
■ 第252話 ■日本式「ユダヤ人囲い込み」
▶どこかにユダヤ人の住み処を作ろうとする各国の動き。イギリスもソ連も失敗した。次に動いたのは日本だった。1935年、ナチス政権下のドイツでニュルンベルク法が制定された。ドイツ国内にいるユダヤ人いじめの悪法。ユダヤ人は公職から追放された。ロシアや東欧でもユダヤ人迫害は日に日に激化していた。そこで日本政府はヨーロッパで迫害を受けているユダヤ人を満州国内、あるいは上海に移住させようと画策。日本政府はシオニズム運動に同情的だった。また日露戦争時、戦費が足りない貧乏国日本の国債を引き受けてくれたのはユダヤ人資本家たち。義理堅い日本人はその時の恩を忘れていなかった。
▶え~っと、少し嘘ついた。日本政府はもうちょい腹黒かった。本当の狙いはユダヤ人の経済力と米政界での発言力。日本や満州にユダヤ資本を投下させた上、米政府やユダヤ系アメリカ人に「日本は人道的な国」と思わせて気を引こうという思惑もあった。日本は米メディアや映画界の多くがユダヤ人に支配されていることも知っていた。計画書に添えられた「在支那有力ユダヤ人の利用により米大統領およびその側近の極東政策を帝国に有利に転換させる具体的方策について」という長~い表題が全てを物語っている。のちに「ユダヤ資本導入に関する研究と分析」という短くて分かりやすいタイトルに変更した上で政府に提出され、承認を受けた。一方、日本政府内にも当然のごとく「シオン賢者の議定書」を読み、ユダヤ人を警戒する者も多かった。

▶「ユダヤ人の受け入れはとても有益だが、国家破滅の引き金になるかもしれない」と考えていた犬塚惟重海軍大佐はユダヤ人を「超美味だけど、一歩間違えたら死ぬ危険性もあるフグ料理」に例えた。うまい。座布団三枚。以降この計画は「河豚(ふぐ)計画」と呼ばれるようになる。日本の目論見を前向きに捉えたユダヤ人の協力も得られた。しかし在米、在上海ユダヤ人は消極的で「河豚計画」は遅々として進まない。そのうち日独伊三国軍事同盟が締結された。ユダヤ人弾圧を激化させるドイツから日本政府に緩やかな圧力がかかった。それでも日本はユダヤ人との友好姿勢を崩そうとしなかった。この辺り、立派なの。しかし1941年12月に太平洋戦争が勃発。在米ユダヤ人からの資本投下の希望は断たれ、ここに「河豚計画」は完全に崩壊した。
▶日本が「河豚計画」に没頭していた1939年9月、ドイツはポーランドに侵攻。同国にいたユダヤ人はリトアニアに逃れた。カウナスの日本領事館にいた外交官、杉原千畝(ちうね)は押し寄せるユダヤ人に日本通過ビザを発給し続け、最終的に6000人のユダヤ人を救った。「日本のシンドラー」としてドラマ化された。感動した筆者は現在千畝記念館となっているカウナスの旧日本領事館に足を運んだ。ドラマでは千畝が政府の命令を無視し、領事館が閉鎖され、千畝がカウナスを離れる瞬間までビザを発給し続けた感動的な姿が描かれていた。残念ながら一部、テレビ局による脚色があった。日本政府がビザ発給を禁じていたならユダヤ人が日本に入国出来るはずがなかった。この時まだ「河豚計画」は生きていた。実際には日本政府と軍部は人道的配慮から千畝にビザの発給を許していた。何でもかんでも戦時中の政府や軍を悪者にしようとする自虐史観には違和感覚えちゃうよってな辺りで新年号に続く。皆さん良いお年をね。
週刊ジャーニー No.1374(2024年12月26日)掲載
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