■ 世界に先駆けて、地質学研究が発展した19世紀初頭のイングランドに、プロの「女性化石ハンター」がいた。彼女の名前は、メアリー・アニング。今回は、貧しい階層の出身ながら、時代の最先端をいく学者たちと渡り合い、不屈の精神で化石発掘に人生を捧げたひとりの女性の生涯を、前後編で振り返る。
●グレート・ブリトンズ●取材・執筆/根本玲子・本誌編集部
12歳の少女の偉業
冬の嵐が過ぎ去ったばかりの海岸。
もろく崩れやすい崖の断面から覗く巨大な眼窩(がんか)、くちばしのような細長い口、そこにびっしりと並んだ歯――。かつて誰も見た事ない不思議な生き物の頭部が、少女とその兄の目の前にあった。4フィート(約1・2メートル)もある頭骨を慎重に岩場から掘り出した2人は、化石を「土産物」として販売する小さな店を営んでいた自宅へと、この不思議な「物体」を抱えて持ち帰った。
このとき発見したのは、2億年前もの昔に存在した、イルカのような姿をしていたというジュラ紀の魚竜「イクチオサウルス」の頭部(上図)。この後、残りの胴体部分の化石を見つけ出したメアリーは、世界で初めてイクチオサウルスの完全な骨格標本を発見した人物となる。
食べていくために地元で化石を掘り出し、土産物として売っていた貧しい「化石屋」の若干12歳の娘が、どのような経緯で世界的な発見に至り、やがてプロの化石ハンターとして古生物学の世界への道を拓いていったのだろうか。彼女の幼少期から、順を追って探っていきたい。
雷に打たれた赤子
中生代のジュラ紀に形成された地層が海へと突き出した、東デヴォンからドーセットまで続くドラマチックな海岸線は、ユネスコの世界自然遺産にも登録され、化石の宝庫であることから、現在はジュラシック・コースト(Jurassic Coast)とも呼ばれる。
英仏海峡に面したライム・リージスは、ジュラシック・コースト沿いにある、何の変哲もない小さな町。ここで、メアリーは1799年、家具職人の娘として誕生した。父親は妻との間に10人の子供をもうけたが、流行病や火傷などの事故によって多くが幼少時に他界し、成人まで生き残ったのはメアリーと兄のジョセフだけだった。
ある日、隣人女性が生後15ヵ月だったメアリーを抱き、木陰でほかの女性2人と馬術ショーを観戦していた際、思いがけない事故が起こる。雷がその木を直撃、メアリーを抱いていた女性を含む3人が死亡したのだ。
赤子のメアリーも意識不明となるが、目撃者が大急ぎでメアリーを連れ帰り、熱い風呂に入れたところ、奇跡的に息を吹き返す。そして不思議なことに、それまで病気がちだったメアリーは、その日以降、元気で活発な子供になった。町の人々は、この「雷事件」が彼女の好奇心や知性、エキセントリックと評される性格に影響を及ぼしたに違いないと、のちに噂したという。
副業で化石探し
父親は仕事の合間を縫って海岸に出ては、化石を探して「土産物」として売り、家計の足しにしていた。当時のライム・リージスは富裕層が夏を過ごす「海辺のリゾート地」として栄えており、フランスで革命やナポレオン戦争が起こってからは特に、国外で休暇を過ごすことをあきらめた人々が押し寄せるようになっていた。
専門家でなくとも化石を所有することがファッションのひとつとされ、地質学・古生物学の基礎が築かれつつあったこの時代、富裕層や学者たちは化石の発見に常に注目していた。しかし一般には、これらの化石は、聖書に描かれた「ノアの大洪水」で死んだ生き物の名残だと考えられており、とぐろを巻いたアンモナイトの化石には「ヘビ石」、イカに似た生物ベレムナイトの化石には「悪魔の指」といった呼称がつけられていた。
また、「化石(fossil)」という名称もまだ確立されておらず、人々は不思議なもの、興味をそそるものという意味で「キュリオシティ(curiosity)」と呼んでいた。
アニング家は子供を毎日学校に通わせる余裕がなく、父親は本業の傍らに子供たちを海辺に連れて行き、化石探しを手伝わせ、商品として売るためのノウハウを教え込んだ。
化石売りはよい副収入になるものの、天候や潮の満ち引きに左右され、地滑りや転落事故と隣り合わせの危険な仕事。発掘に適しているのは嵐の多い冬期で、土砂崩れや大波により、新たな地層が露わになった岸壁を狙い、ハンマーとたがねを携え浜辺を歩く。そうしてせっかく「大物」を見つけても、掘り出しているうちに満潮となり、足場をなくして見失ったり、潮に流されてしまったりすることも多かった。加えて、沿岸部では密輸船も行き交っており、トラブルに巻き込まれる可能性も十分あった。そうした危険の中で、いかに化石を持ち帰るか――。子供たちが父親から学ぶことは山ほどあった。
メアリーは教会の日曜学校で読み書きを覚え、もともとの聡明さもあって、のちには独学で地質学や解剖学にも親しんでいくようになる。
リゾート地ゆえの出会い
メアリーの化石や古生物学に対する情熱は、父とライム・リージスにやってきた様々な人々との出会いによって形作られていった。中でも、この地に引っ越してきたロンドンの裕福な法律家の娘たち、フィルポット3姉妹の存在は大きい。
兄がライム・リージスに屋敷を購入したのに伴いやって来た、メアリー、マーガレット、エリザベスの3姉妹は、いずれも熱心な化石コレクターで、彼女らにとってこの地は宝箱のような場所であった。幼かったメアリーは、自分より20歳も年上で身分も高い彼女たちと化石を介して出会い、末娘エリザベスと毎日のように化石探しに出掛けるようになる。2人の友情はメアリーが成長するにつれ、高名な地質学者や彼らの妻たちとの交流につながっていった。
そしてもうひとり、10代のメアリーの人生に大きな影響を与えることになった人物がいる。のちにロンドン地質学会の会長を務めることになる、若き日のヘンリー・デ・ラ・ビーチ卿だ。裕福な軍人の家系に生まれたものの、地質学へと傾倒した彼は、多感な思春期にライム・リージスでメアリーと出会った。ともに化石探しに夢中になり、生涯にわたって2人は友人関係を保ち続けた。メアリーの経済状態が悪化した際には、自らが描いた古代生物のスケッチを売るなどして、援助を惜しまなかったのも彼であった。
半クラウン硬貨の希望
1810年の冬、結核を病んでいたにもかかわらず、体にむち打つようにいつもの海辺に出掛けたメアリーの父は崖から転落、命を落としてしまう。
働き手を失った家族に残されたのは、多額の借金ばかり。メアリーはこのとき11歳、兄ジョセフもまだ手に職はなく、一家の大黒柱になるには若過ぎた。教会の救済金に頼るまでに困窮した一家は、サイドビジネスだった化石屋に活路を見出そうとする。母と子供たちは連日のように海辺へと向かい、化石を探しては自宅で販売するだけでなく、町の馬車発着所でも売り歩き、細々と生計を立てていた。
そんなある日、海岸で掘り出したばかりのアンモナイトを手にしたメアリーを、ある女性が呼び止めた。彼女は半クラウン硬貨でそれを買い上げる。当時、半クラウンあれば一家の1週間の食料を手に入れることができた。
母親に硬貨を手渡したメアリーのつぶらな目は、一人前の稼ぎを手にした誇りと喜びに輝いていた。この出来事により、メアリーはプロの化石ハンターを目指すことを考え始める。化石を買った女性は地主の妻で、メアリーに雑用を頼み小遣いを与えるなど、日頃からアニング家の様子を気遣っていた。また知的好奇心が旺盛であるメアリーに対して、「ただの化石拾いに終わるには惜しい」とも思っていた。メアリーはこの婦人によって、初めて地質学の本を手にすることになった。
そして、父の死の翌年となる1811年の冬、彼女の運命を決定づける出来事が起こる。
いつものように、兄と嵐が過ぎ去ったばかりの海岸を訪れると、激しい波によって一部崩れた岸壁の断面に、「頭部のようなもの」が覗いているのを目にしたのだ――。この発見をきっかけに、メアリーの運命は大きく動き出していく。
週刊ジャーニー No.1163(2020年11月12日)掲載