世界初の女性化石ハンター メアリー・アニング 【後編】

■〈前回あらすじ〉貧しい家具職人の娘として生まれたメアリーは、父や兄とともに近所の海岸へ出掛けては、化石を探して「土産物」として売り、家計の足しにしていた。ところが、父親が発掘中に崖から転落して死去。困窮した一家は、「化石屋」に活路を見出そうとするが…。後編では、19世紀初頭のイングランドに登場したプロの女性化石ハンター、メアリー・アニングの偉業と女性ゆえの苦悩を追う。

●グレート・ブリトンズ●取材・執筆/根本玲子・本誌編集部

12歳の少女の大発見

父親を事故で亡くしてから1年が経った、1811年の冬。

いつものように、兄ジョセフと嵐が過ぎ去ったばかりの海岸を訪れた12歳のメアリーは、前夜の激しい波によって削られた岸壁に、「不思議な物体」の一部が覗いているのを発見した。メアリーは「目」がよく、アンモナイトなどの化石を誰よりも多く見つけていたが、そんな彼女の勘が「これは大物だ」と告げていた。兄と2人で崖の中から慎重に掘り出したものは、1・2メートルにも達する頭骨だった。

「これが、人々がクロコダイルと呼ぶ生き物なのかな?」

メアリーは父がかつて語った様々な話を思い起こしながら、どこか近くに埋もれているはずのこの生物の残り部分を探し当てたい…という情熱に駆られた。彼女にとって、化石はすでに「食べていくため」だけの商品ではなくなっていた。

頭骨だけでも偉大な発見であったが、メアリーはその後、1年以上も粘り強く残りの部分を探し続けた。そして、地滑りで地層が露わになった崖の地上から約9メートルの位置から、ついに体部分を発見。これは全長5メートル以上におよび、兄と作業員の助けを借りながら、見事に発掘に成功した。

ニュースを知ったオックスフォード大学の学者が、すぐにアニング家へと調査に訪れた。化石の「体内」には、なんとこの生物が食べていた魚の残骸が残されていたという。

奪われた名誉

人々は、この謎の化石を南国に生息する「クロコダイル」と信じていた。クロコダイルの化石は、ライム・リージス在住の地主が買い上げ、その後、ロンドンの著名な化石蒐集家の手に渡る。彼の邸宅で行われた博物展示会には、かのキャプテン・クックが世界各地から持ち帰った化石や、ナポレオンにまつわる品々、メキシコからやって来たエキゾチック

そして様々な研究ののち、1817年、このクロコダイルは古代の魚竜「イクチオサウルス」と命名された。イクチオサウルスの化石自体は、1699年にウェールズですでに発見されていたが、メアリーが見つけたのは世界初の全身化石。この世紀の発見により、「イクチオサウルス」という正式名が誕生したのだ。

しかし、オークションにかけられたイクチオサウルスの目録には、所有する化石蒐集家の名前が記されただけで、幼いメアリーの名前が言及されることはなかった。「世界初のイクチオサウルス全骨格の発見者」という輝かしい称号は、不運にも奪われてしまった。

海岸で採掘にいそしむメアリーの姿を描いたスケッチ。

「神の手」を誇った20代

イクチオサウルスの発見で、多少まとまった額の金を手に入れたものの、アニング家は相変わらずの貧乏暮らしだった。兄ジョセフは家具職人の修行に忙しく、母親が化石販売業を取り仕切り、年若いメアリーが採集人の主として岩場での作業を行った。

当時、女性がこのような危険な仕事に就くことは珍しいだけでなく、「化石少女」とからかいの対象になることもあった。だが、メアリーは父から授けられた技術、そして緻密な観察力と化石への情熱を武器に、プロの化石ハンターとして成長していく。また、独学で地質学や解剖学の知識を深めていった彼女は、見つけた化石を観察して分類するだけでなく、スケッチと特徴を詳細に記したものを学者たちに送り、その学術的価値を売り込むなど「営業」にも精力的だった。

最初の大きな発見から10年の年月を経た1821年、彼女は新たなイクチオサウルスの化石、そしてジュラ紀に生息した首長竜の一種「プレシオサウルス」(右頁の図)の骨格化石を世界で初めて発見するという再度の幸運に恵まれる。続いて1823年には、より完全な形で保存されたプレシオサウルス、1828年には新種の魚の化石、ドイツ以外では初めてとなる翼竜「ディモルフォドン」の全身化石などを次々と発見。「化石ハンター」としてのピークを迎えた。

イングランド南部 「ジュラシック・コースト」は地球のタイムカプセル

イングランド南部の東デヴォンからドーセットまで延びる、95マイル(約153キロ)に及ぶ海岸線(左図参照)は、2億5000年前から始まる三畳紀から、ジュラ紀、白亜紀へと続く「中生代」の地層が見られる世界唯一の場所として、ユネスコの世界自然遺産に指定されている。

この一帯では、白亜紀(1.4億~6500万年前)に地面が大きく傾いたため、さらに昔の三畳紀やジュラ紀の地層が露わになっており、数世紀に渡って地球科学の研究に貢献してきた。

© MichaelMaggs

メアリーが暮らしたライム・リージズ付近の海岸線も、三畳紀からジュラ紀にかけて形成されたライムストーン(石灰岩)と頁岩(けつがん)と呼ばれる2つの石が層になった「ブルー・ライアス(Blue Lias)」=写真下=と呼ばれる地層がむき出しになっている。メアリーは、この浜辺でイクチオサウルスを始めとする貴重な化石を見つけ出した。

現在でも、アンモナイトの化石などはビーチで簡単に見つけることができ、持ち帰りも自由だ。

認められた功績

30代半ばを迎えたメアリーは、大きな発見に恵まれず、このころから病魔に蝕まれていく。乳がんだった。その後も病気と闘いながら化石採集を続け、1847年3月、47歳の生涯を閉じる。

ロンドンの地質学会会長へと出世していたデ・ラ・ビーチ卿はメアリーの死を悼み、学会で彼女への追悼文を発表した。20世紀初頭まで女性の参加を許さず、性差と階級の壁が厚かった地質学会では異例のことであった。

メアリーの死から12年後、チャールズ・ダーウィンによる「種の起源」が発表される。突然変異と自然淘汰による進化論を世に知らしめた本書は、メアリーと交流し、彼女の化石をもとに研究を進めた当時一流の地質学者らからインスピレーションを得たものであったという。

1冊の書物も残さなかった彼女だったが、地質学に古生物学、そして進化論への道をも拓いたメアリー。19世紀初頭の社会が要求する「女性らしい生き方」にはこだわらず、情熱のおもむくまま在野のフィールドワーカーとして生涯を全うした。メアリーにより、英国の自然科学の発展にもたらされた功績は計り知れない。それは、2010年に王立学会が発表した「科学の歴史に最も影響を与えた英国人女性10人」の1人に選ばれていることからもわかるだろう。彼女が発見したジュラ紀の首長竜「プレシオサウルス」は現在、サウス・ケンジントンにある自然史博物館の化石ギャラリーに展示されているが、その全身化石の目の前に立てば、あまりの大きさに圧倒されるはずだ。

英語の早口言葉「She sells sea shells by the sea shore.(彼女は海岸で貝殻を売った)」のモデルとも言われるメアリーは、愛する故郷ライム・リージスの岸壁の上に建つ小さな教会で、今も海辺を見守るようにして眠りについている。

▲ ライム・リージスの崖の上に建つ、聖マイケルズ教会。メアリーは、ここに埋葬されている。
© Ballista
▲ 自然史博物館に展示されている、メアリーが発見したプレシオサウルス。見物客と比較すると、その巨大さがわかる。

週刊ジャーニー No.1164(2020年11月19日)掲載