面白過ぎる英国史 500年前のブレグジット ヘンリー8世 どろ沼離婚劇 【後編】
ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴン。キャサリンが産んだ男児が成人していたらその後の英国史は全く違ったものになっていた可能性が大きい。

●サバイバー●取材・執筆/手島 功

ヘンリー8世から無理難題を申し付けられ、それを達成することができなかったがゆえに反逆罪に問われたトマス・ウルジーThomas Wolsey(1473~1530)。処刑される前に病死した。

20年連れ添った妻、キャサリン・オブ・アラゴンは健康な男児を産むことができないまま妊娠が難しい年齢となった。唯一生き延びた5番目の子は女児(メアリー1世)だった。チューダー朝安泰のためにどうしても男子が欲しいヘンリー8世はキャサリンを棄てて侍女のアン・ブリンと再婚すると決めた。しかしカトリックは離婚を認めていない。この難局の打開をヘンリーは枢機卿トマス・ウルジーに丸投げした。

ウルジーは考えた。正面から「離婚したい」と申し立ててもカトリックが離婚を禁じている以上、教皇も「はいどうぞ」とは言えまい。そこで「兄嫁との結婚は近親者との性行為を禁じる教会法に背く行為でした」と主張し婚姻自体をなかったことにしようとした。馬鹿げた理屈だった。というのも20年前「兄アーサーとキャサリンの間には性行為がなかったので兄夫婦は正式な夫婦ではなかった」と言って婚姻を無理やりキャンセルさせた上、キャサリンとヘンリーの婚姻を強引に承認させたのは他でもないヘンリー自身だった。

今度は「よく調べたら兄とキャサリンはやっぱりエッチしていて正式な夫婦でした。なので兄嫁との結婚は無効でしょ?」と言うもので、誰の目にも理屈は破綻していた。しかしそれでイングランド国内が丸く収まり、教皇に敬意と税を払い続けるのであれば誰がイングランド妃となろうが教皇にとってさほど大きな問題ではないはずだった。ところが。

捨て身の10倍返し

教会裁判で夫ヘンリー(左端)の前にひざまずき、夫の改心を訴えるキャサリン(左から2番目)。

ローマ教皇クレメンス7世は「ああそうですか」と簡単に許可できない事情を抱えていた。この時、キャサリンの甥カールは神聖ローマ帝国皇帝カール5世というヨーロッパ随一のスーパーパワーに大出世していた。キャサリンは甥に密書を送り「離婚を認めないよう教皇に圧力かけて」と依頼した。これに先立つ1527年、イタリア戦争の最中、ローマが宿敵フランスと手を組んだことを知ったカール5世は激怒してローマにドイツ人傭兵部隊を送り込んだ。傭兵たちはローマで破壊、略奪を繰り返し、教皇庁を包囲していた。ウルジーが呑気に婚姻の無効化工作に励んでいる頃、教皇の喉元にはカール5世の鋭い短剣が突き付けられている状態で、教皇はカール5世に逆らえる状況になかった。

婚姻無効の朗報が届かず「やばい。処刑される」と焦ったウルジーは自慢の邸宅、ハンプトンコートをヘンリーに献上して機嫌を取った。ヘンリー8世とカール5世の間で板挟みとなった教皇も仕方なく、形ばかりの教会裁判をロンドンで開催するよう指示した。使者には「のらりくらりとやって、結論は出さないようにね」と指示を出した。そうとも知らず裁判でヘンリーは張り切って婚姻の無効化を訴えた。

続いてキャサリンの番となった。キャサリンは突然ヘンリーの前に歩み出てひざまずいた。想定外の出来事に狼狽するヘンリー。キャサリンはヘンリーを見詰め涙ながらに訴えた。「この20年間がどれだけ素晴らしい歳月だったか。どれだけあなたを愛し、献身的に支え、共に闘ってきたか」。そして言った。「私たちの初夜のことを覚えておいでですね。あの夜、私は間違いなくヴァージンでした。あなたもよくご存知のはず」と大衆の面前で告白した。ヘンリーは困惑の表情を浮かべた後、押し黙った。臣下の面前で女王自ら「床入りの儀式」の様子を赤裸々に告白し、己の処女性を訴えるなど前代未聞の出来事だった。実際、キャサリンのこの告白は重大事項だった。

ヘンリーとの初夜、キャサリンが処女であったとするなら、兄アーサーとは性交がなかったことになる。聖書に基づく教会法はカップルは肉体関係があって初めて夫婦となすと定めていた。性交がなかったのであればアーサーとキャサリンの婚姻は成立せず、逆に性交のあったヘンリーとキャサリンの婚姻が有効という理屈になる。ヘンリーの矛盾を突く、キャサリン捨て身の10倍返しだった。裁判は予定通り何の結論も出さないまま閉廷した。調停に失敗したウルジーは罷免され、財産も没収された。さらに翌年反逆罪で逮捕されたが裁判所に移送される最中に病死した。斬首を回避できただけ幸せだったかもしれない。その後、2人の婚姻を無効とする知らせがローマ教皇から届くことは永遠になかった。

王妃2人の異常事態

1531年、捨て身の10倍返しも効果なく、キャサリンは宮廷を追放され、ピーターバラ近郊のキンボルトン城に軟禁され、愛娘メアリーとも引き裂かれた。ヘンリーは神聖ローマ帝国のカール5世と激しく対立するもう一人の巨人、フランスのフランソワ1世にすり寄り、アン・ブリンとの再婚の後ろ盾となってもらう了承を得た。アンは結婚が確実となったことでようやくヘンリーを受け入れた。婚約から7年の歳月が流れていた。この時アン31歳。ヘンリーは41歳になっていた。

アンが妊娠した。想定外のことにヘンリーは困惑した。出産前にキャサリンとの婚姻を無効化し、アンが正式に妃となっていなければ生まれて来る王子は婚外子(庶子)とされ、王位継承権が得られない。しかし教皇がキャサリンとの婚姻を無効化する気配はない。ヘンリーは決断を迫られた。そして教皇の裁可を待つことなく、アンとの結婚を強行した。教皇との関係が破綻するのは火を見るよりも明らかだった。「一体イングランドはどうなるのか!」宮廷は凍り付いた。

とりあえずアンはイングランドの新王妃となり、キャサリンは王妃のタイトルを剥奪された。1533年6月1日、ウエストミンスター寺院にてアンの戴冠式が執り行われた。人々の反応は冷ややかだった。誰かが唾を吐きながら言った。「王の娼婦ごときが」。

ヘンリーは王太子誕生の瞬間を、固唾を飲んで待った。1533年9月7日、アンは予定より少し早く出産の時を迎えた。女の子だった。何のための強行突破だったのか。全ての祝賀イベントはキャンセルされた。女児はエリザベスと名付けられた。後のエリザベス1世の誕生だ。

ヘンリー暴走の知らせにローマ教皇クレメンス7世は慌てて「キャサリンとヘンリーの婚姻だけが有効」と宣言し、直ちにキャサリンを王妃の座に戻せとヘンリーに迫った。ローマは全てに対して後手後手に回った。ヘンリーは「ガタガタうるせー」とカトリックとの決別を決意。そして自らイングランド国教会の首長となることで教皇の介入を遮断した。その後、新教皇パウルス3世はヘンリー8世を破門したがもはや何の効力も発揮しなかった。これでイングランドのカトリックからの離脱は一応完了した。ただし、その後もメアリー1世やジェームズ2世など、カトリックの王が即位する度にイングランドは激しく動揺し続けることになる。ちなみにヘンリー8世に棄てられたキャサリンだが、カトリックがヘンリーとの離婚を認めていない以上、カトリックの世界ではキャサリンこそが唯一無二のイングランド王妃であり、キャサリンもそのように振る舞い続けた。つまりこの時、イングランドにはキャサリンとアンという2人の王妃が存在していたことになる。

そして2人とも死んだ

ロンドン塔に監禁され、処刑を待つアン・ブリン。

1536年1月7日、キャサリンはがんのため50歳で死去した。ヘンリーとアンは祝福のダンスを舞った。キャサリンの遺体はピーターバラ大聖堂まで約40キロの道のりを運ばれた。キャサリンを慕う人々が沿道を埋め尽くした。広く国民に愛された王妃だった。しかしヘンリーはキャサリンを「アーサー王太子未亡人」として埋葬させた。

一方のアンはエリザベス出産後、流産を繰り返した。男児出産の約束を果たさない上、やたらと政治に口を挟みたがるアンは次第にヘンリーの寵愛を失って行った。キャサリン死去からわずか4ヵ月後、アンは突然逮捕された。そして姦通や国王暗殺計画等、身に覚えのない罪をいくつも被せられた末、ロンドン塔で首を刎ねられた。ヘンリーはその翌日、第3の妻となるカトリックのジェーン・シーモアと婚約、10日後に再婚した。

これが約500年前、イングランドがカトリックから離脱して主権を取り戻したブレグジットの全容だ。ヘンリー8世自身は敬虔なカトリック信者であり、ルターやカルヴァンらによって始まった宗教改革に批判的だった。カトリックに対する不満はなく、ただ単に離婚したかっただけだった。しかしそれが許されなかったため、離脱に舵を切った。離脱してみると歴代国王憧れの「主権」が手に入った。ローマに納めていた多額の税金も転がり込んできた。教会を王の下に置くことで絶対王政への道も開けた瞬間でもあった。

一方、離脱の代償も大きかった。エリザベス女王の時代には何度もカトリックから刺客が送り込まれた。エリザベス暗殺計画は発覚しただけで20を超えた。英国の諜報活動やスパイ組織網が拡充するのはこの時代のことだ。

その後もプロテスタントとカトリックの間で相当量の血が流れ続けた。北アイルランドではつい数年前までプロテスタントとカトリックが血で血を洗う抗争を繰り広げていた。IRA問題だ。これもヘンリー8世の離婚騒動を端に始まった宗教戦争の残火と言える。ヘンリー8世の個人的な事情が生んだ混沌だったが、我々は今、この時の混沌から続く歴史の中に生きている。

2020年12月31日、英国はEUから完全に離脱した。しかし歴史は、それが想像以上に困難を伴うものであることを饒舌に語っている。本当の闘いはむしろこれからなのかもしれない。

本紙が制作したユーチューブ動画「アーサー王になれなかったプリンス」もぜひご覧ください。

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週刊ジャーニー No.1173(2021年1月28日)掲載