
●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部
■子ども向けの冒険譚として知られる、英作家ジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」。実はこの本、当時の政治や社会への批判を、ユーモアと皮肉を織り交ぜながら痛烈に描き出した大人向け風刺小説なのだ。今年出版300周年を迎えた同書を徹底解剖する。

ちょうど300年前の1726年10月に刊行された「ガリヴァー旅行記」は、1661年頃にノッティンガムシャーの地方領主のもとに生まれた、医師で船長のレミュエル・ガリヴァーが主人公。奇想天外な実体験を報告した旅行記という体裁で、ジョナサン・スウィフト(右絵)が執筆した小説である。ガリヴァーが1699~1715年に旅したとされる4回の航海が、4部構成となって描かれている。
同書は出版当初から大きな反響を呼び、「閣議室から子ども部屋に至るまで、あらゆる場所で読まれている」という記録が残されているほど、まさに大人から子どもまで人気を博した。しかし、大人と子どもでは視点が異なり、子どもたちが奇妙な国での波乱に満ちた冒険を純粋に楽しんだ一方、大人は物語の奥に潜む政治や社会、慣習への痛烈な風刺を読み解き、それを議論することを楽しんだ。そこには、ときに性的な記述も含まれていた。
スウィフトがこうした本を執筆した要因のひとつに、当時英国が行っていたアイルランドに対する過酷な経済政策や植民地政策への激しい批判が挙げられる。スウィフトはアイルランドのダブリン出身で、ロンドンで生活していた時期もあったが、多くの時間をアイルランドで過ごした。搾取や権力闘争に明け暮れる英国社会の醜さを揶揄(やゆ)するだけでなく、アイルランド人に英国製品のボイコット運動を呼びかけたりもしていた。
なかなか問題作だった「ガリヴァー旅行記」、次頁では表の物語(子ども用)と裏の物語(大人用)を紹介する。
A Voyage to Lilliput
(1699年5月4日~1702年4月13日)
小人族の「リリパット国」旅行記
〈表〉の物語ガリヴァーは航海中に南インド洋で難破し、リリパット国に漂着。海岸に打ち上げられて気絶しているところを、身長15センチにも満たない小人たちに縛り上げられる。行儀良くすることを誓うと解放され、住居や国内を好きに行動する自由を与えられたほか、王族からも歓待を受けるようになる。リリパット国を守る義務を感じたガリヴァーは、巨大な身体を生かして国に協力し、隣国ブレフスキュとの戦争で大活躍。ところが、政治家たちの権力争いに巻き込まれ、次第に危険な存在として扱われるようになる。死刑が科されそうなことを察したガリヴァーは隣国へ逃亡、船を見つけて英国へ帰る。
〈裏〉の物語リリパット国の社会と政治体制は、当時の英国を模している。トーリー党を表す「ハイヒール党」とホイッグ党を表す「ローヒール党」の2つの政党が存在し、小さな諍いを理由に戦争する人々や、宗派の対立、権力を求めて争う政治家たちの姿を通して、人間社会の愚かさを風刺している。また、リリパット国が属領にしようと目論んだ隣国のブレフスキュは、フランスを示している。
A Voyage to Brobdingnag
(1702年6月20日~1706年6月3日)
巨人族の「ブロブディンナグ国」旅行記
〈表〉の物語帰国から2ヵ月後、再び旅に出るも嵐で航路を外れ、北米大陸の西海岸にある半島に上陸。飲み水を探して彷徨う間に、仲間の乗った船が出発してしまい、島に取り残される。そこは18メートルもの身長の巨人が暮らすブロブディンナグ国で、ガリヴァーは見世物として扱われる。やがて人気者となった彼を王妃が買い取り、王宮で人形のように可愛がられる。しかし、英国の政治や戦争について誇らしげに語り、火薬の製法を教示しようとしたガリヴァーを、国王は「地球上で最も哀れで愚かな種族」と断じた。ワシによってガリヴァーの住む木箱がさらわれるが、海に落とされて漂流中に英国船に発見され、祖国へ帰還する。
〈裏〉の物語英国の社会、戦争、司法、金融制度などについて、国王に詳細に質問させることで、英国のさまざまな問題を明らかにし、すべての政策に批判を加えている。また、王妃に愛玩動物や人形のように可愛がられるが、ガリヴァー自身はおもちゃにされていることに気付いていない愚かさ、また王妃の侍女たちによる性的ないたずらは、作者の女性への嫌悪感を伝えている。
A Voyage to Laputa, Balnibarbi, Luggnagg, Glubbdubdrib and Japan
(1706年8月5日~1710年4月16日)
天空の城「ラピュータ」訪問、そして日本へ
〈表〉の物語2回目の旅から2ヵ月後、また旅立ったガリヴァーの船はインド洋で海賊に襲われ、空飛ぶ島ラピュータに助けられる。ラピュータは島国バルニバービの首都で、巨大な天然磁石の磁力によって空中を自在に移動できる王宮だった。ラピュータで暮らすのは科学者たちで、現実を顧みずに研究に熱中する学者たちによって、搾取されるバルニバービの国土は荒廃していた。ガリヴァーは、ラグナグと日本を経由して英国へ戻ろうとするが船便がなく、近くの小島グラブダブドリッブを経て、なんとか日本に到着。東京(江戸)、京都、大阪を通って、長崎から英国へ帰国する。
〈裏〉の物語科学や学問ばかりを探求する愚かさ、不老不死を求めるなど人間の尽きない欲望などが風刺されている。ちなみに、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」の原案でもある。「ガリヴァー旅行記」に登場する場所は、英国以外すべて架空の国だが、その中で唯一日本だけが実在している。当時の日本は鎖国真っただ中であった。
A Voyage to the Land of the Houyhnhnms
(1710年9月7日~1715年12月5日)
知的な馬族「フウイヌム」旅行記
〈表〉の物語最後の航海は5ヵ月後、船員たちに反乱を起こされたガリヴァーは、オーストラリア近くの未知の島に置き去りにされる。そこで出会ったのは、理性的で知性を持つ馬の姿をしたフウイヌム族と、欲深く野蛮な醜い人間に似たヤフー族だった。ガリヴァーはフウイヌム族の社会で暮らし、争いや欲望に満ちた人間社会との違いに衝撃を受ける。ところが、人間であるガリヴァーはフウイヌム族の土地を追放されてしまい、海岸で小さな舟を自作。海で漂っていたところをポルトガル船に助けられ、最終的に英国へ戻る。
〈裏〉の物語人間の姿をしたヤフー族が、醜い獣の「家畜」として飼われる世界を描くことで、理性を失った人間の傲慢さ、野蛮さ、愚劣さなど、人間という生き物そのものを強く批判。最終章は、作者の人間への嫌悪・絶望感が強く現れたものとなっている。
厭世的なスウィフトとポープ、意気投合!
ポープ邸で完成させた「ガリヴァー旅行記」
1714年にアイルランド定住を決めるまで、ジョナサン・スウィフト(1667~1745年/左)は、故郷のアイルランドと英国をしばしば行ったり来たりしていた。英国滞在中に数冊を出版し、作家としての名声を得たスウィフトは、作家・翻訳家のアレクサンダー・ポープ(1688~1744年/下)、詩人・劇作家のジョン・ゲイ、風刺家・博学者のジョン・アーバスノットらと親交を深め、1713年に小規模な文学紳士クラブ「スクリブレラス・クラブ(Scriblerus Club)」を設立。とくに、スウィフトとポープは風刺小説の在り方について意気投合した。
ちなみに、「ポープス・グロット」という洞窟を自宅の地下につくったポープについては、詳しくはをご覧いただきたい。
さて興味深いのは、「世界で一番、優しく素晴らしい友人」(スウィフト談)、「世界中で私が最も心配している友人」(ポープス談)と、互いに親しい「生涯の友」と呼び合っていた2人だが、実際に顔を合わせていた期間は非常に短いことだ。紳士クラブを立ち上げた翌年には、スウィフトはアイルランドへ戻っており、次に再会したのは1726年。スウィフトがポープの自宅に滞在し、そこでポープやほかの紳士クラブメンバーらに相談しながら、「ガリヴァー旅行記」を完成させている。
翌年にもスウィフトはポープ邸を再訪したが、それが両者が会った最後で、以降は手紙での交流に限られた。その原因はスウィフトの体調不良によるとされ、めまいやふらつきといった症状に生涯にわたって苦しめられていた彼は、後半生では旅に出ることはなかった(現在ではメニエール病と考えられている)。
さらに知りたい人は…
週刊ジャーニー No.1462(2026年9月17日)掲載


















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