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■ 第76話 ■グラバーは若造だった

▼「清の役人が商品(アヘン)を没収しやがった。けしからん」と英議会に乗り込んでロビー活動をした挙句、海軍を派遣させてアヘン戦争に持ち込んだのがジャーディン・マセソンの創始者、ウィリアム・ジャーディンだ。このジャーディン・マセソンは創業から190年経た今も存続する大企業だ。あんまり昔の闇をほじくり返すと怒られそうだから、遠くからピーピー騒ぐ程度にしておく。要するにウィリアム・ジャーディンとは麻薬を大量に清に売りつけて中国人をシャブ漬けにした上で難癖つけて戦争を仕掛け、ボッコボコにして多額の賠償金をふんだくり、上海などの港を開かせて香港を割譲させたイギリスの中心的存在だ。イギリスはアメリカという金のなる植民地に独立されちゃって税を巻き上げられなくなったから、それを補填する新しい市場が必要だったんだね。そして清が狙われた。

▼こんな立派な連中が日本にやってきたら日本も清の二の舞になる。コロナより怖い。絶対に入れちゃダメだ、と思ったらもう来ていた。1859年に外資系企業第一号として横浜に「ジャーディン・マセソン商会」が開かれた。ああ、日本もシャブ漬けにされる。ジャーディン・マセソン商会が横浜に建てた社屋は地元の人に「英一番館」と呼ばれた。その年、スコットランドから同社の上海支店にやって来て社員になった若者がいた。トマス・グラバー(Thomas Glover)と言う。2年後、同社が横浜に進出するのとほぼ同時に長崎に渡り、そこでジャーディン・マセソン商会の代理店「グラバー商会」を開いた。この時グラバー23歳。ろくにビジネスをやった経験があるとは思えない若者になぜこのような大役が担わされたのか、よく分からないけどとにかくジャーディン・マセソンという巨大商社をバックに、明治維新に向けてグラバーの怒涛の快進撃が始まる。清がシャブ漬けにされた上に戦争に敗れた知らせは当然幕府にももたらされていた。そのため日本は頑張ってアヘンの流入を阻止した。グラバーは仕方なく茶や生糸の輸出をやっていた。ところが1864年、京都で武力衝突(禁門の変)が起こり、国内の情勢が一変した。いいぞいいぞ、内戦に発展すれば武器弾薬がしこたま売れるぞ。内戦にならないんだったらイギリスのお家芸がある。こっそり裏で両勢力を煽って内戦にしちゃえばいいのよね。

グラバーですが、何か?

▼この後、薩長同盟が結ばれるのはグラバーが長崎に来てから7年後のこと。討幕派に武器弾薬、軍艦を売りつけて大儲けするには、長崎は地理的に最適だった。大政奉還は1867年のことなのでグラバーが29か30歳の時だ。禁門の変の時には26歳くらいだったことになる。幕末ものの映画やドラマに登場するグラバーは大概立派な髭を蓄えたおじさんが演じていたのでてっきり壮年の御仁かと思っていたが、実際はとんでもなく若い人だったのね。戊辰戦争が始まって、いよいよ日本全土を巻き込んだ内戦に拡大すると内心大喜びしてさらに武器弾薬、軍艦を手配して舌なめずりして吉報を待っていた。ところが西郷どんと勝海舟が大人の取引をして江戸城が無血開城。戦争は東北と函館を残すのみになっちゃった。目論見は大外れ。大量の在庫を抱えた上にジャーディン・マセソン商会からも資金援助を断たれ、さらに諸藩からの売掛金回収も滞り、1870年、グラバー商会は破産した。

▼おっと、語りたいのはグラバーのことではない。ジャーディン・マセソン商会横浜支店に潜む何やらドス黒い闇の部分だ。そんなこんなで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1196(2021年7月8日)掲載

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