面白過ぎる英国史 500年前のブレグジット ヘンリー8世 どろ沼離婚劇 【前編】
戴冠した頃のヘンリー8世(Henry VIII 1491~1547)とキャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon 1485~1536 /最近はメアリー1世の肖像ではないかとする説もある)。

■2020年12月24日、英国とEUは期限切れわずか1週間というぎりぎりのタイミングで自由貿易協定(FTA)の合意に至った。様々な火種は残ったままだが、関税が発生し、経済が大混乱に陥る危機はとりあえず回避された。EUからの離脱は「ブレグジット」と表現される。英国はかつてカトリック教会から離脱した過去がある。今から500年近く前、ヘンリー8世の時だ。1回目のブレグジット。ローマやカトリックからの離脱前後に一体何が起こったのか、2週に渡って眺めてみたい。

●サバイバー●取材・執筆/手島 功

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兄嫁に焦がれた少年

チューダー朝の祖、ヘンリー7世(Henry VII 1457~1509 )。もう少し息子の教育をきっちりやって欲しかった。

ヘンリー・チューダーはヨーク家のリチャード3世を破って30年近く続いたばら戦争に終止符を打って即位。チューダー朝初代王ヘンリー7世となった。ヘンリー7世はランカスター家の傍流出身で、宿敵ヨーク家のエリザベス・オブ・ヨークと政略結婚することでチューダー家の盤石化を企図した。傍流のヘンリー7世を面白く思わない本流派の大貴族も多数存在した。そこでヘンリーはさらに足場を固めるため、大国との縁組を画策した。目をつけたのがカスティーリャとアラゴンという2つのカトリック王国が連合して誕生したばかりのスペインだった。ヘンリーはカスティーリャの女王イザベラ1世とアラゴン王、フェルディナンド2世との間に生まれた王女キャサリン・オブ・アラゴンと、長男アーサーの縁談を持ち掛けた。スペイン目線で見ると当時のイングランドはまだ二流国だったが、宿敵フランスを北から牽制するための道具として魅力的な存在だった。キャサリンはアーサー王太子の妃となるべく海路、イングランドに渡った。

イザベラ1世(Isabella I of Castile 1451~1504)。メアリー1世の祖母ということになる。

キャサリンにはファナという姉がいた。ファナは神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の長男ブルゴーニュ公フィリップに嫁いだ。このファナとフィリップの間に生まれるカール(キャサリンの甥)が、後にとんでもないスーパーパワーとなってイングランドのアーサーの弟、ヘンリー8世の前に立ちはだかることになる。

アーサーとキャサリンは1501年、ロンドンのセントポール大聖堂で挙式した。この時、祭壇前で待つ新郎の元へ新婦をエスコートして歩いたのは次男のヘンリー(のちのヘンリー8世)だった。結婚してすぐにアーサーとキャサリンの2人はウェールズ国境に近いラドロー城へと移動した。そこで2人は謎の感染症に襲われ、アーサーは15歳の若さで死去。キャサリンは生還したが16歳で未亡人となった。

スペイン王夫妻は莫大な持参金と共にキャサリンを即時帰国させよとヘンリー7世に迫った。しかし持参金の払い戻しを渋ったヘンリー7世は妻が先立ったのをいいことに「私じゃだめですか?」と自身がキャサリンと再婚しようと立候補した。キャサリンの母イザベラは「ざけんなよ」と一蹴。一瞬希望に膨らんだイングランド王は大国の女王に怒られてションボリ萎んだ。

微妙な立場に立たされた未亡人キャサリンはテムズ河畔にあったダラムハウスに幽閉された。両家から経済的援助を断たれ、生活は困窮を極めた。自分がダメならと次にヘンリー7世が目をつけたのが次男坊のヘンリーだった。11歳の少年ヘンリーは、大国スペインの宮廷で育ち、知性や教養、品格を備えた、いい匂いのする5歳年上の兄嫁にハートをズキュンと射抜かれた。この年頃の少年にとって兄の持っているものが人生の全て。兄の持ち物全てが輝いてみえた。ヘンリーは兄嫁を激しく欲した。スペインにとってもイングランドにとってもそれが最善策と思えたがそこに大きな障害が立ちはだかった。

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性交はあったか

アーサー王太子(Arthur Tudor 1486~1502)。即位していれば本物のアーサー王が誕生するはずだった。

新婚生活が例え4ヵ月半だったとはいえ、キャサリンは兄の元妻だった。教会法は旧約聖書のレビ記18章を根拠に近親者による性行為を厳しく禁じていた。兄嫁とのエッチもこれに相当した。アーサーとキャサリンの性行為の有無が王室、聖職者、ローマ教皇たちを巻き込んでの大騒動に発展した。

下ネタととられて訴えられると面倒なので補足説明をしておく。カトリックの教えでは性行為があって初めて夫婦は一体となり、婚姻が完成すると考えられていた。よって貴族の間では新婚初夜の営みは神父や司祭などの立ち合いのもとで行われることが多々あった。「床入りの儀式」というやつだ。極端なケースでは陰茎の挿入が第3者によって確認されて初めて神の祝福を受け、正式な夫婦と認められることすらあった。貴族の間では政略結婚が一般的だったため初夜性交の不成立を理由に婚姻が取り消されることを防ぐ目的があった。実に前世紀的な話だが、実際に前世紀の話だから仕方ない。

15歳の少年と16歳少女の2人がエッチしたかどうかで当時ヨーロッパを代表する立派な大人たちが口角泡を飛ばすという悲喜劇が繰り広げられた。取り調べも破廉恥を極めた。「やりましたよね?」「やってません!」「やってないわけないないでしょ!」「やってないものはやってません」。下世話なやり取りが延々と続いた。キャサリンは「アーサーはもともと虚弱体質な上に結婚してすぐに病気になって死んじゃったのでエッチする暇もチャンスもありませんでした」と主張し続けた。聡明なキャサリンはさらに法律を盾に突っ込んだ発言をした。「教会法は肉体関係があって初めて婚姻が成立すると謳っています。私たちの間に肉体関係はなかった。よって私たちは夫婦になっておりません」と訴え、婚姻の無効を主張した。

キャサリンの側近の一人は「性交はあった」と証言した。しかし女官長は「なかった」として譲らなかった。16歳の少女を挟んで繰り広げられる「やった」「やらない」の問答、今なら何重ものハラスメントになる。しかし当時は誰もが国家を揺るがす一大事と極めて真剣に向き合っていた。すったもんだの末、2人の間に肉体関係は「なかった」と結論づけられた。極めてグレーな審判だったが、20数年後に開かれる教会裁判の場でアーサーとキャサリンの性交の「有無」が明らかになる。

キャサリンは晴れてヘンリーと婚約した。アーサーの死から1年2ヵ月が経っていた。さらにその1年後、ローマ教皇はキャサリンとヘンリーの結婚を認める特免状を発行。結婚への障害はなくなった。しかしドラマはキャサリンにとって再び悪い方向に急展開する。キャサリンの母が死んだ。ただの母ではない。大国カスティーリャの女王イザベラ1世だった。これによって連合国アラゴン王の父フェルディナンド2世はカスティーリャ王の地位を喪失する。キャサリンの市場価値は大暴落した。父ヘンリー7世はキャサリンへの興味を失い、結婚を諦めるよう息子ヘンリーを説得した。大人たちの都合で引き裂かれる若い2人。障害はむしろヘンリーの燃え上がる恋心に油を注ぐ結果となった。

1509年4月、ヘンリー7世が死去した。アーサーの死から既に7年が経過し、キャサリンは23歳になっていた。18歳目前だったヘンリーが父を継いで即位し、ヘンリー8世となった。2人は枢密院の同意を得ることもなく、グリニッジ宮殿近くにあった小さな教会で密かに結婚した。

離脱への大暴走

アン・ブリン(Anne Boleyn 1501頃~1536)。その子エリザベス1世(Elizabeth I 1533~1603)はイングランドに黄金期をもたらすことになる。

ヘンリーとキャサリンはグリニッジ宮殿で仲睦まじく暮らした。キャサリンは7人の子を宿した。しかし5番目の子メアリー以外は全て死産か流産、生まれても夭逝した。チューダー朝は深刻な問題に直面した。キャサリンは健康な男子を産むことがないまま妊娠が難しい年齢に達していた。無事に育っているメアリーは女児。イングランドは歴史上、女王を頂いたことがなかった。メアリーが女王となれば国の内外から王配(女王の配偶者)の座を狙った婿候補が雲霞の如く押し寄せるは必定。チューダー朝が乗っ取られる危険性すらあった。ヘンリーには愛人が山ほどいてヘンリーの子を産んでいる侍女も多かった。しかしイングランドは日本と違い、側室の子を王位継承者と認めない。愛人が産んだ男児を強引にお世継ぎとするか、女児メアリーにチューダー朝を託すか、ヘンリーに残されたカードは多くなかった。信心深いヘンリーは「これは兄の嫁と結婚したことに対する呪いではないか」と考えるようになった。

苦悩するヘンリーの元に全く新しい選択肢が現れた。後にヘンリー2番目の妻となる侍女、アン・ブリンだ。フランス宮廷に仕えていたアンは父の命で20歳の時に帰国、キャサリンの侍女として宮廷入りした。ヘンリーはフランス宮廷の典雅な雰囲気をぷんぷんとまき散らす聡明で快活なアンに惹かれ、愛人になるよう迫った。ところがヘンリーの愛人となり、その子を産みながらも棄てられた姉メアリーの姿を目の前で見ていたアンはこれを一蹴した。その上で「私を抱きたければ王妃にして下さい。きっと立派な王子たちを産んで差し上げます」とヘンリーを誘惑した。フランス宮廷で身につけた巧みなアンの恋の駆け引き。アンの「結婚なくしてエッチなし」戦略に、セックス相手に不自由したことのなかったヘンリーは経験したことのない興奮を覚えた。ヘンリーは20年連れ添ったキャサリンを棄て、アンと再婚すると決めた。ところがカトリックは離婚を認めていない。キャサリンと離婚しなければアンが身体を許すことはない。「アンが欲しい」。キャサリンとの離婚に向けてヘンリー8世の大暴走が始まる。

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週刊ジャーニー No.1172(2021年1月21日)掲載