ガイ・フォークスの陰謀 ジェームズ1世を爆殺せよ 【前編】
陰謀事件の主なメンバーたち。右から:トーマス・ウィンター、ロバート・ケイツビー、ガイ・フォークス、トーマス・パーシー、ジョン・ライト、クリストファー・ライト、ロバート・ウィンター、トーマス・ベイツ。

■ 11月始め、英国各地で花火大会が催される。日本では花火といえば夏の風物詩。なぜこの寒い時期に? その答えは、11月5日の「ガイ・フォークス・ナイト」にある。17世紀初頭、ガイ・フォークスなる人物は、国会議事堂爆破・ジェームズ1世暗殺計画に関わった。計画実行目前に犯人らは取り押さえられ、国会は難を逃れた。これを祝う行事が「ガイ・フォークス・ナイト」だ。今回は前後編に分けて、このガイ・フォークスに焦点をあてる。

●サバイバー●取材・執筆/奥本 香・本誌編集部

1606年1月31日、ウェストミンスターのオールド・パレス・ヤード。

処刑を一目見ようと集まった群衆は、興奮の絶頂に達していた。人々の罵声が飛び交う中、ガイ・フォークスは拷問によりボロボロになった身体を引きずりながら絞首台に立った。刑執行人が、彼に向かってつぶやく。「お前のような国賊は天国には行けない。地獄行きだ」。しかし、フォークスの頭の中には、天国ではない「もっと良い所」が浮かんでいた。生まれ故郷ヨークの町並み、緑鮮やかなヨークシャー渓谷、仲間たちと通った学校――。

「兵士になりたい。そしてイングランドをもう一度カトリックの国にしたい」

あの頃の夢と希望が、なぜこんな悲惨な結末になってしまったのだろう…。フォークスは、絞首刑になろうとしている自分の境遇が信じられなかった。

踏みにじられた希望

カトリック弾圧を行った、国王ジェームズ1世。魔女狩りなども横行した。

ガイ・フォークスは、カトリック教徒による1605年の国会議事堂爆破陰謀事件の犯人として処刑された。同事件を理解するには、当時のイングランドにおけるカトリック教徒弾圧の事情を知る必要がある。

ヘンリー8世が創設したものの、娘メアリー1世により否定された「英国国教会」を信奉するエリザベス1世は、1558年に即位して以来、イングランドを再び英国国教会の国とすべく様々な策を弄し、カトリックの締め出しを進めていた。当時はまだ弱小国に過ぎなかったイングランドは、大国スペインを筆頭とする、ヨーロッパのカトリック勢力がいつ侵攻してきてもおかしくない状況にあった。エリザベスは国内のカトリック教徒たちが、『獅子身中の虫』 のごとく、敵の侵略を手助けするであろうと予測し、非常に恐れていたのである。

生涯、結婚することなく、子供のないままエリザベスが逝去。その後継者に、信仰心篤きカトリックとして知られたスコットランド女王メアリーの息子、ジェームズ6世の名が挙がった時、カトリック教徒たちに希望の光が差した。ジェームズはプロテスタントではあったが、当初、カトリックに対して寛容な姿勢を保っていたからだ。

1603年、このジェームズがジェームズ1世としてイングランド王に即位。彼ならカトリックを擁護する統治を行ってくれるのでは…という期待は、いやが上にも高まった。しかし、期待は無惨にも裏切られた。ジェームズは、エリザベス以上にカトリック教徒に対して強硬な態度をとったのである。追い詰められた一部の急進派カトリック教徒が集まって密かに立てた計画は、単なる暗殺にとどまらぬ大それたものだった。すなわち、国王と議会を、国会議事堂もろとも爆破してしまうという謀反を企てたのだ。その混乱に乗じてカトリック勢力でイングランドを掌握すれば、再びカトリックの時代が来ると信じたのである。

この前代未聞の爆破計画の主要メンバーは、リーダーのロバート・ケイツビー、トーマス・パーシー、ジョン・ライト、トーマス・ウィンター、ガイ・フォークスの5人。厳密にいえば、計画の発案者は既述の4人で、計画が持ち上がった時、フォークスは一兵卒としてオランダ(当時の北部ネーデルランド)に駐留していた。

運命を変えた、母の再婚

フォークスは、1570年にヨークで生まれた。母親はカトリックだったが、父親は裁判所の職員でプロテスタント。父親にならい、フォークスも最初はプロテスタント教徒として育てられた。ところが8歳の時、父親が死去。母親の再婚相手がカトリックだったため、フォークスも改宗することになった。この時から、フォークスの運命は、絞首台へと続く道に大きく軌道を変えたと言っていいだろう。カトリック教徒は敵国スペインを支援する「裏切者」と見なされ、信者であることを隠さねばならず、著しく肩身の狭い思いをして生きなければならなかった。

フォークスは、セント・ピーター小学校に入学。この学校は今もあるが、その頃は校長をはじめ教員も生徒も「隠れカトリック」だった。フォークスの親友のひとり、クリストファー・ライトのおばは、カトリック神父を匿っていたことが見つかり、「押し潰しの刑」で落命している。このクリストファーの兄が、後に爆破陰謀計画の主要メンバーとなるジョンであり、クリストファー自身もほどなくして計画に加わっている。

カトリック教徒は仕事を見つけることも容易ではなく、フォークスも職探しに苦労する。カトリックというだけで差別される日々。怒りや苦悩は、純粋な青年の信仰心をさらに高めていった。

21歳でイングランドでの生活に見切りをつけ、もてあますほどの強い信仰心を携えてスペイン軍に加入。オランダのプロテスタント軍と戦うことにより、カトリック教徒としての責務を果たそうと考えたのである。フォークスは優秀で、間もなく大尉に昇進。この頃に、導火線や火薬について知識を得ている。

ガイ・フォークスが洗礼を受けた、セント・マイケル・ル・ベルフレイ教会。ヨーク大聖堂(左端)の隣に建つ。© Mtaylor848

見つけた新たなる使命

それから13年。オランダでフォークスは失望していた。スペイン軍に入隊した頃の希望に満ちた姿はもうなかった。ジェームズがイングランド王に即位し、予想に反してカトリック弾圧が強まったことを受け、フォークスはイングランドに攻め入るようスペイン軍幹部に直訴したが、彼らは耳を貸さなかった。オランダ相手に戦うことにも辟易し始めており、またホームシックにもかかっていた。

そんなフォークスを、ある日、ひとりの男が訪ねてくる。同じくヨーロッパでカトリック側兵士として戦っていた、トーマス・ウィンターである。ケイツビーを中心に4人で爆破計画を進めるうち、火薬に関する知識が豊富で、しかもイングランドではカトリック教徒としてまだ目を付けられていない人物が必要になり、白羽の矢が立てられたのが、同郷ヨーク出身のフォークスだったのだ。

ウィンターは、フォークスにイングランドに戻るように力をこめて説いた。国王ジェームズのもと、弾圧を受けているカトリック教徒の仲間たちを救うために「君の技術と勇気が必要だ」と。希望を失いかけていたフォークスが、熱意あふれる言葉に胸を打たれ、容易に『洗脳』されたのも無理はない。フォークスは祖国を離れて久しく、その頃のイングランド情勢を正確に判断する術を持っていなかった。そのため、ジェームズを爆殺し、議会も爆破すればイングランドがカトリック教国に戻ると単純に信じたのである。イングランドのカトリック教徒が全員、王の暗殺を望んでいたわけではないことを、彼は後に思い知らされることになる。

フォークスは新しい使命を与えられ、気持ちが高揚するのを感じた。1604年の春のことであった。

フォークスはイングランドに帰国し、4人の共謀者と顔を合わせる。ウィンターの従兄弟であるケイツビーがリーダーで、5人は神の前で秘密を守る誓いを交わした。

ペストで決行延期

年は1605年に移り、準備はさらに進められた。主犯格5人の他に、数人のカトリック教徒が新たに加わった。

スペイン軍での爆薬経験が豊富なフォークスは、運搬・貯蔵責任者だった。「ジョン・ジョンソン」を名乗ったフォークスは、議事堂の隣の家を借りる。そして火薬の詰まった36の樽を調達し、ケイツビーが借りたテムズ河対岸の家に保管。船でフォークスの待機する家に運び、トンネルを掘って隣の議事堂へ運ぶ予定だった。しかし、トンネルを掘る作業は辛いばかりで遅々として進まず、フォークスたちを焦らせていた。

それだけに、貴族院本会議室の真下の貸し貯蔵庫に「空室ができた」という知らせが入った時には、フォークスらは飛び上がらんばかりに喜び、神の導きだと感謝した。貯蔵庫に入れるものに対してのチェックは厳しくなく、36の樽が一つずつ、ケイツビーの家から船で貯蔵庫に運び込まれた。

ところが、ここで想定外のことが起こる。ロンドンがペスト(黒死病)に襲われたのである。このため、次期国会開始日が春から秋に延期されることになった。実は当時の火薬には使用期限があり、秋だとそれが切れてしまう。36樽の火薬が無駄になり、全てを再調達しなければならなかった。このような回り道もあったものの、10月に入る頃には、準備作業は無事完了。いよいよ11月5日の議会開始を待つばかりとなった。(後編へ続く)

▲ 国王隣席のもとで議会が開かれる、国会議事堂内の貴族院本会議室の位置(赤色)。後に逮捕されたガイ・フォークスは、爆破予定だった会議室の向かいに広がるオールド・パレス・ヤードで公開処刑された。
▲ 貴族院本会議室の地下に広がる貯蔵庫。いくつも貯蔵室が並んでおり、会議室の真下のスペースが、奇跡的に空き室となった。

週刊ジャーニー No.1161(2020年10月29日)掲載