19世紀の大建築家 ジョン・ナッシュ 後編
優美な曲線を描くリージェント・ストリートと、その生みの親であるジョン・ナッシュの肖像画©English Heritage。

一流店でのショッピングが楽しめる通りとしてだけでなく華麗な曲線美と立ち並ぶ建造物の美しさでも 人を惹きつけてやまないリージェント・ストリート。
この通りを造り上げたのは浪費癖で知られたジョージ4世と、その寵愛を受けた建築家ジョン・ナッシュというふたりの人物。
先週号に続き、このジョン・ナッシュに焦点をあてるとともにこのふたりが関わったロンドン内の名所の数々をご紹介することにしたい。

●Great Britons●取材・執筆/本誌編集部

在位期間は1820~30年と短かったジョージ4世(1762~1830)。

■ジョージ4世のバックアップを受けて、ある時は予算の使いすぎについて弁明するため議会に召喚され、ある時はメディアに手ひどくこきおろされながらも大プロジェクトを推し進めたジョン・ナッシュ(John Nash)。ジョージ4世が逝去したことにより後ろ盾を失い、一線から退いた。ワイト島で隠居生活を送り、83歳でこの世を去ったが、まだ摂政皇太子にもなっていなかったジョージ4世にとりたてられるようになってからの約40年、働きに働いた。ロンドンではリージェント・ストリートを中心に、「え、これも?」「あれも?」といいたくなるほど、多くの通りや建造物を手がけている。そのごく一部をご紹介する。

予算が大幅にオーバーしたバッキンガム宮殿

初代バッキンガム兼ノルマンディ公爵の依頼により、1702年から約3年かけて建てられたバッキンガム・ハウスを、1761年にジョージ3世が購入。以来、王室所有となった。後のジョージ4世の下の弟妹たちは、みなここで生まれている。

1820年、ようやく国王となったジョージ4世は即位して間もなく、それまで住みなれたカールトン・ハウスはイングランド王の邸宅としては手狭すぎるとし、バッキンガム・ハウスに大増改築をほどこし宮殿とすることを発表した。

建築家として任命されたのは、ジョージ4世お気に入りのジョン・ナッシュ。議会は、33万ポンド(現在の約4000万ポンド=約77億円にあたる)の予算を用意し、このプロジェクトが始まった。だが、建設案が議会で可決されてから、ほぼ現在のような形へと整えるのに12年ほどかかったリージェント・ストリート以上に膨大な時間がかかることになる。ジョージ4世はこの宮殿の完成を見ることなく、残念がりながらこの世を去った。また、同王が逝去した1830年、ナッシュはこのバッキンガム宮殿プロジェクトから解任された。

ナッシュの工事は遅れがちだったうえ、修正に修正がかさねられ、費用は雪だるま式にふくれあがり、最終的に70万ポンド(現在の約8500万ポンド=約163億円にあたる)に達した。しかも、これはマーブル・アーチ(11ページ参照)の建造費用を除いての金額だったという。
リージェント・ストリートのために議会が可決したのが60万ポンドというから、この宮殿の大増改築費がいかに莫大なものであったか、そしてそれが議会や世論の批判の的となったかは容易に想像できる。

▲ジョージ4世が亡くなる前年の1829年に描かれた風刺画(William Heath作/©The Fotomas Index UK)。英国を擬人化した時に用いられる人物、ジョン・ブル(右)がナッシュ(左)に向かってくどくどと詰問している様子。ナッシュの足元に建つのがバッキンガム宮殿だ。今とはかなり形が異なっていることがわかる。建物の後部に見える卵型のドームは大不評をかい、議会がナッシュを召還、「あのエッグカップは何か」と説明させたほど。この「エッグカップ」は後に取り除かれた。

男子の世継ぎなく逝去したジョージ4世のあとを継いで即位した、弟のウィリアム4世もここで暮らすことなく他界。1837年にジョージ4世の姪、ヴィクトリア女王が即位。宮殿として本来の役割を果たすようになるのは、同女王の即位後、数年たってからのこと。同女王はこの宮殿がことのほか気に入り、ここでの生活は「とても幸せ」と、日記の中で述べている。

その後も歴代国王により、様々に手が加えられ、600の部屋数を誇り、屋内プールまである大邸宅となったバッキンガム宮殿。今日では、夏季に限り、一部の部屋が一般公開されているほか、年間を通して多くの観光客が写真撮影に訪れる一大観光スポットとなっている。

JFC
TK Trading
Centre People
ロンドン東京プロパティ
Dr Ito Clinic
早稲田アカデミー
サカイ引越センター
JOBAロンドン校
Koyanagi
KaitekiTV

高級居住区つきリージェンツ・パーク

インナー・サークルへのゲート。

もともと「メリルボン・パーク」と呼ばれていたこの場所は、狩り好きのヘンリー8世が買い上げて以来、王室領となった。かのエリザベス1世も1582年にここで鹿狩りを楽しんだという記録が残っている。

鹿を囲い込むと同時に、密猟を防ぐ目的で、長い間、柵が張り巡らされていたが、1811年からナッシュを責任者として行われた再開発では、公園の緑をいかした「ガーデン・シティ」をリージェント・ストリートの北に作り上げることが目標に掲げられた。

1789年当時の「メリルボン・パーク」。©The Crown Estate

公園内にヴィラ、周囲にはテラス・ハウス、クレセント(半円の通り)を配し、人々(高い家賃を支払えるのは上流階級クラス出身者のみだったが)を住まわせる一方、公園内に運河を引き、湖を造るという計画で、一応の完成をみるまでに7年を要した。

また、1828年にはロンドン動物園が開園。1847年には公園の大部分が一般に開放されたのだった。



↓画像をクリックすると拡大します↓

リージェンツ・パーク Regent's Park

ロンドンっ子の憩いの場となっているリージェンツ・パーク。スポーツ・エリアとしても充実しており、予約すればラグビー、クリケット、サッカー、ソフトボールなどを楽しむこともできる。また、インナー・サークルの内側にある、「クイーン・メアリーズ・ガーデン」はバラで有名=写真右上。このガーデン内の池には、日本式とうろう=写真左上=のしつらえられた小さな「島」がある。

オール・ソウルズ教会 All Soul's Church

1822年に着工、2年後に完成したこの教会は、リージェント・ストリートとその北のポートランド・プレイスとの境界を示す位置にある。ギリシャ風の柱列が配された円型の外観、中央にそそりたつ尖塔などユニークなデザインで目を引くが、当時は酷評されたという。第2次世界大戦で爆撃による被害を受けたものの、1957年には復興がかなった。ナッシュの胸像が入り口近くに設置されている。

ロンドンの下町、ランベスの水車大工の子として生まれたジョン・ナッシュ(1752~1835)。リージェント・ストリートをはじめとする大プロジェクトに湯水のように税金を使った結果、議会から嫌われ、ナイトの称号を与えられることなく隠居先のワイト島でひっそりと息をひきとった。右側の写真は、オール・ソウルズ教会にあるナッシュの胸像からの眺め。リージェント・ストリートを望むことができる。

マーブル・アーチ Marble Arch

ローマのコンスタンティヌス門を参考に造られた。当初はバッキンガム宮殿の正面にすえられるはずだったが、同宮殿のさらなる増築に伴い(同アーチの完成後、狭すぎて王室の馬車が通れないことが判明したため移されたというのは通説)、1851年にハイド・パークの北西隅に移された。1908年、現在のようにラウンドアバウトの中心にくるよう変更が加えられた。

シアター・ロイヤル・ヘイマーケット Theatre Royal Haymarket

1820年にナッシュが建て替えた劇場だが、もともと1720年に建てられたもので、1766年に時のヨーク公(ジョージ3世の弟)から「ロイヤル」を名乗ることを許可された。


トラファルガー広場 Trafalgar Square

英国がナポレオン戦争で勝利をおさめたのは、1815年(ジョージ3世の晩年)。トラファルガーの海戦でネルソン提督が勝ってから、さらに10年を要した。


ウォータールー・プレイス Waterloo Place

ジョージ4世が即位するまで住んでいたカールトン・ハウス(取り壊され、現存せず)の正面玄関は、このウォータールー・プレイスに面していた。現在は、英国などがトルコでロシアと戦ったクリミア戦争の追悼記念碑が建てられている。ちなみに、写真の左端に見える像は、「白衣の天使」ナイチンゲールのもの。

セント・ジェームズ・パーク St James's Park

バッキンガム宮殿の東に広がる公園。ジェームズ1世の時代から、正式に王室所属として扱われるようになった。ジョージ4世の命をうけ、ナッシュは大幅に手を加えた。


バッキンガム宮殿 Buckingham Palace

詳細は記事上部、本文をご参照ください


9ロイヤル・ミューズ The Royal Mews

1825年に完成。「ミューズ」の名前の通り、もともとは「馬や」で、現在も王室所有の馬車などがここで保管・管理されている。隣の「クイーンズ・ギャラリー」(女王所有の美術品を展示)とともに、中を見学することができる(有料)。

週刊ジャーニー No.1338(2024年4月18日)掲載

Kyo Service
J Moriyama
ジャパンサービス
らいすワインショップ
Atelier Theory
奈美デンタルクリニック
Sakura Dental