ガイ・フォークスの陰謀 ジェームズ1世を爆殺せよ 【後編】
陰謀事件の主なメンバーたち。右から:トーマス・ウィンター、ロバート・ケイツビー、ガイ・フォークス、トーマス・パーシー、ジョン・ライト、クリストファー・ライト、ロバート・ウィンター、トーマス・ベイツ。

■〈前回のあらすじ〉英国国教会を信奉する国王ジェームズ1世のもと、カトリック弾圧が激化していくイングランド。追い詰められた一部の急進派カトリック教徒が、国王と議会を国会議事堂もろとも爆破し、再びカトリックの時代を取り戻そうと陰謀をめぐらせた。この前代未聞の爆破計画の主要メンバーは、わずか5人。着々と準備を終え、いよいよ議会の開幕を待つだけとなっていたが…。1605年に起きた国会議事堂爆破・ジェームズ1世暗殺計画の失敗を祝う行事「ガイ・フォークス・ナイト(ボンファイヤー・ナイト)」にその名を遺す主犯の一人、ガイ・フォークスに焦点をあて、事件の終幕までを追う。

●サバイバー●取材・執筆/奥本 香・本誌編集部

皮肉な予言

陰謀事件のリーダーを務めるロバート・ケイツビーが描いたシナリオは、国王隣席のもとで議会が開かれる初日、会場の国会議事堂・貴族院本会議室を爆破するというもの。かつての従軍経験で爆薬の知識が豊富であったことから、運搬・貯蔵責任者となったガイ・フォークスは、火薬の詰まった36の樽を会議室の真下にある貯蔵庫へ隠し、あとは点火を待つだけとなっていた。ケイツビーはフォークスの仕事ぶりに大いに満足し、決行日に爆薬に点火する「栄誉ある役割」を彼に任じた。点火後の段取りも固まっており、フォークスはテムズ河を渡って対岸へ逃げ、主要メンバーの数人は、国王ジェームズの9歳になる娘エリザベスを誘拐し、ミッドランドに馬を走らせる計画だった。王女を新カトリック国の名目上の「女王」にするためである。

ケイツビーはフォークスに言った。

「君の名は、長く語り継がれることになるだろう」

しかし皮肉にも、歴史は計画とは異なる方向へと進み始めており、この予言は別の意味で実現されることになる。

実は共謀者の間では、不安が高まっていた。何ヵ月にも及ぶ準備期間中、ケイツビーは富裕層のカトリック教徒たちから陰謀計画への支援を募っていた。現金、武器、馬などの寄付が約束されたのは有り難かったが、同時に多くの人々が計画を知れば知るほど、陰謀が漏れる可能性も高まる。そして、その懸念は現実のものとなってしまう。

運命を決めた手紙

モンティーグル男爵へ届けられた、爆破計画を伝える密告書。

「密告」は、1605年10月最後の土曜日に起こった。

カトリック教徒の議員の一人、モンティーグル男爵の召使が夜道を歩いていると、ある男が近寄って来て、男爵宛の匿名の手紙を手渡してきた。議会開幕日、すなわち爆破決行予定日の10日前の出来事だった。モンティーグル卿は熱心なカトリック教徒だったが、ジェームズの治世下で「議員」という優遇処置を受けていた。

手紙には「議会初日に出席しないように」との警告が記されていた。「議会は『terrible blow』に見舞われるだろう」――。「blow」には様々な意味があるし、単なる嫌がらせという可能性もあった。だが、その意味を完璧には理解できないものの、男爵は直ちに馬を走らせ、国務長官ロバート・セシルにその手紙を届けた。もし何か事件が起きた場合、カトリックの立場がさらに悪くなると考えたからだ。

「モンティーグルの手紙」の存在は、すぐにケイツビーらにも伝わった。しかし、今さら計画を中止することは考えられなかった。政府が警告を悪戯と判断し、予定通り議会を開催すると信じ、計画は決行されることになった。

警告は「同胞への親切心」だったのかもしれない。密告者は不明のままだったが、メンバーに後から加わったフランシス・トレシャムが疑われた。モンティーグル男爵の義理の弟だったためである。トレシャムは強く否定したが、誰も信じなかった。失敗の危険性は増したものの、フォークスは任務に忠実に、1人で貯蔵庫を見張り続けた。

あっけない幕切れ

1605年11月4日、議会開始前夜。

国会議事堂の地下貯蔵庫に潜んでいたフォークスは、議会開幕の前夜に逮捕された。

議事堂地下の貯蔵庫には、薪束と炭で覆われた36樽の火薬がフォークスによって点火されるのを待っていた。

午前零時、唐突に大きな物音が響き渡った。貯蔵庫に捜査が入ったのだ。事態を把握する間もなく、フォークスは現行犯で捕らえられた。コートのポケットに潜められていた導火線は没収され、入念に隠された36の樽は呆気なく発見されて水をかけられた。

ケイツビーたちは、国王と議会を甘く見過ぎていた。男爵の手紙を受け取ったセシル国務長官は、間髪いれずに国王に報告。国王の指揮のもと、謀反人一味を逮捕すべく、この日まで犯人たちを『泳がせ』て逮捕の機会をうかがっていたのである。議事堂に隠れていたメンバーは全員捕縛され、激しく抵抗した者はその場で殺された。

11月5日早朝、点火役であったフォークス逮捕の知らせを受けて、現場にいなかった共謀者たちはすぐさま馬に飛び乗りロンドンを後にした。2人、あるいは3人1組になって、信頼できるカトリック系住民の多いウォリックシャーやスタフォードシャーに向かった。しかし、捜査の手はすぐに伸びてくる。7日から8日にかけて、イングランド中部の大規模な捜索が行われ、逃亡者の中には重傷を負っている者も少なくなく、抵抗し切れず全員が逮捕された。

最も恐れられた拷問

▲ フォークスは最初、ヘンリー8世の妃アン・ブーリンが処刑前に幽閉されていたロンドン塔内の「クイーンズ・ハウス」で尋問を受けていたが、口を割らなかったため、「ホワイトタワー」(中央)の地下にある拷問室へ連れて行かれた。

フォークスは身分を明かさず、「ジョン・ジョンソン」と偽名を通した。共謀者をかばい、何も喋らなかった。できるだけ時間を稼ぎ、仲間を逃がしたい一心だったのである。やがてフォークスはロンドン塔に移送され、厳しい拷問を受けることになる。真っ暗で立つことも横になることもできない独房に入れられ、日中は引きずり出されて拷問を受ける日が続いた。

フォークスに使われたのは、ロンドン塔で最も恐れられている拷問法「引き伸ばしの刑」。仰向けに寝かされた状態で、両手両足を逆方向に引っ張られるという拷問だ。信念の塊のような人物である彼も、さすがに限界だった。共謀者の名前と知っていた爆破計画の全てを自白した。

自白後、フォークスは主要メンバーの多くがすでに射殺されていたことを聞かされて涙を流した。リーダーのケイツビー、トーマス・パーシー、そして幼馴染のライト兄弟だった。唯一トーマス・ウィンターだけは重症を負っていたが生きており、後からロンドン塔に送られている。密告犯として疑われたトレシャムもロンドン塔に送られた中の一人だったが、牢獄で毒死した時には誰も悲しまなかった。

明くる年の1月27日。生き残った8人の謀反者の裁判が開始された。国家反逆の罪を否定する者はなく、全員が死刑を宣告され、公開処刑となった。そして1月30日、セント・ポール大聖堂の中庭で4人が絞首刑、翌31日の朝に、フォークスを含む残りの4人が国会議事堂前のオールド・パレス・ヤードで絞首刑となった。

数々の拷問を受けたフォークスの肉体では、絞首台の階段を1人で昇ることができず、刑執行人が手を貸さなければならなかった。しかし、台上に立つとフォークスは毅然と正面を向いた。処刑執行人の「地獄行きだ」との言葉にも一切取り乱さず、「神のお許しを」と祈りを唱え、胸の前で十字を切った。そして最後に一言、こう告げた。

「私は死を恐れない」

過激な殉教者

▲ フォークスら4人の公開処刑の様子。絞首刑となる前に、馬による引き回しの刑などを受け、遺体はバラバラにされた後、見せしめとしてロンドン各所でさらされた。

カトリックとプロテスタントに分かれ、血で血を洗う戦いが繰り広げられていた中で、フォークスはある意味「殉教者」の一人であったと言える。しかし彼らが目指した結果とは全く反対に、爆破陰謀事件がカトリック教徒にもたらしたものは、何世紀も続くことになる一層激しい弾圧だった。新しい法律が作られ、カトリック教徒は弁護士や軍人になることを禁じられた。ロンドンに住むことも禁止され、選挙権もない。英国国教会に改宗しない限り、死後の埋葬すら許されなかった。カトリック教徒が法律上、イングランドで英国国教会の教徒と同等の権利を得るまでに、それから200年以上も待つことになる。

フォークスは、最初から計画に参加していたわけではなかった。しかし後世、この陰謀計画は「ガイ・フォークス」の仕組んだものとして語り継がれている。それは火薬担当であったこと、計画実行の直前に火薬の詰まった樽の前で逮捕されたことが大きく関係しているのだろう。国会議事堂ではこれ以降、毎年欠かさず議会初日の前夜、次なる爆破計画を未然に防ぐために、衛兵が議事堂地下室を見廻ることになっている。

今年も11月5日がやってきた。新型コロナウイルスの影響で今回の花火大会は中止となったが、来年以降、再び華々しい花火や松明が英国の夜空を焦がすことだろう。

週刊ジャーニー No.1162(2020年11月5日)掲載