
■ 第250話 ■英国式「ユダヤ人囲い込み」
▶1897年にスイスのバーゼルで開催された第1回シオニスト会議。「地球のどこかにユダヤ人の国を再建する」というユダヤ人の野望が動き始めた。しかし時は間もなく20世紀。ゲルマン民族やモンゴル軍じゃあるまいし、他人様の土地にズカズカ乗り込んでの国家建設は難しい。最初に手を差し伸べたのはイギリスだった。植民地大臣ジョセフ・チェンバレン。ロスチャイルド家の仲介でシオニズム運動リーダーのテオドール・ヘルツルと会った。当時の英大物政治家たち、ロスチャイルド様に頼まれたら簡単には「ノー」と言えない。だって公私にわたる特大スポンサー。一方、英政府もこの機会を利用しようとしていた。一つ。英政府は東アフリカを保護領としウガンダ鉄道を建設。内陸部に豊富な地下資源があると踏んでいた。莫大な税金ブッ込んで作った鉄道だったけど大赤字。富豪ユダヤ人の追加投資が不可欠だった。二つ。ロシアや東欧で激化するユダヤ人弾圧。ロンドン東部にはユダヤ人難民が溢れ返っていた。放置すればイギリス人の職が勤勉なユダヤ人に奪われちゃう。「貧しいユダヤ人はほうきで集め、まとめてお外にポイしたい」が本音。
▶チェンバレンはウガンダ鉄道視察の際に見た広大な土地を思い浮かべていた。現ケニア南西にあるマウ高原は赤道直下にも関わらず高地のため気候は穏やか。チェンバレンはシオニズム運動家グループに「マウ高原なんてどう?」と打診した。これがイギリスのユダヤ人移送計画「ウガンダ計画(スキーム)」だ。ヘルツルらはパレスチナを始めキプロス島やシナイ半島北部での国家建設を考えていた。しかしいずれもオスマン帝国領土の中。どう考えても非現実的。

©Bjørn Christian Tørrissen
▶1903年、第6回シオニスト会議が開かれた。1897年以来ほぼ毎年会議をやっていたことになる。ユダヤ人の本気度が伝わって来る。会議では英政府提案の「ウガンダ計画」が話し合われた。「いつの日かパレスチナに再建するという最終目的に先立つ、夜露をしのぐための避難先」と考える賛成派と「一旦受け入れちゃえばパレスチナでの建国が永遠に遠のく」とする反対派に分れて議論白熱。特にロシアや東欧から参加していた代表らは強硬に反対した。あまりの頑迷さにヘルツルも閉口。しかしユダヤ人弾圧は日に日に激化。最終的に多数決となり、賛成295、反対178で現地への調査団派遣が可決された。
▶マウ高原。なるほど気候穏やか。周囲は断崖や森林に囲まれ、外敵から守られる。しかしライオンはじめ猛獣多数。おまけにマサイ族の人々が大勢暮らしていた。あの、よく飛び跳ねる人たちね。元々は遊牧民だったが、他の部族に押されてマウ高原に逃れて定住していた。ようやく安住の地を見つけたマサイ族がユダヤ人を歓迎するはずがない。一方、既にケニアやタンザニアに入植していたイギリス人たちもユダヤ人の流入を快く思わなかった。ユダヤ人は古くから金融や商工業に携わる人たちで農業経験者はわずか。開拓を担う働き手とは思えない。1904年、ヘルツルが突然死んだ。心臓病だった。リーダーを失ったシオニストたちは迷走。結局翌1906年の会議で英政府提案の「ウガンダ計画」を丁重に断る決定が下された。ホロコースト回避のオプションが一つ消えた。そしてイギリスの次に動いた国、それはソ連だったってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1372(2024年12月12日)掲載
他のグダグダ雑記帳を読む


























セール情報をいち早くGET!今週のお買得★食料品『TKトレーディング』