
■ 第251話 ■ソ連式「ユダヤ人囲い込み」
▶ケニア南部にユダヤ人国家を作ると言う英政府の「ウガンダ計画」。これはユダヤ人の中でも意見が割れて挫折した。1905年のことだ。同年、日露戦争真っ只中にロシアで第一の革命が勃発。騒乱の中で800人前後のユダヤ人が殺害された。1919年、ロシア国内のシオニスト組織がクリミア半島で活動を開始した。しかし第一次世界大戦が勃発。大戦末期に起こったロシア内乱では20万人近いユダヤ人が殺された。「一刻も早く安心して暮らせるユダヤ人の国を作らねば」。シオニストたちが焦るのも当然。誕生したばかりのソ連が落ち着いて来た頃、ユダヤ人のレーニンが死に、グルジア人のスターリンが権力を掌握。ところがスターリンには「反ユダヤ主義者じゃないか」という噂がつきまとった。それを打ち消すようにスターリンはソ連領域内にユダヤ人自治区建設の画策を始めた。
▶候補地として選ばれたのはクリミア半島だ。2014年にロシアが併合したことですっかり有名になったクリミア半島。北緯44度というから北海道の知床や根室とほぼ同緯度。温暖とまではいかないが酷寒の地に暮らしていたモンゴルやロシアの人たちにしてみたらまるで南国リゾート。なんせ1年を通して港が凍らない。クリミアとはチンギスハンの末裔が建国したクリム・ハン国がその名の由来。モンゴル帝国と言いながらヨーロッパに攻め込んで来たのは隷属していたタタール人でトルコ系の人たちだ。その後クリミアはオスマン帝国に支配されたが戦争の末、18世紀にロシアが奪い取った。20世紀初頭のクリミア半島にはタタール人の末裔が大勢暮らしていた。

▶ロシアのユダヤ人は昔から商業、工房従事者が多く農民は極めて稀だった。彼らの頭脳は農業を下に見た。1926年、ソ連政府はクリミアにユダヤ自治区を建設する「南部計画」を発表。スターリンはユダヤ人に農業をさせようとした。在米のユダヤ人救援組織は「クリミア・カリフォルニア州」へのユダヤ人移住推進のため積極的に資金援助を行った。ウクライナ南部には当時ユダヤ人が大勢住んでいた。彼らは促されてクリミア半島に移住を始めた。すぐにコミューンが形成された。種撒かれ、牛が飼育され農業が始まった。しかしクリミアには前述の如く先住民がいた。タタール人だ。潤沢な支援金を得てやって来るユダヤ人はたちまち憎悪の対象となった。先住民によるポグロム(ユダヤ人迫害)が始まり、クリミアはユダヤ人の血で赤く染まった。
▶スターリンは「先住民がいると必ず揉めるな」と言い地図を広げた。ロシアはでかい。人が住んでいないエリアがいっぱいあった。「ここ、いいじゃん」。指を止めたのは極東の街、ハバロフスクに近い陸の孤島「ビロビジャン」。清から力づくでブン捕った新領土。1928年、「南部計画」は正式に破棄され、代わって「ビロビジャン・ユダヤ民族区(のちに自治区に昇格)」が建設された。ソ連政府はユダヤ人に新天地「ビロビジャン」への移住を促した。要は厄介払い。しかし北緯48度、北部樺太と同緯度のビロビジャンはユダヤ人には過酷過ぎた。寒さに耐えきれず多くが帰還。第二次世界大戦末期、ユダヤ人代表はクリミア半島をユダヤ自治共和国とするよう訴えたがスターリンはこれを却下。こうしてソ連によるユダヤ人「囲い込み」も成功しなかった。次は日本の番だぜってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1373(2024年12月19日)掲載
他のグダグダ雑記帳を読む


























セール情報をいち早くGET!今週のお買得★食料品『TKトレーディング』