかけていたガイ・フォークスは足を踏み外し、あっけなく絶命。自ら命を絶ったのか、それともアクシデントだったのか。真相はわからない。
7:かがり火で燃やすのは教皇だった⁉

処刑執行後、ジェームズ1世は11月5日を祝日と定め、教会で礼拝を行うことを義務付けた。やがて、かがり火や人形劇、祝砲といった祝賀行事も始まり、1673年頃には街中を引き回した人形をかがり火で燃やすイベントも発生。ただ、当時は人形はガイ・フォークスではなく、反カトリック感情からローマ教皇の姿だった。ガイ・フォークスに変わったのは19世紀で、その頃に礼拝も廃止されている。
花火製造業者はこの行事と花火を結びつけようと、1910年に「Fireworks Night」と名付けて販売を促進。売上は20%も増加し、やがてファミリーイベントとして定着した。
8:映画がもたらした現代のアンチヒーロー像

この事件が花火大会としてだけでなく、暴政との闘いのシンボルともみなされているのは、1980年代に英作家アラン・ムーアが出版した小説「V for Vendetta」の影響によるものである。
弾圧的な体制が敷かれる英国で、ガイ・フォークスの仮面を付けた謎の人物「V」が、才能を駆使してその体制を崩壊させようとする物語なのだが、小説のイラストで描かれたガイ・フォークスの不気味な仮面が強い印象を残した上、後の映画の大ヒット(2005年)ですっかり反政府主義のイメージが浸透。英国に限らず、世界中で抗議活動の象徴となっている。
生誕の地 ヨークで
ガイ・フォークス散歩

ガイ・フォークスは1570年4月13日、イングランド北部の古都ヨークで生まれた。彼が生まれ育った家は、ヨーク大聖堂のすぐ近くにあり、現在はパブ&4つ星ホテル「ガイ・フォークス・イン」となっている。パブの看板にはお馴染みのガイ・フォークスの仮面、窓辺にはブルー・プラークも飾ってあるので、すぐに見つかるはずだ。
ガイ・フォークスが洗礼を受けたセント・マイケル・ル・ベルフレイ教会は、ヨーク大聖堂の隣に建っており、「ガイ・フォークス・イン」の真向かいにあるので、これも見逃さないで済むだろう。
ヨークを訪れた際には、足を運んでみては?
生家跡に建つパブ&ホテル
Guy Fawkes Inn
25 High Petergate, York, YO1 7HP
www.guyfawkesinnyork.com

ガイ・フォークスが洗礼を受けた教会
St. Michael Le Belfrey
週刊ジャーニー No.1417(2025年10月30日)掲載


















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