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■ 第77話 ■クリミア戦争と日本?

▼「ジャーディン・マセソン商会」という企業の過去の闇に触れる前に語っておきたいことがある。クリミア戦争だ。クリミア戦争とはロシアとオスマン帝国がバルカン半島の支配権を巡って衝突、英仏がオスマン帝国側についたことで泥沼化した戦争だ。ナイチンゲールが看護師として派遣されたことで知られる。クリミア戦争という名称から黒海周辺が主戦場になったんだと思っていたらバルト海や極東のカムチャッカ半島でも戦っていたらしい。カムチャッカ? 日本のそばじゃん。

▼英仏両海軍はカムチャッカ半島にあったロシアのペトロパブロフスク・カムチャツキーという港湾要塞攻略を目論んでドンパチが始まった。その最中、英艦隊のジェームズ・スターリング司令官はロシアの海軍中将プチャーチンが長崎入りしていることを知り、捕まえようと艦隊を引き連れて長崎に向かった。既にプチャーチンは去った後だったけど、ロシアが日本に接近していることを知り、応対した役人に対して「中立でいないとどうなるか、分かっているよね?」とソフトに脅した。さらに独断で日本に和親条約の締結を迫った。

▼スターリングには外交の権限はなかったけど、日本側はビビッてこの要求を飲んじゃった。これが日英和親条約で、日米和親条約締結のわずか半年後のことだ。幕府はイギリスに対して長崎と函館を開港した。英政府は後でそれを知らされて「小艦隊の司令官ごときが、なに勝手なことやってんだ」と言いながらも「でも、結果は悪くないから、オッケ~」とこれを追認した。アメリカが先行して日本と和親条約を結んだから慌てて「オラもオラも」とやって来たのかと思っていたんだけど実情は全く違った。それどころかこの当時のイギリスは巨大な清を半植民地化したことでハッピハッピー。その横にある小さな島国にはさほど関心を示していなかったらしい。ということでクリミア戦争がきっかけで日本はイギリスと和親条約を結ばされた。色々繋がってんだな。

プチャーチンですが、何か?

▼1853年にペリー艦隊が浦賀に出現してから幕末のドタバタ劇が始まるが、日本の混乱に乗じて外国勢力が日本を清同様にすることも可能だったように思える。しかし実際にはそれは起こらなかった。なぜ? それは視点を当時のイギリスに移すことで見えて来る。インドを植民地とし、清も半植民地化することに成功したイギリスだけど、オーストラリアやカナダも含め広大な植民地を治めるのは結構骨が折れる作業だった。各地で反英の動きも起こり、その都度鎮圧軍を派遣せねばならず費用も馬鹿にならなかった。つまり「植民地の拡張は得か損か」で意見が分かれていた時期だ。そんな中でイギリスは1860年頃から非拡張主義、小英国主義政策がとられ、領土の拡大よりも自由貿易によって利益だけをチューチュー吸い上げる戦略に切り替えた。80年代に入るとアフリカ大陸を巡って再びヨーロッパの国々が激烈な陣取り合戦を再開する。つまり日本の幕末の騒乱はヨーロッパ列強が「帝国主義って、どうよ」と立ち止まって考えている隙を縫って起こったことになる。さらにアメリカでは南北戦争が勃発。イギリスもインド傭兵の反乱や清の内紛等があって日本に関わっている余裕も金もなくなっちゃった。決してサムライが怖くて方針を変えた訳じゃなかった。ラッキー、助かったぜと万歳三唱したいところだが、実際には日本はイギリスの新戦略にどっぷりハメめられていた。こわいよーとちょっとチビッたところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1197(2021年7月15日)掲載

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