
■ 第254話 ■ドイツ式「ユダヤ人囲い込み」
▶英国、ソ連、日本による「ユダヤ人囲い込み」は結局どれも上手くいかなかった。次はナチス政権下のドイツ。1933年に政権を掌握したナチスはユダヤ人への差別と迫害を強化。経済的圧力と暴力によりユダヤ人自らドイツ国外に移住するよう仕向けた。ドイツ国内に約43万人いたユダヤ人のうち半数以上の25万人がイギリスやアメリカ、アルゼンチンやパレスチナなどに逃れた。37年、フランスとポーランド両政府はポーランドにいる大量のユダヤ人をマダガスカル島に移住させられないか現地に調査団を派遣した。 調査団は5,000〜7,000世帯を収容できると報告した。しかしユダヤ人代表は気候や壊滅的なインフラ状況から定住できるのは500世帯以下と推定。主張は噛み合わず、移住計画は頓挫した。
▶ナチス指導者らは「残ったユダヤ人をどうしよう」と思案。浮上したのがフランスやポーランドが諦めたマダガスカルだった。気候悪い&インフラお粗末はむしろ好都合。だってユダヤ人の幸せや繁栄なんか1ミリも望んじゃいない。島はSS(親衛隊)に管理させ、抵抗する者は始末する。これがドイツの「マダガスカル計画」だ。年100万人、4年かけて400万人のユダヤ人をヨーロッパから移住させる計画だった。しかしこの時マダガスカルはまだフランス領。「フランスが降伏したらマダガスカル分捕って、そこにユダヤ人を移住させよう」という計画だった。1939年8月23日、ドイツはソ連と不可侵条約を結び、9月1日にポーランドに侵攻。第二次世界大戦が勃発した。翌40年6月、フランスはあっという間に攻め込まれパリは無血開城した。すげえなドイツの電撃作戦。この時、取り残されてドイツ軍に包囲された英仏軍35万人の救出劇を描いたのが映画「ダンケルク」だ。

▶思惑通りマダガスカルを手に入れたナチスドイツだったけど、海上は英海軍によって封鎖されていてユダヤ人の移送ができない。再び思案に暮れた。そしてひらめいた。「イギリスを叩きのめし、差し押さえた船舶使ってユダヤ人をマダガスカルまで運べばいいんじゃね?」。こんな楽観的な作戦でいいの? と思うけど、ここまで無敵だったドイツ。このアイディアに「いいね!」がいっぱい付いた。イギリス本土上陸を目指す「アシカ作戦」が実行に移された。まずは制空権奪取ということで5月から航空戦が始まった。ドイツの爆撃機が雲霞(うんか)の如くイギリスに押し寄せた。英空軍は最新レーダーを駆使してドイツ空軍機を迎え撃った。初めは英仏海峡に浮かぶ艦船やイングランド南部の軍事施設が目標だったけど、9月以降はロンドンなど都市部への爆撃を激化させた。イギリスは相当な被害を出しながらも耐え、最終的にドイツに英本土上陸作戦を諦めさせた。それは同時に「マダガスカル計画」の挫折も意味した。
▶英本土上陸を諦めたドイツは翌年、ソ連に侵攻。ソ連を東側に押し込んだら出来る空白地帯にドイツ人を移住させ、ユダヤ人をシベリアに送る計画もあった。しかしソ連軍の激しい抵抗にあってこの計画も挫折。そして遂にユダヤ人移送の全オプションが消滅。1942年、ドイツやポーランドで「最終的解決法」と言う名のユダヤ人大量虐殺、いわゆるホロコーストが始まってしまった。年明け早々暗い話題になっちゃったけど、今年もこんな感じで知ったかぶりを続けるよってな感じで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1376(2025年1月16日)掲載
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